第3話 見えないけれどそこに居る

 旦那様の姿が見えない。

 最初は何かと冗談だと思いたかった。幸いにも旦那様の声は聞こえている。

 なんとも悪い夢を見ているような、そんな気分で主治医の話も何処か遠くの自分ではない誰かの話を聞いているような感覚だった。

 そうまるで他人事のよう。


「──とにかく、このような症状は今までに事例がありません。奥様は《魔法の種子》がない極めて特殊な体質です。この辺りに関しては魔法師協会の診察を受けてみてはいかがでしょう?」

「そう……ね。いろいろ試して見た方がいいと思うわ」


 そう答えるのが精一杯だった。

 たしかに医療魔法や薬学などは主治医の方が専門だが、魔力という一点においては魔法師協会の専門分野になる。

 旦那様の姿が見えない。

 それ以外は至って健康らしいので、今日は安静にして明日からは普通通り生活するのは問題ないという。


 主治医が部屋から出て行った後でハンナは椅子の方を睨んでいたが、すぐに私に向き直った。

 パタン、と扉の閉まった音が聞こえ「あれ? 主治医の先生は先に出ていったはず?」と閉じた扉を見つめた。


(もしかして旦那様がいた?)

「奥様、これは天啓だと思います」

「え? 天啓って……」

「この家に奥様、いえシャーロット様が嫁がれてから公爵様はずっと突慳貪つっけんどんで、夫としての必要最低限かつ義務的な態度ばかりじゃないですか! これはきっと花女神様のおぼし召しです。あんな方とは離縁してシャーロット様を!」

「ええ? ハンナ急にどうしたの?」


 彼女は首にかけていたペンダントを取り出し、花女神像の描かれた銀色のメダルのようなものをギュッと両手で握りしめた。忘れていたがハンナは敬虔な花女神信仰の信者で休みの日は教会に足を運んでいる。

 私も何度か教会や孤児院の寄付やチャリティーで訪れたことがあった。


 ルフス聖王国では多神教が認められているが、その中でも人気なのが花女神信仰と精霊信仰の二つだ。

 花女神カーディナルは貧困に喘ぐ人々の暮らしぶりを見て「助けになるように」と《魔法の種子》を与え、それを口にした人々は次々に《魔法》という神の権能の一つを獲得するに至った。魔法の種類も個人差があり魔力量も適性というのがあったのだろう。


 魔法の存在によって文明が一気に発展し、花女神信仰は《叡智と豊穣》の象徴として王侯貴族から庶民に至るまで浸透していった。

 もっとも《叡智と豊穣》から人々に親しみやすいよう《商売繁盛、運気アップ、恋愛成就》などと即物的な説き方に変わっていき、ペンダントやらアクセサリーと身につけられるようなものも売り出すようになったのはここ最近である。


「私は幼少からシャーロット様のお世話係をしてきましたが、奥様には絶対に幸せになってほしいのです」

「ハンナ。……ありがとう」

「で・す・か・ら、学生時代からずっとあの男を思い続けているシャーロット様が不憫でなりませんでした。婚約して、結婚すればシャーロット様を大事にするかと思えば!」


 ハンナは私の代わりに怒ってくれて口汚い言葉も使っていたが、今回はそこに触れずに笑って誤魔化す。


「シャーロット様、この際実家に戻りましょう! こんな所ではますます心が休まらないでしょうし、静養なんてとてもできません!」

「そんな大げさだわ。最近、チャリティーの準備で忙しかっただけだから心配しないで」

「シャーロット様!」


 大げさなハンナに私は「とりあえず顔を洗いたいから準備をしてくれる?」と言ってお湯の準備をしてもらった。今日は仕事をすべてキャンセルして読みたかった本を読んで一日過ごすのもいいのかもしれない。


(旦那様が帰ってきているのにお姿が見えないなんて……どうしてこんなことになったのかしら)


 私はため息を漏らさずにはいられなかった。


 ***


 軽めの食事を取った後で執事のジェフが姿を見せた。私はベッドから起き上がり、薄手のカーディガンを羽織る。ジェフを部屋に迎え入れたときに心なしかハンナの表情が強ばったような気がした。


(もしかして──)

「ハンナ、お前はお茶の用意をお願いします」

「……承知しました」


 不服そうにしつつ部屋を退出するハンナを見送った後、ジェフは丸いテーブルと椅子を出してお茶の準備をしていく。不思議に思ったのは椅子が二つ用意されたことだ。


「奥様、先ほどと変わらず旦那様の姿は見えないでしょうか?」

(やっぱり。だからハンナはいい顔をしなかったのね)


 私は部屋を見渡すが旦那様の姿はない。

 ただ目を凝らすと小さな花束が浮いている。白い花でラッピングが可愛くされていた。


「花束? もしかして?」

「! ああ!」


 思わず告げた言葉にジェフは振り返り、私と同じく花束の方へ視線を向ける。

 やっぱりそこに旦那様がいるのだろう。

 剃刀のような鋭い視線、感情を削ぎ落としたような顔が懐かしい。眉間に皺を寄せて世界中の面倒ごとを一心に背負ったような──そんな旦那様が好きだった。


「改めシャルと話がしたいのだが、いいか?」

「まあ。そうだったのですね! 旦那様、せっかく屋敷に戻ってくださったのに出迎えができなくて申し訳ありません」


 私の好きなバリトンの声にうっとりとした気持ちになりかけたが、慌てて花束のある方に向かって頭を下げた。

 僅かな沈黙の後、旦那様は声を発した。


「気にするな。……しばらくは屋敷に滞在して、できるだけシャルの傍にいよう」

「旦那様が!? ……あ、それは嬉しいですけれど、お仕事の方は?」

「問題ない」

「旦那様、もう少し言いようが……」

「うるさい」


 窘めるジェフに旦那様はピシャリとはねつけた。

 ふいに浮遊していた花束がベッドへと歩み寄り、目の前に突き出される。


「お前にやる」


 不意に旦那様が初めて私に贈り物をした時と重なった。

 無造作に差し出された花束を受け取り、その花束はマーガレットだったことに気付く。たしかこの世界の花言葉で『信頼』の意味をもっていたはずだ。


「これを私に?」

「そのようです」

「嬉しい。お部屋に飾ってもいいかしら?」

「好きにしろ」


 言い方や声音だけだと冷たく感じるけれど、そういうときは決まって頭を撫でるか頬に触れてキスをする。

 ジェフがいるからかキスされた感覚はない。

 もしされたとしても今の私が感知できるかは不明だけれど。


 受け取った花束をよく見るとメッセージカードが入っていて達筆な字で一言「愛している」と書かれていた。

 癖のある筆記に口元が綻ぶ。そう私の旦那様はこういう小さい贈り物をしてくれる。


「お花とカードとても嬉しいです」

「……そうか」


 顔を上げても花束を受け取ってしまったので旦那様がどこに居るのかまったくわからないけれど、なんとなくまだ傍にいるような気がして微笑んだ。

 気付いた頃にはベッドが軋み大きなナニカに包み込まれた感じがした。

 温かさや、香りなどは感じられない。

 けれどそこに旦那様がいる、そんな風には感じ取れた。


「すまなかった」


 何に対しての謝罪だろう。

 そう口にしかけて私は言葉をつぐんだ。

 口を開いて閉じる。

 もしこの時に自分の心を曝け出したら、何かが変わったのだろうか。

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