第2話 旦那様が見えない

「……っ」


 いつものように朝が来て、カーテンの隙間から日差しが差し込んでその眩しさで目が覚めた。

 小鳥のさえずりが聞こえるほど静かなはずなのに、今日に限って物々しく、人の気配がする。

 ハンナが起こしに来たのだろうか。


「……ん」

「奥様!」


 ぼんやりとした視界から人影がゆっくりと輪郭をなしていく。

 茶髪で三つ編み、黒を基調とした侍女服はウエストが引き締まっており脛丈のスカート、黒タイツは公爵家の専用侍女服だ。

 泣きはらしたハンナが視界に飛び込んできた。「寝坊してしまったかしら?」と思いつつ何度か瞬きをして起き上がろうとしたが、なんだか体がとてもだるい。


(風邪でも引いてしまったかしら?)

「旦那様、奥様がお目覚めのなりましたよ」

「シャル!」

(旦那様が? お部屋にきている!?)


 眠気は一瞬で消え去り体を起こして愛しい旦那様の姿を確認する。

 しかしこの部屋を見回しても旦那様の姿は見えなかった。寝室に居るのはハンナと主治医の先生だけ。

 何度見返しても部屋のどこにも旦那様の影も形も見当たらない。

 先ほどの声は幻聴だったのだろう。私は少しがっかりしながらもハンナに微笑んだ。


「ハンナ、

「――っ!?」

「え」

「そういえば飛び起きると思っていたのでしょう。そんなことをしなくてもちゃんと起きるわ」

「奥様……」


 私の言葉にハンナと主治医の先生が凍りついていた。

 なぜそんな顔をしているのだろう。二人の視線が私ではなく傍にある空席の椅子に向けられた。私も椅子に視線を向けるが誰も座っていない。

 小首を傾げていると左手だけが温かいことに気付いた。それから頬に何か触れている感じがあるが──気のせいだろうか。


「奥様……旦那様が今どこにいるか……お分かりですか?」


 ハンナは声を絞り出して私に尋ねてきた。「よくわからないことをいうハンナだわ」とちょっと困りつつ笑みを繕った。


「旦那様なら使節団として隣国に行って半年が経っているでしょう。寂しいけれど遅くても《収穫祭》までには戻ってくるって昨日話していたじゃない。ふふ、おかしなハンナ」

「──ッ!」

「奥様……。いくつかお伺いしても?」

「ええ、構いませんわ」


 青ざめた顔で主治医が聞くので私はできるだけ明るく答えた。もしかして急に倒れたことを気にしているのかしら。


「昨日……は、何をしていたのですか?」

「昨日? ……孤児院の寄付と手伝い。それから庭の手入れと冬に向けての相談を執事ジェフとして……。それから……ああ、旦那様から手紙が来ていたわ」


 そう「数日後には戻る」と書かれていた。それが嬉しくて旦那様が好きなクッキーを焼こうと思ったのだ。クッキーなら日持ちできるし、落ち着かない気持ちを紛らわすためでもあった。

 しかしそこで、その記憶は果たして昨日だったのか疑問が芽生えた。


「なるほど。奥様……私の手は見えていますか?」

「ええ、もちろん」

「ハンナの姿は?」


 質問の意図がわからないが、「見えているわ」とハンナに目を追って告げる。

 主治医は、生唾を飲み込み、


「では公爵様は?」

「だから旦那様は……」


 旦那様はいないのになぜ旦那様の話を出すのだろう。

 私は部屋を見渡してみるが

 鈍い私でもこう何度も聞かれれば気づく。


「もしかして、旦那様がここにいるの?」


 私に質問に沈黙が返ってきた。

 二人とも答えないが、つまり──そういうことなのだろう。

 今の私は旦那様の姿が見えなくなってしまったのだ。

 ドウシテ?

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