第37話 裏切り
「彼のことは、よく知っているはずだな?」
ベニスの肩に手を置いた宰相は、留飲を下げ嬉々とした顔を私達に向けた。
「……ベニス……」
力の入らない父のかすれた声に、ベニスは何の反応もない。
(あんなに父を慕っていたのに、全て嘘だったの? 『ルー様とサートン様は、俺にとっても家族だ』と言ってくれたのも、嘘だったの? 勝手にいなくならないでって約束したよね?)
ベニスを非難したいのに、言いたいことは山ほどあるのに……。
奥歯を噛みしめて身体を震わす父が言葉を抑えているのを見たら、私が叫ぶなんてできない。
私より長い時間を二人は共に過ごしてきた。命だって預け合う仲だった。それなのに、ベニスは父を裏切っていたの? 宰相のスパイだったの?
相変わらず宰相は勝ち誇った晴れやかな笑顔を見せている。宰相からすれば楽しくて仕方ないだろうけど、私ははらわたが煮えくり返る思いだ。いや、それじゃ済まない。
だって、大切にしまってきた宝物が実は偽物で、勝手に破り捨てられてしまったんだよ?
例え偽物でも私にとっては幸せの象徴だったのに、ベニスにとってはアッカーベルトを陥れる仕掛けの一つに過ぎなかった。こんなに悲しくて悔しいことってある?
「ご存じの通りアッカーベルト辺境伯の右腕、ベニス・カーリスだ。アッカーベルト辺境伯の表の顔も裏の顔も知り尽くしている男は、ベニス以上にはいない? なぁ、辺境伯?」
「……あぁ、その通りだ……」
悔しそうに言葉を吐き出す父に対して、ベニスは全くの無表情。
(どうして? どうして、そんな表情で立っていられるの? 父を、アッカーベルトを裏切ったのに! 酷いよ!)
「そのベニスから、王太子誘拐に関わるとんでもない話を聞いた」
宰相の言葉に、父の眉がピクリと上がる。
「さっき私に話してくれたことを、辺境伯に話してくれないか?」
そう言われたベニスは、無表情のまま父と向き合った。
「アッカーベルト辺境伯は、娘が婚約破棄されたことに腹を立てていました。日に日にその怒りは増していき、遂には国に反旗を翻すことを決めたのです」
「嘘よ! 父は私と王太子殿下の結婚を望んでなかった! 婚約破棄に関しては怒った振りをしていただけで、喜んでいたわ! それに、仲間を大事にする父が、自分の私情で軍を動かすなんてしない! 絶対にしないわ! どうして、そんな嘘をつくのよ! ベニスのこと、見損なったわ!」
怒りを抑えきれなかった私の叫びにだって、ベニスは全く反応を示さない。眉一つ動かない。罪悪感さえないんだ……。
「父親の裏の顔を見たくないのは分かるが、今は大事な話をしているところだ。少し黙っていてもらえないか?」
そう言った宰相の声に反応して近衛の一人が私を拘束しようと手を伸ばしてけど、顔を青くして止まった。
「触るな……」
後ろに控えていたフィンが、唸るようにそう言って近衛の腕をギリギリと絞るように掴んだからだ。そして、私を部屋の端に連れて行く。
悔しくて腕を振り払おうとする私の身体を抱えると、耳元で囁く。
「今騒ぐのは賢明ではない。少しだけ、我慢しろ」
その言葉にハッとして見上げると、紫色の瞳を真っ直ぐに向けるフィンと目が合った。私を守ろうとしてくれているのが分かるのに、どこか信じ切れない自分がいて顔をあげていられない。
そんな怒りと失望で冷え切った私の手を、フィンが優しく握ってくれた。それはフィンの優しさで、私を励ましてくれているのは分かっているのに、今の私にはその温もりさえ怖い。
だって、小さい頃から繋いできたベニスの手だって、いつも優しくて温かかった。つないだ手の上にあるベニスの顔は、いつだって笑顔だった。それも全部、嘘だった……。
指先からじんわりと暖かくなるのが怖くて、私はフィンの手を振り払ってしまう。
「落ち着け。心を乱したら、相手の思う壷だぞ? ルーが宰相の手に落ちたら、辺境伯は身動きが取れない。今は宰相から逃げ切ることだけを考えろ!」
(フィンの言う通りで、冷静にならないといけない。だけど、どうやって? 怒りと不安で、叫び出しそうなのに!)
「俺は絶対に裏切らない。俺を信じろ!」
(前回の私がしたことも、結末も知っているよね? 私と一緒にいたら巻き添えで死ぬかもしれないのに、それでも手を伸ばしてくれるの?)
フィンの手を握り締めた私は、怒りと恐怖で乱れる息を整えた。フィンはずっと、落ち着くように背中をさすってくれていた。
宰相に話の先を促されたベニスが話し始めたのは、私が婚約破棄された時に他の兵士達と冗談で言い合っていたことだ。
屋敷の庭で私の焼いたパイを取り合って、みんなで笑いながら話していたのが嘘のようだ。あの時の笑顔は一切なく、ベニスは無表情のまま淡々と嘘を吐く……。
「国を討つ前に辺境伯は、娘を最も傷つけた王太子殿下の殺害を決めた。王太子殿下を殺すことで、王家や国軍の動揺を誘い、その隙をついてアッカーベルト辺境伯軍が城に攻め込む計画でした」
「辺境伯は、恐ろしいことに国を乗っ取るつもりだったのか……」
演技過剰な宰相の表情に、父の顔が怒りで紅潮する。
「乗っ取るつもりまであったかは分かりません。辺境伯は戦闘狂ですから、戦えればそれでいいのです」
「…………」
ベニスの発言に、父も私も息を飲む。
見た目のせいで勘違いされがちだが、父は戦いを好んでなどいない。
父が力を求め己を鍛えたのは、大切なものを守るためだ。守るため以外に戦ったことなど無い。自ら戦いを挑んだことなど、一度たりともない。
(そんなこと、ベニスだって知っているはずじゃない! 一番側で戦ってきたのだから、誰よりも知っているはずじゃない!)
「国へ攻め込むための準備や補給地の整備、王太子殿下誘拐の指示を、私が辺境伯から受けました。行方をくらましている護衛に辺境伯からの指示を伝えたのは、私です」
「王太子殿下はどこに? 無事なのか?」
「無事ではないでしょうね……。すぐに殺すようにという指示でしたから」
ベニスのその言葉に、覚悟をしたように父は目を閉じた。
宰相は狂気に満ちた目を父に向けると、「どうだい? 最も信頼した部下に裏切られた気分は?」とでも言いたげな顔で笑った。
「ベニスは三十年近く前に、父と兄二人を戦闘狂であるお前に殺されたそうだよ? 以来ずっとお前を恨み、お前の本性を暴こうと狙っていた。ベニス、ついに敵を討てたな」
「宰相様のお陰です。やっと戦闘狂の闇をさらすことが叶いました」
信じられないことにベニスは、父を戦闘狂呼ばわりして宰相に頭を下げた。
ベニスが人に媚びを売るのを初めて見た。目の前のベニスが別人にしか思えなくて、何度も見返すほど私にとっては信じられない。
そんな私と違ってベニスの態度に満足そうにうなずいた宰相は、父に最後通告を突きつけた。
「辺境伯を地下牢へ」
宰相のその冷たい声に反応した兵士達は、父の反撃を恐れ腰が引けた状態で取り囲んだ。兵士達に恐る恐る腕を掴まれた父は抵抗せず、なすがままだ。当然父が反撃してくると思っていた彼等は、無抵抗の父に驚いていた。
(私がいるからだ。私を守るために、お父様はこんな屈辱に耐えているんだ……)
最強の兵士と言われたスヴェン・アッカーベルトは、一切の抵抗なく兵士達と共に部屋を出た。その後ろ姿は、一回り小さくなってしまったように感じられた……。
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読んでいただき、ありがとうございました。
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