第16話 氷の貴公子ベルナルドの視点1
「これをお前に渡しておこう」
十歳になった頃、父は銀の懐中時計を手渡してきた。
思っていたよりもずっと重かった。
「父様、ただの懐中時計とは違うように思えるのですが」
「ああ、我が家で代々継承している特別魔導具だ。それで一度だけ時間を巻き戻すことができる」
我が家の魔法は氷華系だと思われているが、実際は時を凍結するものだったりする。それゆえ時を戻すという言葉もさほど驚きはしなかった。
「そうですか。……国家の危機の際に使えと?」
「違う。好きな女の危機に対してだ、馬鹿者!」
父様は激高し、ゲンコツを一つもらうはめになった。
この国の裏社会を牛耳る男は陰鬱で冷酷とはまるで正反対の熱血漢だった。仁義に厚く人情深く涙もろい愛妻家。筋骨隆々で背丈が百八十の父に対して小柄な母は超絶美人であり、端から見て美女と野獣である。
しかしこの夫婦は年中新婚かと思うような熱愛ぶりをみせるのだ。息子の前でも。
「ふふふ、お父様も私と出会うまではとーっても無愛想で全く笑わなかったんですよ」
「嘘でしょう」
「嘘じゃない。あれは母さんが空から吹っ飛んできた時か」
「ええ、身売りされそうだったから死ぬつもりで三階から飛び降りたときですね」
二人の馴れそめを聞くのはもう何百回目になるだろうか。
愛する人が見つかるだけで世界は変わる、と父様はよく言っていた。
そんな両親は俺が十五歳の魔法学院在学中に亡くなった。
馬車が転倒し崖から落ちたという。丸くなったとは言え今までに様々な人の命を奪ったのだ、まともな死に方はしないだろうとは思っていた。
両親は「そんなことはない」と言っていたが結果は変わらない。
「父様、母様……」
墓の前で一日中泣いていた泣き虫でウジウジした性格を殺して、無愛想な仮面を被り続けていた。
それを外したのは俺の後ろを付いてくる後輩で、いつも笑顔で声をかけてくる。
「ベルナルド様!」
灰色の長い髪、空色の瞳にあどけなさが残る彼女がとても可愛くて、すぐに好きになった。
父様の言っていたことは事実だったのだ。
好きな人ができるだけで世界が変わる。
俺が
最初は刺客か罠かなんて思ったが、彼女はあまりにも純粋で、清らかでお日様のよう。
好きにならないはずがない。
(ああああああああああああああー、すごくかわいい。ギュッてしたら柔らかいんだろうな。いや力の加減を間違えると肋骨を折って骨が肺に刺さって殺してしまうかもしれない。家に帰ってサンドバッグで力加減を調節しないと。……それから、本屋だ。意中の相手に好かれる方法も! ハッ、いやいや、俺みたいな根暗でクソ野郎が人に好かれるわけなんかない、何夢見ているんだか……)
「ベルナルド様、疲れているときは甘い物を食べると元気が出るそうですよ」
そう言って彼女は俺の隣で手作り感満載の
え、なにこの天使。
「(あああああああああああああ空気の読めるシャーロットが可愛すぎる。だがチャラい男とかキャラが違うなんて思われて幻滅しないようにしなければ。平常心、平常心。こういうときの呼吸法はあー、アルバートが言っていたヒーヒーフーだったか?)…………そうか」
「はい!」
(そうか、じゃなあああああああああああああああああああい。もっとこう言い方ってものだあるだろうがあああああああああああああああ。いや、でも今さらゴミクソみたいなメンタルの俺を見せて引かれない? ……引かれるよな、絶対。強がって誤魔化して、負のオーラまき散らすダメ人間なんて死んだ方がマシだと思われるよな)
「ベルナルド様、はい、あーんしてください」
「ん」
チョコレートをひとつまみ近づける彼女に促されて口を開けた。チョコレートは甘くて幸せな味がして、癒やされる。
(シャーロットに裏家業のことを知られても――今までと同じように接してくれるだろうか)
ほんの少しずつ会話が増え、なぜか領地経営について口を衝いて出たら彼女も嬉々として話してくれたので、そっち関係の話題を出すことが増えた。
(領地経営ってそれって、結婚まで考えてくれているぅうう? 普段オンとオフをきったら俺はダメダメで、泣き虫で、格好悪いのにそんな俺にこんな可愛い子が? 嫁いでくるの? え、控えめに言って最高なんだけど!? いやいや。こんな人を殺すばかりのゴミ野郎が人並みの幸せなんて夢見すぎだろう。死んだ方がいいよな。今さら俺がニタニタするなんて気持ち悪いし……。硬派でクールな性格が好きだとか言われる可能性だって充分にある。シャーロット、好き好き愛してる、なんて突然言い出したらドン引きするよな……。シャーロットに嫌われたくない)
この頃になると眉間に皺が顔に刻まれ無愛想で鉄仮面が板に付いてきた代わりに、素の自分はどんどん殺されていった。
それでも俺が魔力暴走しなかったのは、隣にシャーロットが笑顔でいたからだ。
お日様のように明るくて、優しくて、ちょっと抜けているところが可愛い。
変なところは真面目で、俺との距離感も弁えているのか空気をよく読んでいた。
あいかわらずシャーロットは可愛くて、耐えきれずに頬に触れたら顔を赤くして──天使がいた。
それから精一杯の勇気を振り絞って婚約して、結婚した。
告白したときも、プロポーズも足が震えていたし、声も上手くでてこなかった。
何度も書き直して暗記までしたのに、言葉にできたのは四分の一だっただろうか。
ずっと笑顔で、傍にいたから安心していたんだ。
明日はちゃんと自分の素と、裏家業のことを話そう。
そうやって逃げて、シャーロットに甘えて、寄りかかって、頼り切っていて──。
裏社会を牛耳ることで常に狙われることも増えた。
そのたびに処理をしてきたが、あの日屋敷に戻ってすぐ隣国の引き抜きとして
こっちは久し振りに妻に会って癒されたいというのに、腹立たしかったので即行で殺そうと近づいたのだが運悪く妻が部屋を訪れてしまった。
「愛する奥様に気付かれるかもしれないわよ」
「アレは気付かないさ。付き合ってから、ずっと気付いていないのだから」
裏家業も素も全部隠してここまで来たんだ。
この先も隠し通して──。
それがいけなかった。
俺が騙していたこと隠していたことがショックだったのだろう。妻は俺の姿を認識できなくなってしまった。いや、今思えば浮気を疑われた可能性がある。
幸いにも声は聞こえているのでやりとりはできる。
これを機に一緒の時間を増やして、自分の素と仕事のことを打ち明けよう。
明日こそ。
明後日には、絶対に。
ようやく決心が付いて打ち明けようとしたが、この時の妻はもうどうしようもないくらいに傷ついて、苦しんで、寂しかった感情が心を蝕んでいた。
ずっと笑顔で支えてくれて、甘えていたツケがきたのだ。
彼女は俺なんかと違う、強くて一人でも大丈夫だと思い込んでいた。
本当はとても繊細で寂しがり屋だった。頼ろうとしてくれないんじゃない、頼ろうと手を伸ばしていたのを俺が気付かないうちに振り払っていただけ。
シャルの話を聞いているだけで、何を望んでいるのかもっとコミュニケーションを取るべきだった。
彼女が王都に戻ったと聞き、そんな当たり前のことに遅まきながら気付いた。
それと同時に、こんな俺が彼女の夫でよかったのだろうか。
彼女を追い詰めてまた元に戻ろうなんて、都合がいい。
別れるとしても彼女の意向を聞こうと王都に向かって──愕然とした。
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