第18話 ライバルであり親友の存在
アルバートと剣を合わせることによってだんだんわかってきたのは、動きが彼のいうものに近づいてくればくるほど、とても動きやすく、一瞬一瞬の判断がしやすく、楽しいものに変わると言うこと。
だからすっかりナイーダは時間を忘れて夢中になった。
「今日はこの辺にしとくか」
と、アルバートが腰元にかけたタオルで汗を拭った時、今まで感じなかった疲れが急にどっと出て、今にも座り込みそうになった。それくらい真剣だった。
足がガクガクして鉛のように重い。
「うん。やっぱり昨日よりよくなってる。その調子だ」
珍しくアルバートはナイーダに柔らかな笑みを見せた。
その表情に、ナイーダの胸はまた鳴った。
「な、なぁ……」
だから、聞いてみたくなった。
「どうして協力してくれるんだ? 反対してるんじゃないのか? 俺のこと……」
そう、いつもあんなに……
「ああ、反対だ」
口調と共にふいっと顔を背け、やけにあっさり返された言葉に、ナイーダは呆然とする。
「い、いや、そんなハッキリと……」
どっちなんだよ、と言いたくなる。
「でも、努力は認める」
「え……」
「いつも誰よりも一生懸命だからな。おまえは。強くならないとおかしいよ」
彼のいつもと違う優しいオーラに、ナイーダは今度こそ胸の高鳴りを止めることはできなかった。
「あ、あの……」
だから、今日こそは言おうと思った。
いつも言おう言おうとしてなかなか言い出せなかった、お礼の一言を。
「ただ」
それでも先に切り出したのは、アルバートの方だった。
「次、そんな格好で俺の相手をしに来たら本気で襲うからな」
「は?」
(お、襲う?)
何を言っているのかと、ふと彼の言う自身の練習着に目を落とし、はっとした。
「お、おまえが予告もなく入ってきたんだろうが!」
これでもかというくらい顔を赤らめたナイーダは憤慨する。
「こ、これは……」
「男として扱われたいんだろ」
言い訳の言葉は山ほどあるものの、次に続いたアルバートの言葉に、声を失った。
胸が、ズキン、と別の音を立てた。
「他のヤツら同様に」
(な、何だ? このいつもと違う痛みは……)
ドクンドクンとさらに鳴り響く、先程とは違い、嫌な音にナイーダは違和感を覚える。
病気なのだろうか。
「俺は努力するよ。おまえが望むように、俺らの関係が今のままであれるように」
これからもずっと、そう告げるなり、一瞬の間をおいてゆっくり口角を上げたアルバートの言葉が痛かった。
(あ……)
これは、ナイーダが今までずっと、ずっと望んできたことだった。
望んできたことだったのに。
それでも今は複雑な気持ちでしかなかった。
「だから、おまえも負けるなよ」
何に対してなのか、彼はあえて言わなかったけどそれでも言わずともわかった。
嬉しくてなのか、悲しくてなのか、その言葉に目頭が熱くなる。
だから、もう言わずしてはいられなかった。
「さ、最後にするよ! 俺!」
あまりの勢いに圧倒されたのか、驚いたように目を見開いたアルバートをしっかり見つめ、ナイーダは言った。
「家だからってこんな気の緩んだ格好をするのはもちろん、弱音を吐いたり、女々しくするのはもうやめる。俺、ちゃんと頑張るよ。もっと、もっと、男らしく……」
そう言いかけ、ナイーダは軽い目眩を感じた。ちょっと興奮しすぎたのだろうか。足元がふらついてバランスを崩す。
あ、と思った時、すっぽりとアルバートの大きな胸に飛び込み、支えられる。
「わ、悪い……」
(い、言ってるそばから何やってんだ、俺は……)
頭ではわかっているのに、目の前がふらふらして一人ではまともに立っていられなくなっていた。
「いいよ。支えとくから。しっかり深呼吸して」
「ご、ごめん……」
いつもは恥ずかしさのあまり全否定して必死に抵抗してきたが、意識がもうろうとしてきた頭では、彼の腕の中は心地よくさえ思ってしまった。
やっぱり、兄上の腕にすごくよく似ていると思った。あの力強かった兄上の腕に……
アルバートに指示される通りに深呼吸し、かなり荒くなった呼吸を整える。
「ごめん」
どのくらいこうしていただろうか。
正常な呼吸とともに冷静な判断力も戻ってきたナイーダはゆっくり頭を上げる。
少し体が楽になったため、離れようとしたのだ。
が、ナイーダの体はそのまま動かなかった。力が入らないのではなく、不自然に。
「ア、アル……?」
「言っておくけど俺はさ、この姿のままでもいいんだ。好都合だし」
別に頑張らなくても、とからかうように笑ってナイーダが元気になったのを見計らい、アルバートはさらに彼女を引き寄せた。
「な、何するんだよ! ア、アル!」
「よかった。すっかり元気になったようだ」
「わ、わかったから離せよ!」
「やーだよ。いい香りがする」
「ふ、ふざけるな、この変態め!!」
余計な胸の高鳴りまで聞こえてしまいそうで、ナイーダは慌てて彼から身を離そうと必死になる。
「なぁ、チビスケ……」
アルバートはしっかりナイーダを支え、声を落とすようにしてそう呟いた。
「だ、だからチビって言うな……」
「おまえ、恋してるだろ」
「は……」
その一言に、時間が止まったように感じた。
「やっぱり」
やっとナイーダを締め付ける腕の力を緩め、彼は何か一人で納得したように頷いた。
「な、何言ってるんだよ!」
「だって、おまえ、最近妙にそわそわしてるし、よく何かを思い出して顔を赤くしたり、ボーッとしてることも多いだろ。だからそうかなって思って。どう? 図星だろ」
得意気ににっこりしたアルバートに返す言葉が見つからなかったナイーダは、やっぱり不覚にも頬を真っ赤に染めていた。
目を逸らしたからって、彼には自分の姿がしっかり見えているのだろうと思うと悔しい。
そんな姿に苦笑をして、それに、とアルバートは続ける。
「無理に男だと思いこもうとしてるしな、最近特に」
少し気遣い気味にナイーダを見た、アルバートに彼女は驚いた。
「おまえももう十五だし、仕方ないって言ったらそうだけど……」
そこまで言って、アルバートは躊躇いがちに目を逸らせ、言いづらそうに口を開いた。
「だから反対なんだ。男として戦うのは」
「え……」
(一体、どういう……)
「中途半端な感情を抱えたまま戦うのはかなり危険なことだと思う。心配なんだよ。幼なじみとして、友人としても」
わかる?と藍色の瞳を揺らし、ナイーダを見つめるその表情に、ナイーダははっとした。
「一瞬の隙が命取りになる」
言わんとすることはわかっていた。
ナイーダも悟ったことはある。
「ああ」
だからそのまま、彼をしっかり見つめ返し、彼女もそのまま続けた。
「わかってるよ、そんなこと。言われなくたって、わかってる。十分に」
中途半端な自分に、いつもナイーダ自身、うじうじと悩み続けてきた。
女なのか、男なのかはっきりしない自分は、一体どうしたらいいのか。
このままでいてもいいのだろうか、と。
アルバートが言いたいことも痛いほどよくわかる。
自分の油断や甘い考えが、自分だけでなく周りにも迷惑をかけるということ。
悪く言えば、大切な姫君にさえ影響してしまうことも考えたくない事実ではある。
「わかってるんだよ。わかってるんだけど……」
うまく言えないものの、言葉にせずにはいられなかった。結論はわかっているのに、どうしたらいいのかわからないのだ。
自分を気遣ってくれる、本当はとても優しい友人にこれ以上嘘はつけないと思った。
「あ、あのさ、アル……って、おいっ!」
それでもまた、彼がナイーダを引き寄せる方が早く、ナイーダはまたそのまま彼の腕の中で身動きがとれない状態になった。
「ちょっ、アル!」
「頑張れよ。俺は応援してるから」
頭の上で絞り出すようなアルバートの声が聞こえた。
「まさかおまえにこんなことを言う日が来るとは思わなかったけど……」
「さっ、さっきから何のことを言ってるんだよ!」
「恋するナイーダに、俺からの激励」
「だ、誰のこと言ってるんだよ、おいっ、アル……」
この体制で言うなよ、とまた顔にほてりを感じたナイーダは、それでも背中に感じるぬくもりに不覚にもほっとしてしまい、そのまま抵抗できなくなってしまった。
やはりえらそうに言っていても力では全く敵わないものなのだな、とぼんやり思う。
彼が本気で力を込めたのならどうなるだろうか。
大切な女性のことはもっと力強く抱きしめるのだろうか。
アルバートにこんな風にされる女性がいるのなら、と想像してそれがなんだか羨ましく思えた。
「おっと、ごめんごめん。からかいすぎたな。すみません。ちょっとこいつを部屋まで運んでやってもらえます?」
ニシャッと意地悪くアルバートは微笑み、ドアの物陰に潜む人物に向かって声をかけた。
「あら、バレちゃってたのぉ~」
「あ、姉上っ!」
いつの間にまた戻ってきたのか、目の前で楽しそうに笑うオベリアにナイーダは恥ずかしさのあまり、穴があったら入りたいどころか、どこかに消えてしまいたくなった。
「バレバレですよ。オベリア様」
「うちの可愛い弟にどこまで手を出してくれちゃうのか、しっかり拝見させていただこうと思ったのに、バレてたわけね。残念」
「なっ!」
「どうせこっそり見るのならもう少し気を利かせてくれてもよかったのに」
「ここは一応、神聖なる稽古場でもありますからね。それに、いつ父上がいらっしゃるかわからないもの」
警戒は必要だもの、とオベリアはずいぶん生き生きと告げる。
「あ、姉上!」
思ってもいないだろうのに、白々しい。
「わたくしを見張りに使うなど、良いご身分だこと、アルバート・クリアス」
「はいはい。大人しく退散いたしますよ」
自分の存在を完全に無視して話を進めるオベリアとアルバートは似た者同士のようにいつも思う。ふたりとも笑顔なのに、お互いの腹の中を悟らせない。余裕綽々なところも含めて、すべてだ。
しかしながら、今のナイーダにそんなことを考える余裕はない。
「お、おい……」
「ずいぶん遅くまで弟さんをお借りしました。では俺もこのまま帰ります」
ふらふらして今にもまた倒れそうなナイーダをひょいっと抱え、オベリアに預けると、アルバートは丁寧にお辞儀をし、そのまま稽古場をあとにした。
軽々と持ち上げられたナイーダは思わず悲鳴を上げかけたが、これ以上恥ずかしい振る舞いを上乗せするわけにも行かず、気まずそうに俯く。
その様子にオベリアだけが、ふうん、と意味ありげに笑った。
「そりゃ、毎日が楽しいわけよね」
「な、違うよ!」
「こんなにヒョロヒョロになるまでふたりで何してたのよ。やらしいわね。ここは神聖なる稽古場よ」
「見てたんじゃないのか! 稽古だよ、稽古!」
いつものこととはいえ、哀れな程に慌てふためくナイーダにオベリアはクスクス笑う。
「というか、おバカよね、ナイーダ」
「な、なんでだよ……」
「あれは間違いなくキスのチャンスだったのに……いつも教えてるでしょ」
黙って瞳を閉じれば完璧だったのに、とおおげさにため息をつかれ、唖然とする。
「は? ふざけるな。アル相手になんで俺が……そんなこそするはずないだろ」
何を言っているのだと、ナイーダは今にも噴火しそうになる。
「それにちゃんと見てたのか? アルはただ、からかってただけだろ!」
「それでもチャンスはチャンスだったわ」
「無茶苦茶な理屈はやめてくれ」
「殿方というものはね、ちょっと隙を見せればイチコロなのよ。いいところまで行っていたと思うのに、あとひとつのところが残念なのよね、あなたって……」
「神聖なる稽古場だとか何とか言ってたのはどこの誰だよ!」
「大切なのは、いかに自然に殿方に身を委ねるかということよ」
「ちょっと、聞いてる? というか、そんな変なことばっか妄想してるから姉上はいつまで経っても縁談がうまくいかないんだ」
「な、なんですって! どいつもこいつもわたしの王子様リストからは除外される人間ばかりなのよ!」
こうしてブェノスティー家の稽古場では、今宵も相変わらずの賑やかな姉弟喧嘩を繰り広げられることとなった。
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