第44話 往生際
アントンは目の前に立ったブライアンを見ると、思いっきり不機嫌な顔を隠さない。
「遅いよ、ブライアン! 間に合ってないからね!」
「遅いって言いますけど、この年で睡眠時間削って一カ月も以上馬を駆ってきたんですよ? 文句じゃなくて、褒めてあげるべきですよ!」
「褒めるって、正気? 下手したら間に合わないところだったでしょ?」
「こうやってギリギリで現れるのが、最終兵器の醍醐味じゃないですか? ありがたみが増すでしょう?」
二人のやり取りが軽妙過ぎて、今までの張り詰めた空気が消え去っていく……。このままでは、「何の話をしてたっけ?」となりかねない……。
私を含め全員が今後の展開について焦り出しているのに、気が合うらしい二人のやり取りは終わらないどころかテンポが上がっていく……。ついに苛立った父が、ブライアンを一喝した。
「……もういいからブライアン! お前は一体何をしに来たんだ?」
ブライアンは「はい、はい」と苦笑すると、一瞬で表情を引き締める。軍人らしく背筋を伸ばすと、宰相達三人に向かって眼光鋭い瞳を向けた。
「宰相と連絡を取り合っていたエリセイル帝国の外交官は、こちらでとっくに拘束済みです。今回の計画のことを、洗いざらい話してくれましたよ?」
なぜかビクリと震えたクラウスに、ブライアンは「あぁ、こちらの連絡係は宰相ではなく、クラウスだったね?」と糸目を弓なりにして冷たく微笑んだ。
恐ろしく迫力と毒のある表情を向けられたクラウスはあっけなく、へなへなと床に座り込んだ。
「外交官とクラウスのやり取りは、エリセイル帝国にも確認を取りました。あちらからは『外交官の単独行動で、本国とは関係がない』との回答をいただいています」
エリセイル帝国は、外交官一人に罪を被せて逃げた。
宰相がエリセイル帝国との間にあると思っていた橋は、跳ね上げられて二度と降りてくることはない。切り捨てられたと知った宰相は、力を失いガックリと机に両手をついた。
ブライアンの糸目が薄っすらと開き、紫色の瞳が冷たく光った。
「宰相、貴方はエリセイル帝国と対等な関係を結んだと思っているようだが、あちらはそうは思ってはいない。あいつらは何もするにも立ちはだかるアッカーベルト辺境伯を、始末して欲しかっただけだ」
父もベニスもいなくなった辺境伯軍を率いるには、サートンは若く経験値がなさすぎる。この状態でエリセイル帝国に攻め込まれたら、守り抜くのは難しい。
ブライアンの言う通りで、エリセイル帝国の狙いはそこなんだと思う。
「アッカーベルトがなくなれば、ブロイル国なんて赤子同然。同盟どころか、侵略されていた。蹂躙されて、国はボロボロだ。そんなことも分からないなんて、脳みそ腐ってんじゃないか?」
「腐ってるに決まっているでしょ?」
ブライアンに同調してアントンがぼそりと呟いた……。
「……どういうことだ? 宰相が言っていたことと、話が違うではないか……」
国王が怒りを滲ませて宰相を非難するけど、宰相は国王を見ようともしない。ただの操り人形に過ぎない国王なんて、今までも宰相の目には入っていなかったんだ。
宰相は右拳を机に叩きつけた。
「お前達が何を言っているのか分からん! エリセイル帝国と同盟? 何の話だ! クラウスが勝手にやったことだろう? 私は何も知らない!」
自分の企みをさらされた上に、エリセイル帝国には騙されていた。後のない宰相は、なりふり構わず自分の身だけ守ろうと必死だ。息子を生贄に差し出すことにだって、何のためらいもない。
もちろん生贄にされた方だって黙っていない。怒りを露わにしたクラウスが、赤く血走った瞳で父親を見上げ非難する。
「……嘘だ、全部父上が企んだことだ! 同盟だって、このブロイル国だって、俺にとってはどうだっていいんだ! 俺はエリセイル帝国を経由して、ルーリーと共に別の国に逃げるルートを確保したかっただけだ!」
自暴自棄のクラウスがそう叫んで、縋る視線を私にまとわりつかせる。
「逃げる? どうして私が?」
「どうしてって……。父上の企みが成功すれば、アッカーベルト家は破滅だ。ルーリーだって罰せられる。そんなの嫌だろう? だから俺と逃げるんだよ。俺がルーリーを助けてあげるんだ」
そんな話を私が喜ぶと思って信じて疑っていないクラウスが気持ち悪い。
歩み寄れないほど考え方が違うのは分かるけど、私の意見も聞かずに何を勝手なことを言っているのだろう。
「馬鹿にしないで! 私はアッカーベルトを見捨てたりなんかしない! 共に戦うわ!」
「そんなことをすれば、危険だろう? 俺と逃げれば、安全で幸せ……」
「逃げた先に幸せなんてない! そんなことも分からず、私を卑怯者に貶めようとする
私から冷え冷えとした視線を向けられて耐えきれなくなったクラウスは、声もなく床に突っ伏してしまった。
そのクラウスに宰相が鞭を打つ。
「ほら見ろ! アッカーベルトの娘なんかを手に入れようとした、この馬鹿が一人で仕出かしたことだと分かっただろう? 私は同盟なんて知らない! 全部この愚息が一人で勝手にやった話だ!」
宰相の血走った目は、より赤味が増していく。その目は憎きアッカーベルト辺境伯だけは陥れようという執念で、ギラギラと鈍い光を放っている。
もうその執念だけしか残っていない宰相が、両掌で机を叩く。バチンと何かが潰れたような音は、迫力に欠けるが気味が悪い。
「今我々が直面しているのは、アッカーベルトが王太子殿下を殺すために誘拐の指示を出した事実だ。アッカーベルトは国を乗っ取ろうとしている! これこそが、国の一大事だ!」
「王太子殿下は生きてここにいますよ? その事実がおかしいのではないですか?」
ブライアンがそう言ってアントンを指差す。
当事者であるアントンは、ニッコリと微笑むと宰相に向かって手を振った。
宰相はと言えば、舌打ちしてアントンから視線を逸らした……。これでもまだ言い張ろうとするのだから、呆れを通り越して感心してしまう。
「王太子殿下は、奇跡的に自力で逃げ出したんだ!」
「奇跡的に逃げ出して、自分を殺そうとしているアッカーベルト辺境伯と行動を共にしていると? 往生際が悪すぎるよ、宰相」
苦笑したブライアンが言う通り明らかに矛盾しているが、宰相も生き残るために必死だ。
「……っく。アッカーベルト辺境伯軍の副官という証人がいるだろうが! あいつがアッカーベルトの悪事を全て吐いた! これ以上の証拠はない!」
「あぁ、アッカーベルトを裏切った彼ね?」
ブライアンが指差した先には、いつの間にかベニスが立っていた。
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