第29話 明るい兆し

「お、おい、大丈夫か? ナイーダ、さっきから何ブツブツ言ってんだよ」


 自分の世界に入り込みすぎたのか、心配そうに覗き込んでくるセトの存在に気付かなかったナイーダは飛び上がった。


「セ、セトっ! お、驚かすなよ。おまえまで俺相手に気配消して近づいてくるなよ」


 あいつみたいに……と、また頭に思い浮かぶあの笑顔にはっとして、ナイーダは慌てて頭を振った。


「くそ、また!」


 彼はいつも、一人で歩く時はできるだけ気配を消している人だから、だからいつも近くに迫ってきていても気付かないんだ。


 でも、でもどうして今それを思い出すのだろう。ナイーダはますます混乱してしまう。


「お、おい、さっきから変だぞ、おまえ」


「変じゃない。もちろん正気だ。おまえこそ慌てすぎだろ。もっと落ち着け」


 いきなりキリッと副隊長の表情に変わりビシッと指摘してくるナイーダに、それはおまえだろ!とセトはセトで反論しかけ、口をつぐむ。ふと思い出したことがある。


「なぁ、ナイーダ。おまえ最近、植物にやけに詳しくなったんだってな? 何かあったのか?」


「え?」


「あっ……えっと……」


 突然変えられた話題に頭一個分ほど背の高いセトを見上げ、大きな瞳を輝かせたナイーダにセトは一瞬動きを止め、うろたえたような動作を見せた。


「さ、最近さ。近衛のヤツらが言ってるんだ。ナイーダが作ってくれた傷薬がよく効くんだって。だから……」


 眉間にしわを寄せつつも無理に笑顔を作ろうとするセトだったが、ナイーダはその様子に気付くことなく嬉しそうに口元を緩めた。


「本当か? それ……」


「あ、ああ。みんな言ってるし、確かに怪我人の回復が最近特に早まった気がする」


 ナイーダの自分を捉えるその無防備なその表情がセトの理性を苦しめていた。


「俺自身、『呪いの森』の調査ばっか増えてアルバートを恨んだものだけど、おまえの作ってくれた回復薬を飲むと前ほど疲労がたまらないんだよ」


「えっ、セト、まだ『呪いの森』の見回りをしているのか?」


 それはイディアーノ国の北東部に位置する土地で、立ち入る人間に何らかの危害を加えるということで『呪いの森』と呼ばれ、近衛隊の隊員複数名によって調査が進められていた。


「まだまだわからないことが多いって、暇さえあればすぐにうちの班が向かわされているよ」


 ナイーダには命じられない任務を淡々とこなすセトはアルバートからよほど信頼をされているのだろう。


 心なしかしょんぼりしてしまうナイーダだったが、次のセトの言葉にすべて吹き飛ばされた。


「でももう大丈夫だ。心強いよ。おまえの回復薬さえあれば前向きな気持ちで任務に当たれるってみんな言ってるよ。もちろん、俺もな」


 助かるよ。


 その一言が、ナイーダの心を軽くした。


「お、俺さ、最初は少しでもアルの力になりたかったんだ。だからいろいろな薬草について調べたり、捜したりしてたんだ。でもそうしてるうちにどんどん楽しくなっちゃってさ。今では日課のようになって毎日薬草を調合してるんだぜ」


 少し得意気にナイーダは笑った。


 それはやっぱりいつものナイーダの表情ではなかった気がしたが、セトは平常心を保つように心がけた。


「ああ、アルバートも最近だいぶ生き生きしてるからな。おまえのおかげだろうな」


 その言葉はナイーダを有頂天にさせるには十分すぎるものであった。


「このボロボロな手も、少しはきれいになるような薬草が見つかるといいのにな」


 自分の手をかざし、ナイーダは独り言のように寂しそうに呟いた。


 そういえば、とセトは思った。


 ナイーダの小さな手のひらは、とても傷んではいたが、自分のと比べると傷みすぎだと。


「どれだけ稽古してんだ? おまえ……」


 単純なことが幸いしたのか、セトはすっかり今まで苦悩していた謎の胸の痛みもすっかり忘れ、ナイーダのまめだらけの手のひらを掴んだ。以前もひどいとは思っていたが、さらにひどくなっていた。


「ああ、まぁちょっとな」


 そういえば最近特に、アルバートとの稽古の時間が増えたことを思い出し、ナイーダはとっさに言葉を濁す。


「あのなぁ、ナイーダ。いくらおまえがアルバートを目指してるたって、限度ってもんがあるぞ」


「え……」


(目指してる……?)


「そうだろ? なんだかんだでおまえ、いっつもあいつを見ては必死に頑張ってるだろ。それってさ、敵対心よりももっと……」


「憧れてる!」


「そう、それ。そっちの方が強いと思うんだ。おまえは不服かもしれないけど」


 言葉を次いだナイーダに頷きながら、セトは続ける。


「だけどな。無理はよくないよ、無理は」


「そ、そうだよな!」


 予想外に、ナイーダはまた嬉しそうにぴょんと跳ね上がった。


「そうだ。俺はあいつを尊敬してるし憧れてるんだよな!」


「え? あ、ああ……多分」


 やけに生き生きと目を輝かせながらそう尋ねられ、そんな珍しいナイーダにセトはどう返していいかわからなくなった。


「そうか、そうなんだ、やっぱり」


(俺はあいつを意識してたんだ)


 ナイーダは笑った。


(愛しい人というわけではなく、誰よりも憧れの存在として!)


 そうだ。そう思えば気が楽になった。


「お、おい、やっぱり大丈夫か? おまえがそこまでアルバートを認めるのも気味が悪い」


 セトはもう訳がわからない様子だ。だが、


「ああ、俺、最近アルに対して変だったんだ。なんていうか、変な風に感じることがあるというか、目が離れなくなったり……」


 その後に続いたナイーダの言葉に、セトは表情をひきしめる。


「ドキドキ、したりとか、か?」


「え……」


 きょとんとして自分を見つめ返してくるナイーダに、セトはあまりの不自然さに言わなければよかったと後悔した。が。


「そう。そうなんだ。気になって気になって。俺、いいライバルとして最近あいつを意識しすぎてたみたいだ」


「そ、そうだよ。あまりに相手が凄すぎると意識しちゃって変な風に感じることってあるんだろうな」


 自分に言い聞かせるように声を張り上げ、ナイーダ以上にほっとした様子でぎゅっと握った拳を嬉しそうに胸の前に合わせ、セトも先程の落ち着きのない様子とはうって変わり、今やすがすがしい表情で笑っていた。


(なんだ、そうなんだ。そういうことなんだ。意識していたのは尊敬してたからなんだ)


 謎の胸のときめきの真相がわかり、ナイーダも共感したように心の中でガッツポーズをとってしまっていた。


 ナイーダもセトもお互いそれぞれの悩みが解消し、それから二人揃ってスキップをするように機嫌がよくなった。


 そんな二人の姿は、とても不思議な光景だったと、その後、近衛団の中でも噂された程であった。

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