第32話 ただ、側にいたかった

「挑発に乗るな。おまえは立派な男だから。わからないやつは放おっておけばいい」


 いつの間にかいつもの余裕ある表情に戻っていたアルバートはナイーダを元気づけるようににっと笑った。


「それにしてもおまえ、かなり趣味が悪いぞ。あんなのがよかったのか? 顔だけに騙されるなよ」


「な! ち、違うよ! それは勝手におまえが勘違いしてただけで、そ、それに……」


 顔のことはおまえが言っても説得力が全くない、と内心思った。


「でもおまえ、真っ赤だぞ?」


「ほ、ほっとけ、最近いつものことだ!」


 そう。いつものことなのだ。


 ドキドキして、本当にいつもバカみたいだ。


『君は、彼を意識しているんだよ』


(悪いかよ)


 ナイーダは泣きたくなる。


(意識して、悪いかよ……)


 こんなに近くにいるのに、絶対に近づけないとわかっているのに。そんな相手とのことを認められるはずがないではないか。


(誰のせいだよ)


「チビスケ……?」


(本当、誰の……)


 側にいたいだけなんだ。


 弱いと言われたって、女という顔になっていると言われたって仕方ないではないか。


 抗えないのだから。


 ぐっと拳に力を入れる。


 側にいて、支えになりたいだけなのだ。


「言っとくけど、俺は男だろうが女だろうが気にしていない」


「は?」


 突然投げかけられた言葉に顔をあげる。


「何のことだよ」


「先程のジーク様の問いだ。勘違いされたら侵害だ」


 得意げに告げてくるアルバートはよほど悔しかったようだ。それでも、


「か、勘違いも何もおまえの恋愛対象なんて聞いてねぇよ!」


 いったい何の話をしているのか。


 そんなことはどうだっていいことだ。


「俺は俺だ。やるべきことは、リリアーナ様をお守りする。ただそれだけだ」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 そう。自分の使命は変わらない。


「ああ、悪い。そうだったな」


 そこで突然離された手が、行き場を失う。


「おまえは心配いらなかったな」


 アルバートの笑顔が眩しい。


「おまえはあまり社交の場に姿を現そうとはしないから知らないと思うけど、あの方は、姫にもよく絡んでるような方なんだ。だから少し気になった」


 気を取り直して淡々と述べるアルバートをナイーダはじっと見つめる。


「なぁ、アル……」


「ん?」


「知ってるのか? おまえが大切に思ってる『姫』は、俺らにとって、守るべき大切な姫なんだぞ?」


「え……」


 ちゃんとわかってるのか?


 社交の場でも側にいて、花のように美しい笑みを返し合うふたりの姿が脳裏に浮かんだ。


「お姫様なんだ。だから……」


 自分は、何が言いたいのだろう。


 身分を考えろとでもいいたいのか?


 今まで心の底から応援してきた二人に。


 突然口から出た言葉を噛みしめるようにナイーダは続ける。


「話の先が見えないけど?」


「おまえ、リリアーナ様に惚れてるんだろ」


 勢い余って言ってしまい、見開かれたアルバートの瞳に胸が痛む。


「お、おまえは……」


「バーカ」


 呆れたように額に手を当てたアルバートはナイーダに背を向け、はぁっと大きなため息を漏らした。


「そんな恐れ多いこと、大声で叫ぶなよ」


 アルバートはナイーダと目を合わせようとはしなかった。加えて、


「なんでおまえがそんなこと言うんだよ」


 と苦言を漏らした彼に、言葉を失う。


 言ってしまったのは自分なのに、そんなアルバートを見ていたら罪悪感が湧き上がってきた。


「もちろん。わかってるさ。大切な守るべき姫だってことは」


 こちらを見ようともしないその背中が落胆しているというか、少し寂しそうに見えて、ナイーダは軽率な発言をして彼を傷つけてしまったことに気づく。


「ご、ごめん……」


 後悔しても後の祭りだ。


 そんな顔をさせたかったわけじゃない。


「リ、リリアーナ様だって同じだよ!」


 だから、無我夢中にもそう叫んでいた。


「二人がその気なら、お、俺は……」


「何が言いたい?」


「え……」


 鋭くなったアルバートの瞳が、ナイーダを捉えた。こんなの、初めてだった。


「お、俺はただ、アルだってもっと正直になるべきだって思って……たとえ身分が違ったって……」


 だから、大切な彼女を想ってそんな顔をしないでほしくて、そして、他の人に取られることを恐れないでほしかった。でも……


「それ、本気で言ってんのか? 俺に彼女をさらえってか?」


 近くにも、いたかった。


「あ、アル……」


 いつまでも、最高の相方として。


「ご、ごめん……」


 矛盾ある言葉に自分でもどうしたらいいのかわからなくなったナイーダはアルバートが不意に伸ばした手にビクッと反応する。


「なぁ、チビスケ」


 ほんの少しの間が開き、アルバートがまたため息をついたのを感じ、ナイーダは頭を上げると、悲しそうな彼の顔がそこにあった。


「俺はおまえに稽古の協力はいつでもできる。でもな、おまえの意中の相手の心から彼女を奪いさることだけはできないんだ」


「ち、ちが……」


 そんなつもりじゃない、そう言いかけたが、アルバートが切なそうに笑んだの見て息を呑む。そして、


「それにさ、俺、婚約者がいるんだ」


 間髪を入れずに続けられたアルバートの言葉に、ナイーダはまわりの景色すべてが凄まじい音を立てて崩れ落ちたように感じた。

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