第35話 トラウマ
『蘇りの加護』で頭が一杯で……、いや違うな。頭が一杯のふりをして、フィンに言われたことを考えないようにしていた。
なのに、まさかアントンが知っているなんて……。
フィンの気持ちは、私には理解できない。
リズベッドがしたことを知って、リズベッドを殺したことを知って、それでも私が好きって……。やっぱり、理解ができない。
何よりも一番理解できないのは、フィンの気持ちを嬉しいと思って心が満たされてしまう自分だ。
「フィンは、前回のことは終わりにするべきだって言ってくれたんだけど……。私には終わりにする方法が分からない」
「当事者であるフィンが終わりにしろって言ってるんだから、忘れればいいんじゃない?」
「忘れる? どうやって? ブライアンが全てを失ったと聞いた時の喪失感や罪悪感は、私の中にだって残ってる。自分がブライアンを助けることができなかった無力感や恐怖だって同じだよ。忘れるなんてできないし、忘れてはいけないんだよ!」
「じゃあさぁ、ルー的には、この先どう決着すれば前回のことを終わりにできるの?」
「…………」
アントンは手にしていた最後のクッキーを口に放り込んで、私の答えを待っている。クッキーを噛むザクザクという音が聞こえてくるけど、私は何も言えない。
そんなことを考えたことがないんだから、答えなんて出てくるはずがない。
何も聞こえなくなった部屋に、アントンのため息が響いた。
「前回のことを終わりにする方法が分からないんじゃないよね? ルーは、終わりにする気がないんだよ」
「…………」
アントンの言う通りだ。
フィンに言われるまで終わりにするなんて考えたこともなかったし、考える気もなかった。
だって前世の記憶があることは、私に対する罰でしょう? 私は罰を受ける必要があるんだよ。
「フィンには前回の記憶がないんだよ。私達から話を聞いただけでは、どれだけ私のことが憎かったのか、どれだけ私のせいで自分が苦しんだのか分からないじゃない。そこに付け込んで自分を許してもらおうなんて、卑怯すぎると思う」
「確かに前回の記憶のないフィンには、あの時にどう思っていたかなんて分からないだろうね。でもさ、そんなのフィンじゃないルーにだって分からないよね?」
「……確かにフィンの気持ちは分からない。だけど、私のせいで、フィンが全てを失ったのは知ってる」
私の愚か過ぎる行動のせいで、フィンはしなくていい苦労を強いられた。あの時の怒りや憎しみを知っていれば、私に好意なんて持つはずがない。
「ルーのしていることは、自分の罪悪感をフィンに押し付けているだけじゃない? 今のフィンの気持ちは考えてるの?」
「……でも、フィンは私を殺すほど憎んでいて……」
「だからそれは、フィンの今の気持ちじゃないでしょ?」
「…………」
「殺すほど憎んでたっていうのも、ルーが思っているだけでしょ? 『蘇りの加護』を消し去りたかっただけかもしれないんでしょ?」
クッキーのなくなった手で首をポリポリとかいたアントンは、困った顔で私を見ている。
いつもと立場が逆で居心地が悪いのは、言い負かされたからじゃない。アントンの言う通りだからだ。
(罪悪感を押し付けて、今の気持ちに応えようとしていない? その通りだよ……!)
「今の私と新しい関係を築きたいと言ってくれたフィンの気持ちが嬉しくて、押し花にして心の栞として一生大切にして生きていくつもりだった。だって、私には前回の記憶があって、それを無かったことになんてできない……」
アントンはガックリとうなだれると、「心の栞ってなんだよ? そんなことだろうと思ったけど、怖すぎるだろう!」と心の声を思いっきり口から洩らした。
「過去の罪悪感で苦しんでるのはルーだけじゃないよ? 前回の記憶がないフィンだって、リズベッドを殺したことに苦しんでる。かつてのルーを殺す指示を出したのが自分だと知った辺境伯だって、何も感じないと思ってる?」
「それは……、そうだけど」
「辺境伯はさ、『リズベッドを殺せと命じたのは私だから、申し訳なくて父親なんて名乗れない』って言った?」
「……言ってない」
「辺境伯に、そう言って欲しかった?」
「……言って欲しくないよ! 絶対に!」
「フィンだって、前回を知ってもルーが好きだと言ってるんだろ?」
「今の例えで少し理解したけど……。自分だと、割り切れないぃぃぃ」
自分に置き換えれば、前回のことを気にしてよそよそしくされるのは嫌だと分かるけど。じゃあそうですかと受け入れられるかといえば、難しい……。
頭を抱えた私の頭上から、またアントンのため息が聞こえた。
「普通はさ、二人みたいに過去よりも今を大事にするんだよ。過去に囚われて、今の幸せを見ないなんてしないんだよ」
「あんな酷い過去を大事にするつもりなんてない。だからって過去を終わらせることだってできない。どうしたらいいのか、自分でも分からないから困ってる」
行儀悪く執務机に座ったフィンを注意する気力もないほどに、私の頭は大混乱中。
だから、私を上から見下ろすフィンの顔が、後悔で歪んでいることに気付かなかったんだ。
「自分では気づいてないけど、前回のリズは五歳から生贄として城に囚われていたも同然たんだよ」
「……?」
「リズが『蘇りの加護』を持つと気づくなり、国王は極端に人との接触をさせなくなっただろ? 加護を他人に知られることを恐れたのもあるけど、自分以外の頼れる存在を作りたくなかったんだと思う」
確かに定期的に侍女や護衛を変えられた。みんな必要最低限の関わりだけで、信頼が生まれることなんてなかった。
「人の入れ替わりが激しかったのは、私が我が儘王女だったからでしょう?」
「それだけとは思えないんだよね? 俺はリズの侍女や護衛に何度もリズの様子を尋ねたのに、『陛下の指示で何も言えない』と言って誰も何も教えてくれなかった」
私を孤立させる必要が、国王にはあった? 自分に依存させたかった?
うーん、甘やかせば懐くと思っている時点で、頼る訳ないけどね。
「でも、私にはブライアンがいたよ? 国王なんかより、ブライアンを頼りにしていた」
「どういう計画だったのかは分からないけど、リズはブライアンに心を開いた。そして、その大事なブライアンを失った。その結果、リズはどうなった?」
どうなった?
苦しみを吐き出せる人が誰もいなくなって、心を失った。
……それが偶然ではないというの?
どうしたの、アントン? 何か、知っているの?
言葉が喉まで出かかるのに、怖くて声に出せない。言葉にしたら、アントンが遠くに行ってしまいそうで怖い。
だって、アントンが泣き出しそうで、苦しそうで、辛そうだから。
離れて欲しくなくて思わず握ったアントンの手は冷たくて、何かに怯えているように思えた。
アントンを一人にしないと分かってもらいたくて、いつだって私はアントンの味方だと分かってもらいたくて、必死にアントンに温もりを送り続ける。
私の気持ちが通じたのか、アントンはいつも通りフワリと笑った。
「計画的にそんな状況に追い込まれたリズに、トラウマとなっている前回の苦しみを忘れろというのは難しい話だよね……」
そう言って私の頭をポンポンと撫でたアントンは、「今を選ぶことは、逃げるとことではないんだ。それを忘れないで」と兄みたいなことを言った。
そんなアントンが私の前から消えたのは、この五日後だった……。
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読んでいただき、ありがとうございました。
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