第6話 喪失

 初めてカリュリスの前に引き立てられた時のことを、ふと思い出した。特に粗暴な招集があったというわけではない。やってきた近衛兵の装備が煌びやかで憧れたことは覚えている。だが、それらはすべてカリュリスを目の当たりにすることで吹き飛んだ。


 ――なぜ、カリュリスのことを思い出しているのだろう。


 緊張に対する斟酌、そして誠意のある謝罪。街中でハーゲルを見出した時のこと、願望と葛藤。家族とのやり取りも決して威圧的なものではなかったので、奇妙なほどすんなりと自分の身の上の激変を受け入れてしまった。


 そのカリュリスの、宝石を慈しむかのような愛し方とはまるで違う。とはいえ先ほどまでの接し方から想像できたように、決してフューレのそれも粗暴、とは程遠い。決定的に違うのは、そこに激情があるかどうか、だろうか。


 どちらがどう、という話ではない。敢えて言ってしまえば、どちらも、愛おしい。


 快楽を受容することを学んだ身体である。痺れ、霞がかった脳が、その感覚の奔流を浴びながら、しかし一方では冷静に、こうも呟くのだ。


 ――これが、フューレ・デアヴェルトか。




 この時間が終わってほしくない。

 快楽、感情。

 二つのゆえにのみ、そう思えたのであれば、どれだけ喜ばしかっただろう。終局が近づくのを感じ、涙が改めて溢れてきた。


「痛かったのか?」

「多少な」


 そういうことにしておいてほしい。

 それ以上のことには、気づかないでほしい。


 フューレを抱き締める。呼吸が、拍動が同期しているのを感じる。

 心地の良い疲労と倦怠。フューレという男の存在感を、この肌に刻み付ける。


「なぁ、ハーゲル」

「ん?」

「おめぇさんとは、もっと語り合いてぇ」


 胸が締め付けられた。

 叶わぬ願いだが、と言いそうになった。


「あぁ」


 なぜか、ふ、と微笑したのが分かった。


 フューレは起き上がり、シャツを着る。

 背中を向けたまま、水差しから直接水を飲み乾した。


「明後日、この町は火の海に落ちる」

「火の、海に?」


 相槌は来ない。

 来ないまま、言葉は続く。


「そのドサクサでおめぇさんが死んじまったりしたら、とてもじゃねえが耐えられそうにねぇ。逃げてくれ、この町から」


 その言葉尻に匂わされる、諦めの感情。

 薄々ではあるものの、フューレも気付いてしまったのだろう。ハーゲルがどのような立場にある存在なのか。


 それが正確な理解なのかどうか、はこの際問題にはならない。

 だから、問いを投げる。


「アンタは、その後どうするつもりなんだ?」

「その後か?」


 天井を見上げ、深呼吸を一つ。

 振り返って見せたのは、悲しいくらいに明るい笑顔だった。


「そうだな。大切な奴の手にかかる――ってのも、悪くねえ」




 これが、神の恵みか。

 これが愛。これが、正義。



「比類なき殊勲だ、我が蜜よ」


 遠い喧騒の中、カリュリスの言葉だけが、妙に近い。


「炎の矢団の動向を掴み、我らに機先を制する契機をもたらしたに留まらず、よもやフューレをも討ち果たすとはな。皆がお前を称えることであろう」


 興奮したような、虚脱したような。大いなる勝利はまた、カリュリスにとっても大いなる喪失なのだろう。ことカリュリスに対しては奇妙なほど冷静な分析をすることができた。それが、無性に可笑しい。


「はい、閣下」


 顔を上げる。

 目が合った瞬間、あの秀麗なるカリュリスの顔が大きく曇った。初めて見る表情だった。カリュリスをしてそうさせるほどの顔を、自分がしていた、ということでもあるのだが。



 どのような顔をしていたのだろう。

 歪な嗜虐心が疼いたのだ――それだけは、覚えているのだが。

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