第37話 急がずに、ゆっくりでいい

 マクヴェイ公爵家の屋敷に戻ってからの日々は慌ただしくも過ぎていった。

 私は魔力吸収マジック・ドレインの能力を使い、定期的に魔力量の多い王侯貴族たちから《赤い果実》の欠片だけを取り出す仕事を順調にこなしていった。


 処置はハイド卿とベルナルド様の立ち会いの下、王城の客室で行われ、私の紹介をする際は「ベルナルドの婚約者」と必ず付け加えてくれた。特異体質であることや王家とマクヴェイ公爵家の保護下にあることを先に説明しているからか、作業はトラブルもなく順調だった。


 魔力吸収マジック・ドレインの仕事は私の肉体に負荷がかからないよう週に二、三回にしてもらい、残りはマクヴェイ夫人お義母様とベアト様に令嬢としての立ち振る舞いやマナーなどの教育を受けている。

 ダンスレッスン、挨拶、歩き方から紅茶を飲むときの姿勢、食事のマナーなどを教わった。


「おめでとう、シャーロット。合格よ」

「お義母様。ありがとうございます」


 ドレスの裾を摘まんで膝を折りお辞儀すると、拍手で合格点を貰えた。

 今日はベアト様の都合がつかず私とお義母様とのレッスンだったのだが、いつも以上に嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。


「ふふっ、本当によく頑張りましたね。ベルナルドのお嫁さんが貴女みたいな子で私もとっても嬉しいわ」

「そ、そうでしょうか……」


 お義母様に褒められると何だか胸がくすぐったくて胸がそわそわしてしまう。私の実の母は自分が高卒だからと口にして「もっと頭が良かったら」と口癖のように言って嘆いていた。


「そうよ。頑張り屋さんなのはこの半年ずっと見てきましたもの。……一生懸命で、ひたむきで、明るくて、とっても優しい。自分を押し殺してでも大切な人のために頑張ろうとするのは今日までにしてほしいの」

「え」


 お義母様は私の両手を掴んで諭すように微笑んだ。


「頑張り続けたらそれが当たり前になってしまうわ。無理をし続けてしまったらいつか心と体どちらかが限界を迎えて壊れてしまうの。シャーロット、貴女にはそうなってほしくない。ベルナルドと一緒に生きていくのでしょう」

「はい。……でも、それならベルナルド様の隣に立てるような淑女じゃなければ、公爵家が恥をかいしまいます。……それは嫌なのです。それにベルナルド様は、とても格好よいですし、素敵で優しい方です。もし心変わりをしたら……」


 ベルナルド様はディフラの中では攻略キャラには含まれていない。

 けれど彼が万が一心変わり、あるいはすてきなご令嬢に心惹かれたらと思うと胸が苦しくなる。自分に自信がないことを告げると、お義母様は大きく溜息を吐いた。


「シャル、いいことを教えてあげるわ。ベルナルドが使った《時戻しの魔法》の発動条件はね、マクヴェイ公が生涯にただ一度きり使

「……え、な」

「ベルナルドはそれを貴女に使ったの。貴女ともう一度出会うために、魔法を使うほど、あの子は貴女に惚れ込んでいるのだということを忘れてはいけないわ」

「ベルナルド様が……」

「そう。夫もそうやって私が死ぬ前に力を使ったそうよ。ふふっ、私は覚えていないけれど。……貴女もベルナルドも色々溜め込みそうだから、会話をできるだけたくさんするといいわ。急がないで、ゆっくり、焦らないでいいの」

「ありがとうございます……」


 私もベルナルド様もディフラの舞台となる魔法学院での起こる出来事を警戒して、思っていた以上に焦っていたのだろう。

 それにお義母様は待ったをかけてくれた。お説教でも、お節介でもなくまるで道標のように自然に気付かせてくれる。


「ふふっ、これでレッスンは終わりよ」

「はい――え」

「次は実践が待っているわ」


 満面の笑みのお義母様に私は背中から嫌な汗が流れ落ちる。


「ええっと……。ゆっくりするのでは?」

「もちろん。スケジュール調整はまかせて。シャルの社交界デビューが楽しみだわ!」

「しゃ、しゃ、社交界デビュー!?」

「あー、早く未来の娘をマダムたちに紹介したいわぁああ」

(ええええええええええええええええええええ!?)



 ***



 そんなこんなで半年かけてようやく合格点をもらい、ホッとしたのも束の間――今度は社交界デビューやらお茶会、サロンの招待状が続々と届いた。

 どうやら試練の先には新たな試練が用意されているようです。神様、どういうことですか。


(社交界デビュー……、人がいっぱい……ああ、胃が……)

「(緊張しているシャルが子ウサギみたいで可愛すぎる。目を潤ませて『行きたくない』とか言われたら、決意が揺らぎそうだ……。いや、今日は絶対に連れて行かなければ……)本当は父様と母様も出席する予定だったんだが……すまないな」

「もしかして、ここ半年で魔獣の死骸が発見された件が片付いていないからですか?」

「ああ。戦闘の形跡はあるんだが誰が倒したのか不明らしいので父様たちが直に検分することになって忙しいようだ(両親を心配するシャルが可愛い。好きだ。……あー、人前に出したくない。でも俺のシャルだって見せびらかしたい……)」

(まだゲームシナリオが始まっていない段階で魔獣が出てくるなんて……。アレって一応、ラストステージぐらいだったと思うんだけど)


 もし現段階で魔獣を倒せる人がいるのなら十中八九、ヒロイン彼女だけだと思うが、確証のないことを言ってベルナルド様たちを振り回すのは得策じゃない。私のようなイレギュラーな存在が他にもいるかもしれないのだから。

 唸っていると、ベルナルド様が声をかけた。


「(やっぱり人前に出るのが……それとも俺が婚約者っていうのはやっぱり嫌なのか? ……あーだったら凹む。このまま自室に戻って部屋の片隅で蹲って時間が経つのを耐え――って、それじゃあ何も変わらないだろうが、しっかりしろ。もう時間を巻き戻すことができない。シャルを悲しませる未来には絶対にさせない。そのための社交界デビューなのだから!)……唸っていても今日は連れて行くからな」

「(……って、そうだ、パーティー!)ベルナルド様、ほ、本当に参加しないとダメですか?」


 泣きそうになり潤んだ瞳でベルナルド様に縋ったが、「ダメだ」と即答されてしまった。もう少しあざとさを学んでいたら回避できただろうか。


「……今日ようやく俺の婚約者だとシャルをお披露目できるのだから逃げられては困る」

「初耳ですけど!?」

「ああ、今言った」

「!?」

「(俺は昨日寝られなかったけれど、シャルまで寝不足にさせるわけにはいかない)前もって言うと前の日に緊張して眠れなくなるだろう」

「う……ソノトオリデス」

「安心しろ、俺がずっと傍にいる」


 はにかむベルナルド様がかっこよすぎて辛い。

 特に今日は正装で着こなしもきっちりしており、黒服がとても似合っている。対して私のドレスは白で、胸元のネックレスや髪留めなどは濃青を使っていた。全部ベルナルド様からの贈り物で、それを侍女のサリーから聞いた時は嬉しくて何度か聞き返してしまった。


(ベルナルド様の低音ボイス……! 耳が幸せすぎる!)

「(あーーーーーー、ここで似合っているとか、好きだとか、可愛いぐらい言ってやれよ。何のために昨日練習したんだ?)……っ、シャル」

「あの、ベルナルド様。ドレスやアクセサリーなどありがとうございます」


 勇気を持って感謝を伝えたら、何故かベルナルド様は両手を顔に当てて背を弓なりに曲げてもだえていた。

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