第49話 過去に戻る扉
「急にこんなことを言われたらルーだって混乱するし、聞きたいこともたくさんあると思う。ちゃんと全部説明するから、まずは俺の話を聞いて欲しい」
「……分かった……」
そうだよ。聞きたいことはたくさんあるよ。でも、初対面みたいなアントンにこう言われてしまえば、他に何て言えばよかったのだろう?
目の前にいるのが私の知っているアントンと違い過ぎて、何だか怖い。
「前回の俺は自分のことだけで手一杯で、苦しむ妹を助けられなかった。俺はそんな自分が許せなくて、ずっと後悔した。だから、リズが死に際に過去に戻る扉を開いた時に、今度は絶対に何をしてでもリズを助けるんだと決めたんだ」
「……私が? 過去に戻る扉を開いた?」
どういうこと?
何で二度目をやり直しているんだろうとは思っていたけど、私のせいなの? どうして私の記憶にないの? 何でアントンが知っているの?
そもそも前回の私達兄妹は、お互いを思い合うような繋がりなんてなかった。それが急に、何を言っているの?
突然わけ分からないこと言い出したくせに、この落ち着きを払ったアントンは、一体誰なの?
「リズはありったけの『蘇りの加護』を使って、過去に戻る扉を開いたんだ」
「うそ……」
「嘘じゃない。それに驚いて現れた創世の女神は、『こんな加護の使い方は初めて見た。強い後悔の念が、過去に戻る扉を開いた』と呆気に取られてた」
確かに前回の私は後悔ばかりだったけど、創世の女神を驚かせるほどのことをやってのけたの?
「女神は俺に『お前からも同じ後悔の匂いがする。望むなら、扉を通ることを許す』と言った。俺は喜んで扉を通ったよ」
「ちょっと、待って! アントンは私より先に殺されたんだよね? どうして私が死んだ場所にいるの?」
閉じこもっていた私は知らなかったけど、私が殺される数カ月前に辺境の地で暗殺されたとアントンは教えてくれた。
そんなアントンがどうやって扉を通るの?
「リズを助けられなかったことを後悔した俺の魂は、少しでもリズの側にいたくて近くをうろついていたんだ。『蘇りの加護』の力を使った扉だけに、死んだ者しか通れないから丁度良かった」
丁度良かった? 良いわけないよね? それに、魂ってどういうこと?
いやいや待て待て、一回落ち着こう。
過去に戻る扉を開いたとか、その扉を開いたのが私だとか、信じられないことが多過ぎる。いちいちつまずいていたら、きっと話が前に進まない。とりあえずは聞きたいことを全部確認するのが優先だ。
「……何で? どうして扉を通ったの? 私が死んだことを後悔するほど、前回の私達は仲良くなかったよ? それに戻ったったら、また殺されるかもしれないのに」
「俺は馬鹿だったから、そう思われても仕方がない。でもリズの笑顔を取り戻せるなら、過去に戻れる願ってもないチャンスを前に迷いなんてなかった」
「十五年前に温室で『助けて』って泣きついてきたのは嘘で、本当は私のためだったの? アントンは、私のためにやり直したの?」
「今思い出してもあれはないと思うけど、ルーの側にいる必要があったから必死だったんだ」
そう言ったアントンは恥ずかしそうに笑った。
(あれも計画の内だったの?)
「ルーが頑なに『罰を受けなくては』と思っているのは、過去に戻る扉を開いた原因が大きく影響している」
「……原因? フィンやブライアンに謝れなかったから?」
静かに首を振るアントンが怖くて、胸がざわつく。
何も覚えていないのに身体から体温が奪われて、足元から冷たさと不安が這い上がってくる。
嫌な予感しかしない。
「フィンに刺された時、リズは怖くて顔をあげられなかったと思ってる。でも、実際は顔をあげてフィンを見たんだ」
「何言ってるの? あの時はフィンの顔を見るのが怖くて、私の顔を見せるのも申し訳なくて……。私は顔をあげられなかった」
私は見ていない! 最期の記憶は鮮明に覚えている……? 本当に?
最期の記憶を手繰る私の目に映るのは、色を失った世界。眼下に広がるのは、色のない絨毯と真っ赤な血だまり。痛みと息苦しさと共に後悔の念と、自分への怒りと敵意が蘇る。
この記憶に嘘はないのに、決定的に何かが足りない。どうして色を失ったのか分からない。
「『蘇りの加護』を持つリズを殺すことでしか兵士の平穏は得られないのかと、フィンは最後まで悩んでいた。他に方法はなかったのかと悔しさに涙を流すフィンを、リズは見たんだ」
「………………」
……そうだ……、私は顔をあげた。
紫の瞳を涙で濡らし、私と目が合うと「助けられず、すまない」と謝ったフィンを見たんだ。
一方的に私が悪くて謝るべきなのは私なのに、フィンに謝らせてしまった自分が赦せなかった。フィンにこんな汚れ役をさせてしまう前に、自ら命を断てなかった自分が赦せなかった。いつだって澄んでいたフィンの紫色の瞳を、こんなことで濁らせてしまった自分が赦せなかった!
目標に向かっていつだって真っすぐで、誰にも媚びずに前に進むフィンに憧れていた。大好きだった。だから、そんなフィンの瞳を濁らせた事実を消し去りたかった。
過去に戻る扉を開いたのは、フィンの瞳を澄んだ色に戻すため。そして、フィンの未来や夢を奪っただけでなく、瞳まで濁らせてしまった自分を罰するため……。
「どうして、今まで忘れていたんだろう……? どうして、私が忘れていたことをアントンが知っているの?」
「今まで忘れていたのは、俺が創世の女神に頼んでリズの最期の記憶を消してもらったから」
「どうして?」
「……創世の女神が驚く力が生まれるほど、フィンとの最期の記憶はリズにとって耐え難いものだった。酷い罪悪感を抱いたまま過去に戻ったリズが、その記憶に耐えられると俺には思えなかった」
太腿の脇で握られたアントンの両腕が震えていて、表情も暗く辛そうだ。
私の記憶を消したことを後悔しているんだ。自分の行動が正しかったのか、ずっと苦しんできたんだ。
「アントンのしたことは正しい。罪悪感まみれでやり直した私は、アントンが心配した通りで記憶に耐えられず自分の存在を許せなかったと思う」
アントンが私のためにしてくれたことには、感謝しかない。それを分かって欲しいし、気に病まないで欲しいのだけど、アントンの表情は暗いままだ。
「ルーがそう言ってくれて、ホッとしているんだ。でも、記憶を消すために俺は、創世の女神と取引をしたんだ」
「取引とは、また物騒だね……はははは」
アントンの顔が苦しそうに歪んで仄暗さが増していくから、少し場の雰囲気を和ませようと笑ったら失敗した……。
緊迫した部屋の中に不自然な私の笑い声がクシャリと落ちただけで、アントンの心を温めることはできない。
「前回の事の顛末に関して、女神の知る全ての情報は俺に託された。その上でルーの記憶の一部を消す代わりに、裏側の事情はルーが過去を乗り越えるまで伝えることができない縛りをつけられた」
「ねぇ、アントン、話をするのが辛いなら、しなくてもいいよ。私達は前に進むんだから、過去は忘れればいいってアントンだって言ってたじゃない?」
アントンが命を削るように喋るなら、私はもう何も知らなくていい。なのにアントンは、静かに首を横に振って譲らない。
「俺が前に進むために、ちゃんとルーに伝えておきたい。リズが起こした事件には、俺達の知らない裏があったことを」
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読んでいただき、ありがとうございました。
あと四話で完結です。
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