第10話 崩れていくもの


 パキン。


 砕け散った音。

 それと同時に、ずっと胸の奥底に抑え込んでいた真っ黒な感情が噴き出す。

 直感でそれは芽吹かせてはいけないナニカだと気づく。

 自分の中で殻が砕けた後、ナニカが芽吹き私の心を、感情を喰らっていき──。


(……あれ? 私、?)


 心なしかずっと苦しかった感情が和らいだ気がする。

 


「シャル?」

「え? あ、ごめんなさい。……なんだかちょっとボーッとしてしまって」

「…………」

「……シャーロット、顔色が悪いけど。やっぱり今すぐにでも王都に戻ろう」


 なぜか二人とも蒼い顔をしている。

 なにか変なことを言ってしまっただろうか。小首をかしげているとベアトは「無断で屋敷を出るのははばかられるだろうから一筆書いて」と言い出した。


 その迫力が有無を言わさないものだったので、私は言われるがまま頷くしかなかった。ついさっきまでは「でもでもだって」と言っていたのに、自分でも不思議と「屋敷を出たほうがいいかも」と思うようになっていた。

 なぜろう。

 

 旦那様と離れたくない気持ちが、抵抗感がなくなっていた。


 手紙の書き出しは『愛しい旦那様』ではなく『ベルナルド様』となり、文章も味気ないというか簡潔だった。

 便箋の枚数も二、三枚になるはずなのに一枚だけ。

 書きたいことが思い浮かばなかった。

 不思議だ。

 旦那様に手紙を書くときは、もっと胸が躍るような気持ちだったのに、どうしてあんなに楽しい気持ちになれていたのだろう。今考えるとよくわからない。


 荷造りはハンナかがテキパキと進めてくれて、私が封筒に封蝋を押している間に準備は終わってしまったらしい。

 元々この土地に来るときにトランク二つ分だけしかなかった。

 旦那様が贈ってくれたものはアクセサリー、ドレスもあったが忙しくて殆どクローゼットの肥やしになっていたので領地の復興のため予算が足りない場合には、これらのドレスや宝石を売ってなんとか資金を作っていた。


 新規事業は初期投資が必要だったので旦那様に手紙を送ったのだが、資金が期日までに届くことはなかったのを思い出す。その時は「旦那様は忙しいのだから」とポジティブに捉えていた昔の自分がいかに盲目だったのか、今の自分は少し客観的にみてそう思った。

 旦那様は私自身に興味があったわけじゃない。

 今になって優しくなるのも、領地経営ができる存在を惜しんでいるから。

 


 三年前ならいざ知らず、現在領地経営は軌道に乗って上手くいっている。私の手が離れても大丈夫なぐらいにはなっているほど――。

 それも旦那様は分かっているから私の負担の減らすと言いながら、領地経営権を移すつもりだったのかもしれない。だからこそ私に優しく接して、時間を作ってくれた?

 違うと思おうとしても、一度生じた疑念はみるみるうちに増長していく。


 要塞のような屋敷。

 領地経営が上手くいっていない土地。

 今まで屋敷にあまり戻られなかった旦那様。

 大切にされていたわけでも、愛されていたからでもなく、ただ都合よく利用されていただけ。

 旦那様が裏社会のボスだとも、《王家の番犬》だというのも私には一度も話をしてくださらなかった。弱音も、笑顔さえ――。


(どうして気付かなかったのかしら? 愛されていると気付かないままだったら幸せだった――しら?)


 事実を知っても胸の痛みはなかった。

 苦しくてつらいという感情が麻痺してしまっただろうか。

 とても不思議だ。

 結んでいたリボンが解けたように、繋がりが切れたような感覚。

 私がこんな状態だからかベアトやアイリスが心配して屋敷ここから離れようと言い出したのかもしれない。


 それからハンナに「ベアトリーチェとアイリスの宿泊するホテルに泊まる」と執事ジェフに伝えて貰い、私たち三人は王妃専用馬車に乗せてもらい早々に屋敷を出立した。

 旦那様はいなかったのか引き留めることもなく、あっけない形で私は王都に戻った。


 辺境地から王都まで馬車を飛ばしても四日はかかるのに、高価な転移魔導具を使って夕暮れ前には王都の関所を通過していた。

 賑やかな声に、懐かしい建造物に私は窓の外を子供のように眺める。

 三年の間に建物なども真新しいものが増えて、人も辺境地よりも多く賑やかで活気に満ちていた。


「なんだか変なの……。数時間までは屋敷に居たのに」

「新幹線に乗った感覚だよな。高価な魔導具を渡してくれたルディーには感謝しないと」

「え、ルディー様が?」

「そうよ。今や王宮魔術師の長として魔術式と魔導具の開発に勤しんでいるわ。シャルが倒れたって聞いてわたくしたちに持たせてくれたのよ。それと『シャーロット様がちょっとでも異変を感じたら連れ去ってでも王都に連れ戻してほしい』って言っていたわ。愛されているわね」


 「愛」と言う単語に私は頬が熱くなるのを感じた。

 二人ともニヤニヤしながら私を見つめ返す。


「え!? ルディー様はただ単純に心配してくれただけでしょう」

「そうかな。魔法師協会経由で診察の打診が来たから慌ててアタシやベアトに尋ねてきたんだから、充分特別扱いだと思うけど」

「(魔法師協会……。あ、主治医が連絡するって言っていたから……)アイリスまで」

「事実だろう」

「そうよ」


 そういえば私に《魔法の種子》がなくて、特殊体質だったことをルディー様はずっと気にかけていた。

 肉体の変化や精神負荷がかかっていないかとか小難しいことを言っていたので、半分以上は聞き取れなかったけれど。


 なんだかこの数日でいろんなことが目まぐるしく動いているせいか現実味がない。

 ベアトやアイリスがここまで行動的だったなんて思わなかった。そう思ったが学生時代はシナリオ展開や死亡率を下げるため奮闘していたのを思い出し、あの時の方がもっと大変だったと懐かしむ。


「(結婚してから学院次代のことを思い出すことも減っていたし、二人からの手紙も中々返せなくて申し訳なかったかも)……今思うとベアトやアイリスからの手紙や招待状の返事を断ってばかりでごめんなさい」

「気にしなくていい。私だって聖女の仕事で王都から出られなかったし」

「そうね。わたくしも王妃になってなかなかシャルの領地に訪問ができなかったのだから」

「そういえば、今回は国王陛下がよく許可を出してくれたね」

「ふふふっ、アルバートを説得する材料ならいくらでもあるもの」

「黒い」

「真っ黒だな。……まあ、アタシも主人と三日三晩の攻防の末だったから人のことは言えないかも」

「アイリス、ベアト……」

「親友の危機なんだから駆けつけるのは当たり前」

「同感ね」


 魔法学院教頭と、国王陛下。どちらも忙しいのに会話するための時間を捻出する――その努力が、相手を思っているからこそできるのだと思うと胸が締め付けられる。

 それが羨ましいとは思ったけれど、涙は出なかったし、二人には笑顔で言葉を返すことができた。

 鋭い痛みは感じない。

 辛いとか、寂しいという感情も徐々に薄れて、少しずつ旦那様のことが頭から離れていった。


 今頃手紙を見ただろうか、とか。

 どう思っているのだろう、とか。

 心配かけてしまっただろうか――と馬車に乗り込んだときは思っていたのが嘘のようだ。


(旦那様が見えなくて、聞こえなくなるだけじゃなくて……関心がなくなっている?)


 それは喜ばしいことなのか、それとも悲しむべきことなのか。

 私にはもう判断がつかなかった。

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