第17話 ブェノスティー家の稽古場

「ねぇ、ナイーダ。今日はなんだかご機嫌ね」


 帰宅後すぐに稽古着に着替え、剣を振り回しながら珍しく歌を口ずさんでいたナイーダに向かって、ナイーダと一番歳の近いブェノスティー家の六女のオベリアが意味ありげな瞳をナイーダに向けてきた。


「な、何もないけど……」


「そう?」


「それより姉上、俺はもっともっと強くなるよ!」


 そう叫んでまた、ナイーダはにっこりした。


 ずっと我慢をしていた分、誰かにぶちまけ、しっかり泣いたことですっきりしたのだろう。


 ただ、頼った相手が相手である。


 そればかりはさすがに実姉とはいえ言えない。


「メレディスと何かあった?」


 意地悪く微笑むオベリアに、ナイーダは深く溜息をついた。


「姉上、知ってるんだろ。俺とメレディスはどんな関係か……」


「そうね。メレディスがいつもかなり怒ってるものね」


「だ、だったら……」


「それに今日も怒ってたわよ。勝手に忠告やぶってまたさらしまいて出仕してたって」


 ギクッとして、ナイーダは動きを止める。


「でも、仕方ないわよね。その格好じゃ、女の子だってばれちゃうわよね」


 末の弟(と、いうか妹)をからかうようにオベリアはナイーダの上から下まで眺める。


 ブェノスティー家の中で唯一オベリアしかナイーダの他に近づこうとしない稽古場で、一応メレディスの言いつけを守り、さらしを外したままで稽古着に身を包んでいたナイーダは姉のセリフに飛び上がる。


「あ、姉上、ちょっと、どこ見てるんだよ!」


「あら、本当に、女の子みたいな格好していると、あなたはやっぱり美人だな~と思って」


 練習着とはいえ、薄着でいつも以上に肌が露わになり、いつもはぶかぶかの服でごまかしていた華奢な体も、着る物が変わるとナイーダはすっかり年相応の女の子に見えた。


「こ、ここには姉上しか来ないから、特別なんだ! 父上が来たら慌てて逃げるから教えてくれよな!」


「あらそう。父上だけでいいのね」


「他の姉上たちも母上だってこんな所に訪れたりはしないって」


「そう、了解」


 ぶっきらぼうで高らかとしたオベリアの声が稽古場に響き、ナイーダはまた構え直した。


 少しずつ集中力が高まっていく。


 いい感じだ。


『そう、わかるか、この角度だ』


 ふと、ナイーダの動きとその声が重なった。


『そうだ。その位置からそのまま下に……』


 サラッとした美しい金色の髪が今もまだ、自分の目の前で優しく揺れているような気がしてナイーダは動きを止めた。


『おまえはやっぱり呑み込みが早いな』


 静かに向けられた、その瞳を思い出し、ナイーダの胸はまた高鳴りを始めた。


(エリオス様が変なこと言うから……)


 さらにドクンドクンと全身を響かせる鼓動に、ナイーダはもう否定はしなかった。


(俺は……)


「おい! 剣を持った時に恋愛モードに入らないこと」


 後ろから聞こえた、明らかにオベリアの声ではない別の低い声に、ナイーダは恐る恐る振り返った。


「なっ! なんでここに……」


 ナイーダは混乱気味に絶叫し、恨めしげにオベリアを見つめると『だって、父上以外の人なら教えなくていいって言ってたじゃない』と言わんばかりの表情でベーっと舌を出したオベリアが瞳を細めた。


(あ、姉上……)


 そんな二人のやり取りを不思議そうに眺めて立っていたのはアルバートだった。


「お、おい、アル。何を人んちまで堂々と上がり込んでんだよ」


「今日はお互い、早いお暇をいただいたから、わざわざ練習を見に来てやったんだろ」


 それに、練習を見るといったらファード様も許してくれたし、と付け加える。


「こ、ここはプライベート用だ!」


 父上まで!と真っ赤になりながら憤慨するナイーダに、ふうん、とアルバートは笑った。


「確かに、他のヤツらが見たら大変だな」


「わ、悪かったな!」


 こんな格好で!と明らかに自分の姿を見て告げられたのだと気付いたナイーダは慌ててしゃがみ込み、またギャーギャー騒いだ。


「いや、想像以上に最高の眺めだと思ってな」


「こ、このっ、変態野郎!」


「何とでも言え。たまには自宅でのトレーニングを見に来るのも悪くないな」


「ふ、ふざけるなよ!」


 キイイイイイと相変わらず余裕なく怒り狂うナイーダをからかいアルバートは元気になってよかったと内心で思っていた。


 そしてもう一つ。


「本当にそろそろ無理があるだろ……」


 と、思わず漏れた小さな声は、未だ目の前で騒ぎ立てるナイーダには聞こえることはなかった。


「するのか、しないのか?」


 しかし、貴重な時間を無駄にしに来たわけではない、とアルバートに話題を戻され、ナイーダははっと顔を上げる。


「どうする? 不要なら帰るけど」


 ナイーダの瞳にはいつの間にかいつもの強い光が戻っていて、先程まで恥ずかしがっていた人間とは思えないほどの気迫でアルバートを見つめ返し、言い放った。


「頼む!」


 それからナイーダは、アルバートの指導に従い、無我夢中で稽古に励んだ。


 いつの間にかオベリアが稽古場から姿を消していたことにも時間が過ぎることすら忘れ、ただただ目にも止まらぬ早さで技を繰り広げるアルバートの動きに集中した。


(すごい……本当に、すごい)


 認めたくはなかった。


 でも、認めざるを得なかった。


 同時に、ぎゅっと胸のあたりが締め付けられるように痛んでナイーダは気付いてしまった。


 絶対に口にすることを許されない、ある気持ちを。


「行くぞ!」


「お、おお!」


 今夜はまた、いつもより一層と賑やかな声が、ブェノスティー家の稽古場から聞こえたのであった。

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