第8話 決壊した感情

「あ、そうそう。料理長が作ってくれた紅茶マフィンは絶品なの。二人とも食べて」

「はー、シャルって結構楽観的というか前向きすぎ。学院時代も無駄にポジティブだったし」

「だって推しが同じ空間にいるのだから、そうなるでしょう?」

「うっ……」

「まあ、アタシもローマン旦那様に振り向いて貰うため頑張ったから、気持ちはわからなくはない」


 アイリスは照れながらも賛同してくれた。ハンナがいなくなったことで口調がさらに砕けた言い方に変わる。彼女の思い人は隠しキャラのローマン教頭(五十二歳)という色々と立場や年齢の差など諸々とハードルの高い相手だった。


 もっとも年齢でわかるとおり彼女は枯れ専女子なのだ。若者にない色香とか甘えられるなど話を昔はよく私とベアトに語っていたものだ。


「結婚して幸せになったからこそ、シャーロットに思うところがあるんじゃない?」

「そうよ。わたくしアルバート様から聞いたのだけれど、あの冷血漢はよく屋敷を空けることが多かったんでしょう。こんな辺鄙へんぴな場所まで連れてきておきながら放置ってありえないわ。小一時間問いただしたい気分よ!」

「それは、仕事だから……」


 そう答えのが、精一杯だった。

 先輩後輩の関係から恋人になって、婚約者を経て結婚した。

 昔に比べたら挨拶を返してくれるし、食事を一緒にとって談笑している。一緒の時間だって作ってくれる。

 片思いの時に比べたら贅沢な悩みだ。

 自分の気持ちを抑え込むのは得意だった。

 そう元の世界でも。

 だから自分の気持ちを伝えるのが苦手だけど、それでも──。

 我慢はある日突然やってくる。


「私っ──」

「シャーロット」

「シャル」


 気付けば視界が歪んでボロボロと泣いていた。

 思えば屋敷に嫁いでから、張り切りすぎていたのかもしれない。

 ベアトやアイリスとも離れて暮らして、公爵夫人として振る舞おうと肩に力が入りすぎていた。

 旦那様に失望されたくなくて、頑張ろうと一人で抱え込んだ。


 本当は寂しかった。

 それを旦那様に伝えられたら、こうはならなかっただろうか。でも公爵家当主としていつも頑張っている旦那様の足を引っ張りたくはなかったし、公爵夫人として胸を張って隣にいたかった。

 ぎゅっと両拳を握りしめて、ずっと噤んでいた弱音を漏らす。


「……寂しかった。旦那様に会えないのも、アイリスやベアトと中々話ができないことも……本当は、とても寂しくて辛かったの……」


 堰を切ったように零れ出した本音。

 詰め込んでいた感情が溢れ出して止まらない。

 旦那様を追いかけていたときは毎日が楽しくて、ちょっとずつ歩み寄れた感じがすごく楽しかったのに、何が変わってしまったのだろう。


 あの時よりも旦那様との関係は親しいものになったのに。 

 たぶん欲張りになっていたのだろう。

 花女神に近づこうとして《赤い果実》を口にしてしまったように「もっと、もっと」と思ってしまったのかもしれない。


「夫婦なんだから不平不満を夫にぶつけ合うのは有りじゃない」

「そうよ、シャルは遠慮しすぎるから、あの鉄面皮が調子に乗るんだわ!」

「……そうかな?」

「「そうよ!!」」


 ベアトとアイリスの息ぴったりな言葉に、少しだけ気持ちが楽になった。

 私の推しは攻略キャラではないので、ベルナルド様が出てくるシーンを見逃さないように全キャラコンプして、それからファンブックを読み込んだことで培われた知識だったりする。


 ベルナルド様はこの世界で誰も信用できず、国のために個の感情を押し殺した孤高の貴公子。画面越しで見る度に不憫で、苦しくて、少しでもその悲しみやつらさが緩和できればと、そうずっと思っていた。


「……ベルナルド様は、ずっと裏切りと嘘の中で生きていた人だから、幼少時代は辛い思いをしていたの。だから一人ぐらい心から信じられる人がいるんだよ、って伝えたくて頑張りすぎたのかもしれません」

「ちょ、そういう過去エピはわたくしに効く! 泣いちゃいますわ」

「ベアト……本当にそういうのに弱いのね。はいハンカチ」

「うう……ありがとう」

(三年前に戻ったみたい……)


 ***


 それから私が泣き止むまで二人は根気強く話を聞いてくれた。泣き止むのを待ったのち、


「しばらく辺境地に滞在するわ」

「え、でも二人とも仕事は?」

「「……………………」」

「聖女と王妃なのだから、長い間仕事を空けるのはよくないわ」

「なら気分転換も兼ねてシャーロットが王都にくればいいじゃない?」

「え(これから収穫祭の時期に入るのに、このタイミングで王都に行く?)」


 去年までは領土での収穫祭の準備やら何やらを一人で切り盛りしていたので、王都での王妃ベアト主催のパーティーにも「参加不可」の返事をせざるを得なかった。


「今年は旦那がいるのなら、領地の収穫祭を押しつけてやればいいわ。本来なら領主としての仕事を全部シャルに丸投げでしょう! まったくそれで公爵だなんてお笑いぐさだわ」

「ベアト。……でもみんなシャーロットを心配していたのはホントよ。一人で辺境地に行くことをよく思ってもいなかったもの。最初は公爵がシャーロットを独り占めしたいから領地に引っ込んだと思っていたのに……。孤立させるだけさせて放置なんて論外。今から公爵を締めてやりたい」

「アイリス、落ち着いて! 聖女ヒロインとしてアウトの顔している! そ、それに放置されていないから。……ただ仕事が重なってしまっただけで、手紙や贈り物、一緒に居る機会を作ろうとしてくださってはいるのよ」

「まあシャルがそういうなら、そういうことにしておきましょう」


 私よりベアトとアイリスが自分のことのように怒ってくれたことが嬉しかった。三年という時間の経過で二人との繋がりは手紙だけで会うことが難しかったのだ。

 聖女であり、王妃であり二人ともそれなりの立場があるのだから、そう簡単に王都からでられないのはしょうがない。それでも今回、駆けつけてくれたことが本当に嬉しかった。


「それと今回、わたくしの主催のパーティー以外にもシャルにはちょっと頼みたいこともあるのよ」

「私に?」

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