第25話 アルバートの苦悩

 夕日が西の空を赤く染める頃、何も知らずナイーダは手に持つ書物に付箋をつけ、静かにペンを置く。


 少しでも多くの薬草の種類や特性を知るたびに、また一つ楽しみを覚えていた。


 その姿はアルバートにとって、今までの彼女には見られないほど輝き、生き生きしたものに見えた。


 今までずっと、朝も昼も夜もナイーダは飽きることなくアルバートのもとへやってきては、相手をしろと迫ってきた。


 最近では一緒に練習をするようになったものの、それまでは日を増す事に異常なほどだった。


(あいつはいつも泣きそうな顔をしていた)


 何か、とても悩んでいるように。


 アルバートは知っていた。


 ナイーダがいつもギリギリの所に立ち、男性である自分と女性である自分の間で揺れ動き、右へも左へも動けない、そんな自分自身に苦悩して、さらに自分自身で強く男だと思いこもうとすることによって逃げ道を作っていたことを。そして、それはすごくつらそうだったことも。


 アルバートが少しでも男だと認めると自分の居場所を見つけたように安堵した表情を浮かべ微笑んでいた。


「くそっ……」


 こんなにいらだちを感じたのは、アルバート自身にとって初めてのように思えた。


 何もかも知っているのに、何もしてやれない。それどころか、口を開けば傷つけてばかり。男と認めてやることしかできない。


 心のどこかでは、もう一人のあいつを待っている、そんな嫌な自分もいるというのに。


 いつも震えながら両手で握る剣はもう限界だと物語っていた。最近特にだ。顔色だって優れないし、本当に今にも倒れそうだ。


 一体、自分はどうしたらいいのだろうか。


「俺は……」


 誰よりも何もかも知っている。


 子供の時から、ずっと。


 だからこそ、何もできない。


 他のみんなみたいに普通の男として扱うことも、いくらあいつが他の男に頬を染めて微笑んでいたとしても、奪いさることさえできない。


 ただ許されているのは、側で相方としてこれまで通り支え続けることだ。


 これは、かなり酷なことだと思えた。


「アルバート様」


 後ろから聞こえたメレディスの声に、アルバートは足を止めた。


「メレディス」


「ああ、よかった。アルバート様、あの……ナイーダを知りませんか?」


「え? いないのか? もう帰ったとか……」


 空は明るい朱色をしていた。


「もう、どこ行っちゃったのかしら」


「何か急用だった?」


 こうやってメレディスが頬を膨らませる時は何かある。ナイーダと同じく長年の付き合いからアルバートは知っていた。


「あの、アルバート様……ここだけの話ですが、お気づきですよね、ナイーダのこと」


 メレディスが眉をひそめ、声のトーンを落としたことからアルバートも何となく検討がついた。


「あいつの体のこと、か?」


「そうです! 何とか言ってやって下さい。本当に、わたしが言ってもきかないし……」


「きっと、俺が言っても逆効果にしかならないと思うけど」


 間違いなく怒りだして、むしろさらに無理をしそうなタイプだ。


「それになぜだか最近は突然変な葉っぱを持って歩いているのか、それもご存じですか?」


「え……ああ、薬草についてよく勉強しているみたいだけど」


「あれは何なのですか? もう、本当に、いつも不気味な葉っぱと分厚い本を抱えて、何を考えているのかしら、あの子は……」


 『変な』やら『不気味な』とせっかくの薬草も葉っぱ呼ばわりで、男だと言い張る彼女のことも『あの子』と、まさに言い放題のメレディスにアルバートはさすがだと思わず吹き出してしまった。


「アルバート様! わたしは本気で心配しているのですよ!」


「あ、ああ、ごめんごめん。それにしてもメレディス、今日はいつもより荒れているようだけど、またセトに何かされた?」


 アルバートがからかうように微笑んで見せるとやはり図星だったのか、メレディスは少し頬を染めた。


「わ、わたし、あちらの方も捜してきます。お忙しいところ、お引き留めしてすみませんでした。し、失礼します」


 そう早口に告げると、彼女はそのままアルバートに背を向けて足早にその場を後にした。


「ったく、困ったもんだな、セトも」


 自然と頬が緩むのを感じ、彼は努めて少し大きめの声を出してみた。


「あまり女性を追い回すのもよくないぞ、セト!」


 そして、やっぱり笑ってしまった。


「何だよ、気付いてたのか」


 ふてくされた少年のような顔をアルバートに向け、柱の影からセトが姿を現す。


「甘く見ないでくれ。これでも近衛団おまえたちの隊長だけど」


「ああ、そうだったな。わかってるよ」


「それで、今日は何をしたんだ?」


「な、何だよ。その俺が何かしたような決めつけた言い方は!」


「違うのか? メレディスはいつも以上に動揺していたように見えたけど」


 アルバートの言葉に、セトはうっと言葉を呑む。


 そして、今にも消えそうな声を出した。


「何もしてねぇよ。何も」


 そして、悔しそうに顔をしかめる。


「彼女はナイーダの大切な人だ。とるつもりはない。ただ……」


 少し話がしたくて……そう言いかけて顔をそむける彼に、呆れるよりもむしろアルバートは尊敬の眼差しを送っていた。


 その勇気が、自分にもあればいいのに、そう心の中で思いながら。


「おまえはどうなんだよ」


「え?」


「この前の恋人と、その、うまくいってるのか?」


 突然振られた問いに、アルバートはきょとんとしてしまう。


「ああ……いや、その……」


 あの方は……と、どうしたものかと悩む。


 だが、そんなアルバートに気付くことなく、セトは憂鬱そうな瞳を閉じ、しゃがみ込む。


「いいよなぁ、アルバートは」


「はぁ?」


「立ってるだけで絵になるし、ちょっと笑いかければほとんどの貴婦人方もすぐに落とせるし、こんな悩みなんてないんだろうな」


 捨てられた子犬のような遠い目をしながら独り言のように呟くセトをアルバートは一発殴ってやろうかと思った。


「そんなことはない」


 それでも平然を装い、アルバートはひとつ咳払いをした。


「俺だってうまくいってないよ」


「え!」


 信じられない、といったセトの瞳が突き刺さり、あまりの居心地の悪さを感じたアルバートはとっさに出てしまった自分の発言に後悔した。


「だから、まぁおまえだけじゃない。そんなに凹むな」


 自分の言葉に説得力があるのかどうかはわからなかったが、セトは素直にアルバートを見つめ、静かに頷いた。

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