第38話 前進
執務室を震わせるほどの存在感を失った軍神が、部屋から去った。
私を守るためにプライドを捨てた父の背中を思うと、悔しくて、悲しくて、怒りが収まらない! ベニスと宰相に一言物申してやりたい! 胸倉を掴んで、罵声の限りを尽くしたい!
でも、できない。父の思いに応えるためにも、宰相に捕まる訳にはいかない。宰相の意識が私に向く前に、さっさとこの部屋から消えなくては。
全員の視線を集めるほどのけたたましい音が、扉を揺らしている。激しく揺れていた扉が勢いよく開くと、兵士が部屋に飛び込んできた。青い顔をした兵士は一直線に宰相とベニスの下に駆け寄ると、大慌てで何か報告を始めた。
必死過ぎるその姿に全員の意識が集中している隙に、私とフィンはこっそりと部屋を出た。
扉が閉まりかけた瞬間に、「はぁっ? どういうことだ!」と酷く焦った宰相の怒鳴り声が漏れてきた。
フィンに腕を引かれたまま引きずられるように歩いていると、そこかしこから冷たい視線と心ない言葉を投げつけられる。
「何が軍神だ。反逆者かよ」
「卒婚とか言ってたけど、裏切り者の本性がバレて婚約破棄されたんでしょ」
「国を乗っ取る性悪女だな」
「お高くとまってたけど、後は落ちていくだけね」
真実を知らない分別に欠ける者達の声なのに、その全てが私の心に穴を空ける。
アントンも父も助けられず、宰相の罪を暴けなければ、この欺瞞に満ちた偽りが真実にされてしまう。
そんなことにはさせたくないのに、前回のリズベッドだった時にまとわりついていた一人ぼっちの苦しみや絶望が思い出されて怖い。怖くて怖くて仕方がない。心に空いた穴から前回と同じ闇がドロリと這い出て、怒りが不安と恐怖に浸食されていく。
(怖い……。怖いよアントン。一人は嫌だよ、助けてよ……)
私は弱い……。
前回はこの視線から、この声から私は逃げた。そして、心を失った。逃げたら駄目だと分かっているのに、立ち向かうのが怖い。
アントンも父も私が助けないといけないのに、自分ではどうしたらいいのか分からないし、何もできない。
今度こそ宰相達に負けない力をつける努力をしたはずなのに、やっぱり私は無力だ。この手は誰も助けられない……。
城から庭に出てるとフィンは、突然私を横抱きにして小走りに進む。それじゃなくても気力が削がれている私は、驚くよりもされるがままだ。グイッと後頭部を掴まれ、顔を隠すようにフィンの胸に押し付けられた。
そうされると急に鼻の奥がツンとしてきて、目が熱い……? それで初めて、自分が泣いていることに気がついた。
アントンが心配、父の無念が悔しい、ベニスの裏切りが許せない、宰相の勝ち誇った顔が憎い、足を引っ張るだけで何もできない自分が惨めだ。どれもこれも私の感情をぐちゃぐちゃにかき乱す。
泣いている場合なんかじゃないのに。でも、涙が止まらない。
そんな悲劇のヒロイン気取りの私を、フィンは容赦ない言葉で現実に戻してくれた……。
「どうせ『前回と同じで、私は大切な人を破滅させてしまう……。もうこれ以上誰も苦しめたくないのに、わたしのせいで、みんなを不幸にしてしまう……』とか思ってるんだろう?」
(…………思ってましたけど……。人に言われると、こんなに恥ずかしいことはない)
「窮地に立たされているんだぞ? 過去の自分を責めて、目の前の事実から逃げてる場合じゃないだろ? そんなことより、他にやることがあるだろう?」
「え?」
「ルーが今やることは何だ? グズグズ泣くことか? 自分には何もできないからと、このままボケっと突っ立ってることか?」
「…………」
「今まで一体何をしてきたんだよ? 未来を変えるために奔走してきたんじゃないのか? 同じ悲劇を繰り返さないために、奮闘してきたんじゃないのか?」
フィンの言葉も、射るような視線も、捕まれた肩も、みんな体中の至る所に刺さって痛い。
ここで心を折ってたら、人生をやり直している意味がない。偽りで固められた運命を馬鹿みたいに受け入れるの? 二回目なのに、足掻かないでどうするの? そんなことをフィンに言われるまで気づけなかったなんて情けない!
ここで諦めたら、また後悔する日々だ!
(今踏ん張らないで、いつ踏ん張るの? 私を守るために無抵抗で地下牢に行ったお父様を誰が助けるの? アントンは絶対に私が助けに来るって信じて待ってるよ?)
「もう逃げないし、諦めたくない! 自分のせいで大事な人を失い、誰も救えないなんて嫌だ! 今度は、今度こそは、みんなを救いたい!」
私がそう叫ぶと、フィンは「よしっ」と笑って私を下ろしてくれた。そのままフィンは両手で私の頬を押さえると、上から真っ直ぐに私の目を覗き込む。
「やっと過去に逃げずに、今を見れたな」
満足気に笑うフィンを見たのは初めてな気がして戸惑うけど、リズベッドだった私が知っているフィンとは別人なんだと今更実感した。
『前回を通してフィンを見るのは止めて欲しい』と言われてもピンとこなかったけど、今やっと意味が分かった。
ルーリーとしてフィンに恋をしないように、私は予防線を張っていたんだ。
それが今のフィンを、私を殺すほど憎んでいた前回のフィンに置き換えることだった。だって前回のフィンは、私が絶対に好きになることが許されない相手だから。今のフィンではなく前回のフィンを見ていれば、私は自分を責めるのに手一杯で恋どころじゃなくなる。
だから、自分の気持ちにブレーキをかけられると思ったんだ。
(無駄な努力だったな……)
フィンが私を見下ろしたまま、ニヤリと笑う。
「今更俺を信用できないなんて言わないよな?」
「フィンを信用してる。こんなことに巻き込んで申し訳ないけど、私を助けて欲しい、です……」
私に助けを求められるなんて思ってなかったフィンは一瞬目を見開いたけど、すぐに嬉しそうに笑った。
「頼まれなくたって助けるに決まってる。でも、いつも一人で頑張るルーに頼られるのも悪くない」
そう言ったフィンは少し照れていて、顔が赤い。慣れないことを言った私も同様だ。
フィンの気持ちからも自分の気持ちからも逃げている私を助けてくれるなんて、フィンは本当に優しい人だ。
涙を堪え「ありがとう」と掠れた声を出すと、フィンは力強く微笑み指先で私の頬を撫でた。
「好きな女を助けるのは当たり前だ」
恥ずかしそうに先を進みかけたフィンが、真っ赤な顔で振り返った。照れ隠しで、わざと怒ったようなぶっきらぼうな声を出す。
「ほら、まずはアントンを探すぞ!」
フィンから伸ばされた手を、私はしっかりと握り締めた。
◆◆◆◆◆◆
読んでいただき、ありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます