第4章
第31話 ジークという男
「おや、今日はやけにご機嫌だね。彼と何かあったの?」
ナイーダが休憩時間を利用し、剣を磨きに外に出た時だった。
面倒ごととはしばらく関わり合わずに過ごしていこうと心に決めたナイーダは、最もトラブルの元であろう声が堂々と自分の後ろから飛んできて、必死に笑顔を繕い、振り返った。
「ああ、これはこれは、エリオス殿下」
こんなところをリリアーナに見られたら、なんと言われるかわかったもんじゃない。
「やぁ、ナイーダ。元気になったようで安心したよ」
「エリオスさまこそ、おかわりないようで」
ナイーダの声色が明らかに変わったのにも気をとめず、エリオスはニッコリと微笑んだ。
「いつぞやはお世話になりました」
「おや、それでは例の彼と……」
「あなた様のお言葉でいろいろ迷い、自分で自分がわからなくなったこともありましたが、今ややっとその壁も乗り越え、順調にまた彼とうまく友好関係を築き上げられそうですよ」
「友好関係だって? まさか……」
信じられない、といった表情で眉をひそめたエリオスにナイーダは自分でも頬がピクピク引きつったのがわかった。
「俺、もうそういったことをできるだけ考えないようにします。自分のためにも、あいつのためにも。それに、やらねばならないことを全うすることのほうが俺には大切なことなんです」
「そうやってまた、君は自分を隠すことを選ぶのか?」
「………」
この言葉は痛かった。
そしてどうしてこの人はここまでして挑発してくるのか。わからなかった。
「君は今までそうやって苦しんできた。そしてまた、これからも同じ失敗を繰り返すというのかい?」
「失敗ではありません。俺は業務さえ十分にできればそれでいいんです。考えることによってそれさえ満足にできないのなら、考えない道を選ぶまでです。それに……」
そこでナイーダは寂しそうに威勢を失う。
「それに?」
「あいつには、想っている人が他にいるんです。だから、今さら俺がどうこういって波風を立てる気はありません」
「へぇ、彼にも想い人がねぇ……それは意外だったね。どんな方なのだろう」
言ってしまってはっとした。
それはあなたの大切な奥様です、だなんて言えるはずがない。
「そ、それにしてもエリオス様。こんな人気のない所をお一人で散歩されるのは少々軽率な行動だと思います。いつどこに危険が潜んでいるかわかりませんし……」
できるだけ話を逸らせようとナイーダは心がける。マリーネに会うなと言われたことを忘れたわけではない。
だからこそ、少し居心地の悪さもあった。
「うーん。でも、ここが一番安全だろう? だってほら、君は一応近衛の副隊長だし。何かあったら守ってくれるんだろ」
「……ま、まぁ」
ああ言えばこう言う。
なんて人だ、と思う。
笑顔の奥に隠された頑固な意思は、人の意見一つでは絶対動かないといわんばかりだった。これが、あの噂に聞いていた第二王子だと言うのか。
「それで君は、一体こんな人気のない所で何をしていたのかな?」
返されてむっとしてしまうが、逆らう訳にもいかない。
「見てのとおりです。剣の手入れをしているんですよ。ここのところ、忙しさにかこつけてメンテナンスをしていませんでしたから。ですが、リリアーナ様のお近くでこんな物騒な物を出すわけにはいかなかったので……」
「こんな重そうな物を、そんな細い腕で支えるのは大変だろうね」
余計なお世話だ、と言い返してやりたかったが、相手は一国の王子だという未だ微かに残る自分の理性のみを支えに、ナイーダは必死に堪えた。
「な、慣れておりますので」
「でも、こんな可愛いナイトに守って貰えるのなら、いつでも狙われてもいいもんだな」
「はぁ?」
な、何を言い出すんだ、この人は。
「そもそも王子は体調が優れないと聞いております。あまり無理をなさらないで下さい」
「おや、心配してくれるのかな。嬉しいね」
「………」
返す言葉もなくなり、次の言葉を探すナイーダにまた、エリオスはクスクス笑う。
からかわれている、直感でそう思った。
「そ、そういうことはリリアーナ様に言ってください」
慌てて顔を逸らし、ナイーダは気まずさしかないこの場から今すぐ立ち去りたくなった。
それでもすぐに逃がさないと言わんばかりにエリオスに掴まれた腕に目を見開いた。
「そうか。リリアーナに……」
何がおかしいのか、エリオスは不敵な笑みを見せる。
「それも困ります。それこそエリオス様に俺が顔向けできなくなります。あなた様が勝手に姫に変なことをささやかれては」
静かに、そして突然すっと現れた気配が二人の間をわって入るようにして、ナイーダの腕を掴むエリオスの腕に置かれていた。
「そして、うちの相方にも」
キリッとした表情でエリオスを睨み付け、アルバートはしっかりした語調で述べた。
「そう気安く触れないでいただけると助かります」
「ア、アル……」
とっさの出来事で一体何が起こっているのかナイーダは呆然とする。
アルバートの言葉をうまく呑み込めずも、彼の言った『相方』という言葉に思わず感動してしまっていた。
「チビスケ、姫がお呼びだ。行こう」
凍り付いたような瞳をエリオスに向けたまま、アルバートはナイーダの肩を抱く。
「で、でもアル……エリオス様が……」
「ああ、エリオス様なら今頃いつものように自室で静養されているところだろう」
「は?」
「勝手に殿下の名前を使用して、他者を騙すのは褒められたことではありませんよ。ジーク様」
ぽかんとするナイーダを完璧に無視して、続けるアルバートは、ジークと呼んだ彼を見てしっかりした声で言い放った。
今度こそ、言葉の意味がわからなかった。
「じ、ジーク様……?」
「エリオス様のいとこのジーク様だ」
説明するのも面倒だと言わんばかりでいつもよりもかなり気が立っているようなアルバートに、ナイーダは何かしらよからぬ事態に直面しているのだと読みとった。
「いつまでも自由気ままに抜け出されてはご側近のカロス殿が心配なさりますよ。なんなら彼をこちらへお呼びしても……」
アルバートの不敵の笑みが明らかにジークと呼ばれる彼にとっては不都合なものだったようで、初めてジークから笑みが消えた。
「敵わないな」
お手上げだと言わんばかりに肩をすくめ、ジークは今度は口元だけを緩める。
「何でもお見通しってわけだ」
そして、そのままナイーダに視線を移す。
「っ!」
君のナイトは……と言われた気がした。
『彼といる君はね、一瞬女の子に戻るんだ』
その言葉がまた耳で木霊し、ナイーダはほてった顔をそむけるように彼の腕を振り払う。
「もしさっき君の言っていたことが本当なら、わたしが君を貰おうと思う。どうかな?」
「なっ……」
懲りずにまた優しい瞳を向けてくる彼に、ナイーダは言葉を失ってしまった。
「言っておきますが、こいつは男です」
ナイーダを庇うように背に回し、アルバートの一言に、またドキリとする。
「男だろうが女だろうが、わたしはかまわない」
クスクスと笑うジークの声が不気味に響く。
「君は気にするタイプなのかい?」
「答える義理はございません」
では、と頭を下げ、アルバートはナイーダの手を握る。
「姫を待たせておりますので。俺たちはこれで失礼します。ジーク様」
わざわざ『ジーク』という名の所だけを強調したように言葉を発し、アルバートはそのままナイーダの手に指を絡めたまま、城に向かって足を進めた。
「じゃあ、またね。わたしの愛しの姫君……」
その言葉がナイーダの背にかかった時、カッとしたナイーダは今度こそジークを殴りつけてやりたかったが、強く握られたアルバートの手が彼女に正気を取り戻させてくれた。
(また、助けられた)
そしてまた、そんな事実に心にぐっと重石を付けられたような気分になった。
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