第5話 歌
「落ち着いたか?」
「あぁ」
どれほどの時間を、その態勢で過ごしたのだろう。おそらく、ひどい顔にはなっているのだろう。だが、驚くほど心は軽くなっていた。
「ありがとう。えぇと、」
「フューレだ。おめぇさんは?」
フューレ。……フューレ?
「ありがとう、フューレ。己はハーゲルという」
まさか。よくある名前ではある。
今更の自己紹介なんてな、フューレはそう言うと、ようやくハーゲルの肩から手を放した。
「しかし情けねぇやな、大の男がおいおいと」
全く返す言葉がない。顔を見るまでもなく、フューレがにやついているであろうことは分かる。だから、負け惜しみに反撃してやることにした。
「よく言う。アンタも泣いてただろうに」
「ほぅ? いつのことだ」
「歌ってるときだよ」
「!」
覿面だったようだ。ようやく逆襲の端緒を得た。余裕の笑みを形作るのも、これならば難しくなさそうだ。
改めて、フューレを見る。
拳一つ分。ほんの僅かだが、後退っている。顔は笑っているが、どう見ても余裕がない。
当然だ。確証があるから、ハーゲルもナイフを突きつけている。
「違和感があったのは一回目。我らが友、郷、親。元々高ぶるところではある。けど、アンタの歌はそこにもう少し上乗せがあった」
「ほう。それで?」
「だから試した。二回目、三回目。敢えて溜めた。引っ掛けた。全部アンタはついてきた。愛する、とはちょっと違う気がした。あれは、もっと深い」
言い切ってから、深呼吸する。軽く引っ掻くだけの筈だった。だが、刺してしまった。思いがけず、全力で。
フューレが顔を背けた。「参ったな」と口に手を当てる。
「やけに読めたわけだ。お互い様だったのかよ」
訪れる沈黙には、やはり沈黙で答える。ちら、とフューレがハーゲルを見た。
互いに、もう、笑顔はない。その代わり、真摯な顔つきではいるように、と努める。
「そう、だな。確かに、泣いてたのかもしれねえ。今でこそあいつらと笑っちゃいるが、ここまでに失ったモンは、あまりにも多すぎた」
こんな事話したなんて他の奴らには言わないでくれよ、と幾分か冗談めかした断りを入れてから、大きく息を吸う。
「元々、俺ァ軍人でな。けど、まぁ何やかやあって祖国を脱出しなきゃいけなくなった。その時に仲間と、あと家族を失った。逆賊追討、ってな。戦争に負けたんだ、当然の報いさ。けどな、大切なモンを奪われた恨みって奴はそうそう払拭できるもんでもねえ」
追っ手を逃れ、各地を転々としていく中で、自然とフューレの周りには仲間が集まってきたのだ、と言う。
ふとハーゲルは階下の者ものらのことを思い出した。
陽気そうでいて、しかし、鋭い気配の持ち主たち。個々人で言えば、おそらく誰もが自分など足元にも及ばないほどの使い手なのだろう。ふとした冷静な分析が、先だっての自分の行動、そのあまりな無謀さを突き付けてきた。今更のように寒気が走る。
「始めはな、そりゃ恨み辛みも抱えたまんまだったさ。けど、仲間を得て、戦い、また失って。そいつを繰り返してく中で、気付けば多くの仲間の運命、想いを背負う身の上になった」
顔面の前で拳を握る。
「正直、今振るってる拳の重さは嫌いじゃねえ。だが、その為に失ったモンのことを思うと、時々立ち尽くしそうにはなる。そんなこと許されねえから、尚更、な」
力なく、拳が開いた。
「――そうか。だから歌ってたんだな」
幾度目かの沈黙。
途方もなく広く感ぜられていたはずの背中が、今はこうも、狭い。
ハーゲルは自分の掌を見た。
自分に、何の言葉が掛けられるだろう。
フューレがしてくれたような形では、その傷を受け止められそうにない。
だが、何とかできないか、とは思わずにおれないのだ。
意を決し、手を伸ばす。
「フューレ」
「ん?」
振り向いたフューレの顔に腕を伸ばし、
唇を、重ねる。
「!?」
驚愕と緊張が伝わってきた。
だが不思議なほど、抵抗はない。
体重を預ければ、そのままベッドの上に重なった。
唇が離れる。
その顔を見下ろす。
「おまっ、いったい何を――」
「アンタみたいに、うまく心を沿えられる気はしない」
思いがけず強い語気になった。フューレの顔から、もう動揺の色が抜けていく。強い男なんだな、と思う。改めて。
「けど、身体なら、せめて寄り添わせられるから」
我ながら随分と破綻した物言いだとは思う。けれど、止まらない。
交錯した視線が一瞬外れた。
改めて交わったとき、そこに驚くほどの穏やかさが乗ったのを感じた。同時に感じてしまうのは、憐れみ、だろうか。
「ダリルのいたずらに、やけにいい反応したわけだ」
それが誰か、などあえて問う必要もないだろう。
優しく引き寄せられる。
「そうだな。おめぇさんとなら、そう言うのもいいかもしれねぇ」
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