第58話 幼い頃に通った森
「このあたりなら大丈夫か……」
何がこの辺りだと食べられるのだろうか。
ふと、ナイーダはそんなことを考えながら辺りを見渡していた。
暗くなる前にと思ってはいたが、あたりはいつの間にか色を失い、すっかり夜の景色になってしまった。
木の実はいくつか集めたものの、こんなもので足りるわけがないし、どうしたものかと考える。
今日明日分くらいの食料ならば持参してきたものがあるが、問題はそこからだ。
(とにかく……)
夜になり、そろそろ冷えてくる頃だろうと心配していたにも関わらず、火を熾す必要さえないくらい今の季節に似つかわしく、息苦しくて蒸し暑い。
その嫌な空気が一層不気味さを醸し出す。
(一刻も早く、ここを離れたいな)
今夜中にまずはこの森を抜け出したいと思っていた。しかしながら、未だに気持ちよさそうに寝息を立てるマリーネを横目にナイーダはふうっと息を吐く。
(これ以上、無理をさせてもいいのだろうか)
遠征慣れをしている自分は野宿だって平気だ。
なんならどこでだって眠れるし、生活ができる自信がある。
しかしながらリリアーナは違う。
ずっと温室にいて、大切にされてきたお姫様なのだ。
(引き返すか)
今日のところは仕方がない。
リリアーナが目覚めたら、一度森を引き返し、近くの宿に泊まろう。
幼い頃からよく馬乗りをした時にアルバートと通った森だったし、一人であったならばそのまま馬を走らせ続ければすぐに突破できる場所だということは知っていた。
それでも大切な姫君に無理はさせたくないし、させるわけにはいかなかった。
(それに……)
それにここは、なんだか嫌な予感がした。
何がというわけではない。
それでも、体にへばりつくようにまとわりつくぬるい風や耳につく不気味な鳥の鳴き声など、本能的にもここにいるべきではないように思えた。
意外とナイーダのそういった勘は当たる。
こういうときは状況に抗わず、自分の直感を信じる。
長年の経験からそう学んだ。
その時だった。
明らかに気配を消すよう意識をし、足元の葉の音を気にしながら近づいてくる数人の足音に気が付いた。
(まずい!)
はっとした時、すでにそこは辺り一面を囲まれていた。
「ナイーダ? どうかしたの……きゃ……」
さすがに張りつめた空気に気が付いたのか、目を擦りながら体を起こしたリリアーナも辺りの様子にはっと息を呑んだ。
「リリアーナ様、俺の後ろにいてください。すぐに片づけますから」
相手は三人。
倒せない訳ではない。
アルバート一人を倒すことを思えば。
だが、それも一人でなら、だ。
リリアーナを背にしながら戦うというのは、かなり難しいということをナイーダもわかっていた。それでもそうしない限りリリアーナを守ることはできない。
幼い時によく通ったこの道ならば大丈夫だと近道を試みた自分の甘さに後悔した。
腰にぶら下がる剣に腕をかける。
一瞬でもリリアーナから離れたら、終わりだ。
頬を伝う冷たい汗を感じながら、ナイーダは必死に考えを巡らせた。
「何者だ、おまえら……」
「え……」
偉そうな男が一歩前に立ち、声を張り上げてきた。と、いうか逆に問われ、それはこちらのセリフだとその予想はずれの展開に思わず拍子抜けしてしまう。
「何者だと問うておる。何故ここに来た?」
「ここへって……」
「ここがどこだかわかっとるのか?」
ご、ごく普通の森ではないのか?
昔よくアルバートと遠乗りの時に横切ったものだ。それに、前回の遠出の時だって横切ったし、セトもよくこのあたり道の調査を任されていて報告も受けている。
「ええい。おまえ、ここからその女を連れてとっとと失せろ!」
相手が一国の王子の奥方だということを知らないのか、後ろの男が声を荒らげる。
言い返そうとしてナイーダが口を開きかけた時、彼女の背にしがみついていたはずのマリーネの重みが、ふと消えた気がした。
ドカッという音が聞こえ、リリアーナが崩れるようにその場に倒れ込んだのが目に入った。
「り、リリ……」
その事実を理解するのに少し時間がかかった。
「リリアーナ様っ!」
その名を呼ぶのは軽率な行動だった。
しかし、今のナイーダに冷静な判断能力は残されていない。
ナイーダを呼ぶその名に、今まで威張り散らしていた男が怯んだように見えた。
それもそのはずだろう。普段なら会うことさえ叶わぬ相手なのだから。
「くそっ!」
彼女の身を守るべく、ナイーダは剣を抜いた。
いつもそうだ。
いつも自分の考えが至らないせいで何かが起こる。
リリアーナの身になにかあったらと思うとぞっとする。
それでも、命に変えても彼女だけは守る。
ふうっと呼吸を整えたナイーダは、剣を構え、正面に立つ男たちに鋭い視線を向けた。
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