第4話 旦那様の本音

 それから二日が過ぎたものの旦那様のご尊顔を見ることは適わなかった。

 これはあとで気付いたのだが、実物だけでなく写真や映像なども旦那様の姿だけ消えて見えてしまい、私と旦那様のツーショット写真も、結婚記念に描かれた絵画も私だけしか見えない。

 それが私にはけっこうショックというか堪えた。


 旦那様と食事を一緒にする機会が増えたのだが、テーブルは両端で取るので距離は遠い。

 加えて姿が見えていないのでナイフとフォークが浮遊し、料理が消えていくという奇妙な光景での食事なので違う意味で食事に集中できなかった。


(旦那様の食事は嬉しいはずなのに、いつからこんなに我が儘になったのかしら……)

「シャル? 顔色が悪いな。ちゃんと寝ているのか?」

「え、あ、はい。ただ、そのもうすぐ収穫祭があるので、その準備に追われていまして……」

「お前が身を削ってまで大規模にする必要もないだろう。今年は縮小して最低限でいい。ジェフ」

「はっ、かしこまりました」

「あ、あの。……収穫祭は大規模にすることで他の領地からの人が集まり、露店や出店する側、ホテルなども人が集まることで収益ができます。今年の冬を越すためにも」

「シャーロット、領民に対する慈悲深さ、献身は素晴らしい。だがそれはお前が体調を崩してまですべきことか?」

「それは……」


 正論だが胸の奥がチクチクと痛んだ。

「それなら私の代わりに旦那様が収穫祭の仕事を引き継いでくださいませんか」と、私は口を開いて、喉まで出かかった言葉を飲み込む。

 ここに嫁いだとき、公爵夫人の仕事に領地経営が含まれていると教わったのだ。それならこれは私の仕事であり、旦那様の仕事の範囲では――ないのかもしれない。


「では、私の代わりに人を雇ってもいいでしょうか」

「予算的に問題がなければ構わないが」

「ありがとうございます!」


 思わず大きな声を出してしまったので慌てて「申し訳ありません」と謝罪した。旦那様は咳払いをして「構わない」とぶっきらぼうに答える。

 見えなくなっても旦那様のツンドラぶりは変わらない。


「……俺には頼まないのだな」

「え」

「いや、何でもない」

「ここに嫁いだときに『領地経営は公爵夫人の仕事だ』と義実家の親戚の方が言っていましたので、旦那様の管轄外なのかと思っていたのですが……」


 私の言葉にその場の空気が僅かに張り詰めたものに変わった。


「そうか。……なるほど、わかった」

「?」


 やはり声だけでは旦那様の意図を理解するのは難しいようだ。視覚からの情報がないとここまで旦那様の気持ちを察することができないなんて、妻失格なのかもしれない。

 食事をなんとか押し込んで食べきった。


 ここ最近は中庭でお茶、あるいは庭園を旦那様と散歩に誘われるのだが、今日は大事な話があるのか防御魔法がかかった客間に案内された。

 侍女がお茶を用意した後、退出して二人きりになった。

 ティーカップの一からして私の隣に旦那様がいるのだろう。いつもは向かい合って座るのに珍しい。


 ラズベリーのいい香りが少しだけ緊張を和らげた。

 旦那様が見えなくなって数日経ったが回復する兆しはみえない。


「……シャル、ここ数日でお前の心も安定したと主治医が話してくれた」

「はい。相変わらず旦那様の姿が見えませんが……執務の遅れなどはないように――」

「ああ、その原因についてなのだが……」


 旦那様は言葉を濁す。

 なにか原因に心当たりがあるのだろうか。


「まず先にお前に領地経営全般を丸投げしてすまなかった」

「え」

「あれらは本来叔父夫婦が管理してお前はその手伝いをする程度にしていたのだが、ジェフの調べでお前に全て仕事を回していたようだ」

(親戚は叔父夫婦だったのね)


 私が結婚式の時に挨拶した時を思い出した。

 彼のご両親は十五歳の時に亡くなっていて、この辺りはファンブックに載っていたが親戚のことまでは描かれていなかった。旦那様が言うのならそうなのだろう。


「そうだったのですね。知りませんでした」

「ああ。領地経営については今後、俺が指揮を執り、お前にはその補佐を頼みたい」

「はい、わかりました。お気遣いありがとうございます」

「ああ……」


 旦那様の力になれるのなら願ったり叶ったり。一緒に居る時間もますます増えるかもしれないと思うと嬉しさがこみ上げてくる。

 私の反応に旦那様の雰囲気も和らいだような感じがした。


「……次に

(ん?)

「お前の出迎えを待たずに、自室に戻っていたのは事情があったからだ」


 震えた声。

 けれど強い意志と決意が声からは窺えた。


 あの日。

 その言葉に旦那様の声が一瞬で遠のいた。

 まるでテレビ画面を覗いているような感覚に陥る。

 音声も拾えない。


「あの女は――、――――で、馬乗りになったのも――――」


 肝心なセリフが途切れて耳に届かない。

 代わりに自分の中にあるナニカがパキパキと音を立てて崩れ去る。


 あの時、私は旦那様に「お帰りなさい」が言いたかった。

 浮かれていたのだ。

 そして自室をノックする前に声が聞こえた。

 その声が鮮明に蘇る。


『愛する奥様に気付かれるかもしれないわよ』

『アレは気付かないさ。付き合ってからずっと気付いていないのだから』


 そうだ。

 聞き間違いだと思いたくてドアを開いたら――。

 酷い耳鳴りに私は耳を塞ぐ。

 その先を思い出そうとして私の意識は途切れた。






 音が聞こえる。

 声?

 誰の?


「ああ、クソッ、今日こそは俺の家業のことや、俺がいかにヘタレで臆病者で駄目な奴かシャルに話すチャンスだったのに……! 何もかも先送りにしていたせいか? ああああああああああああああ、失敗した。失敗した。誤解を解こうとしたのに、いっそ穴に入って永眠したいぃいいい!」

「旦那様、落ち着いて下さい。あと心の声がダダ漏れです」

「ジェフ、しかしだな……」

「奥様が起きてしまわれます」

「うぐっ……。ああ……シャルの寝顔、可愛くて語彙力が崩壊しそうだ……」


 ああ、この声は……旦那様によく似ている。

 なんて都合のいい夢……。





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