第27話 月夜の晩と芽生えた気持ち

 ナイーダがいつも休憩時に訪れてるよく裏庭に着くなり、アルバートは小川のほとりに生えたごく普通に見える草を指差した。


「ほら、このあたりの半分がマター草だ。先月の雨が降った時から乾燥していない場所のシャムスは乾ききってない分、全て色を少し残しているんだ。わかるか?」


 あ、でも半分だったら使えないのか……と、独り言のように頭をかく彼の横顔をナイーダは未だ信じられないというように見入ってしまっていた。


(本当になんでも知ってるんだなぁ……)


 思わず感心してしまっていた。


 自分は何度も何度もばあやに相談したり本で確認したのに、雨の日に色が変わるものだとは知らなかった。


 なぜなら本にはただ、どこにでも生えていると書いてあったのだから。


(そりゃ、どこにでも生えているわけだ)


 雨を振ってから色が変わるのなら。


「アルは本当になんでも知ってるんだな」


 素直な気持ちだった。


「まぁ俺もこの薬草には苦労させられたからな」


「アルもこれを捜したことがあったのか?」


「ん? ……ああ、ちょっとな」


 思わず聞いてしまったのだが、明らかに彼は思い出したくない何かを思い出したのか苦笑を浮かべたのがナイーダにもわかった。


 彼女の手を握る彼の手にも微かに力がこもった。


 だが、その時になって初めて気が付いた。


 自分の手が彼のそれとしっかり結ばれていたことに。突然、ナイーダは異常な程に動揺し、慌ててその手を振り払ってしまった。


「あ、ごめん。すっかり夢中で」


 少し驚いたように振り払われた手を見つめ、それでもアルバートはまた優しい表情を作り直し、ナイーダに笑んだ。


 また、いつもの胸の高鳴りが始まり、ナイーダはそれを鎮めようと必死になった。


 だんだん大きく響き出すそれが目の前の人物に聞こえないように何度も何度も祈った。


 いつからだろう、と泣きそうになる。


 彼がこんな風に、普通に笑ってくれるようになったのは。いつも、あんなにナイーダを見ては不機嫌そうな顔をしていた彼が。


 まるで、リリアーナといる時のように。


 だからますます悲しくなった。


(まだ、前のままでいてくれた方がよかった)


 意地悪を言っていてくれた方が、堂々と強気になれた。


「ここは、夜もきれいな場所だな」


 珍しく子供のような表情を浮かべ、楽しそうに草むらに座り込み、アルバートは夜空から地上を照らし始めて輝く大きな月を見上げて瞳を細めた。


「いつも拗ねてミルクを飲み続けてる誰かさんを迎えに来る時は昼間だしな」


 そしてクスクス笑う。


「ほ、ほっといてくれ!」


 いつからだろう。


 ナイーダはできるだけ自然な声を装い、アルバートの瞳に自分が入らないように顔をそむけた。


 暗くて良かった。そう思う。


 本当に、どうしようもなかった。


「今日もまたセトがメレディスを追っかけてたんだぞ」


 ハハ、と笑い、ナイーダに視線を移したアルバートは、その彼女の顔に驚いたように息を呑んだ。


「ど、どうした?」


「な、なんでもねぇよ……」


 明らかに何でもなくはなかった。


 頬を真っ赤に染め、潤んだような瞳を左右に揺らしながら困ったように後ずさりするナイーダに思わずアルバートは立ち上がった。


「顔が真っ赤だぞ? また体調でも悪かったのか?」


 先程のメレディスの言葉を思い出し、慌てて詰め寄ろうとするアルバートの言葉をますます意識してしまったナイーダはさらに混乱したようにうろたえる。


「へ、平気! 平気だから……」


「いや、絶対変だ。送るよ。もう帰った方がいい」


 見てわかるような、自分はそんな顔をしているのか、とナイーダは顔を覆いたくなった。


「へ、平気だよ。じ、自分で帰れるから……」


 本当に変だ。


 月夜に照らされたアルバートの表情が心配そうに歪み、ナイーダはまた胸をしめつけられるような気分になってしまった。


「お、教えてくれて助かったよ。じゃ、じゃあ俺はまだ仕事が残ってるから……」


「でも……」


「アルこそ、しっかり休んで。また明日も薬草が必要だったら持ってくるから」


「いや、でもそれはおまえの方が必要だと……」


 アルバートが慌てたように声を荒らげても、もうナイーダの耳には届いておらず、未だ落ち着かないように後ずさりするナイーダはとても不自然な笑顔を作った。


「じゃ、じゃあな、アル。明日の空き時間も稽古、頼むな」


 そして一言残し、彼女は足早にその場を立ち去った。


 アルバートの姿がずいぶん遠くに確認できる距離へ移動してもナイーダの動悸は収まらなかった。


 どれだけ深呼吸をしてみても息は荒く、ナイーダはぎゅっと胸元を握りしめ、思わず座り込んでしまった。


(ど、どうして……)


 頭上を大きな月が、彼女を照らし続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る