第26話 秘密
リズベッドだった私が目の前にいて、これは夢なのだと分かる。
私の、過去の記憶が見せる夢だ。
王族専用の中庭では、甘い香りの花が色とりどりに咲き乱れている。
自分の腰ほどある花が両脇を彩る小径を抜けた先に、私専用の花壇がある。そこには私が気に入った形や色の花が、庭師によって綺麗に植えられている。
子供らしく小さな花が多い可憐な花壇の前で、五歳の私が泣いている……。母が気まぐれで与えてくれた、レモンイエローのカナリアが死んでしまったからだ。
隣国の手土産として母がもらったカナリアだったけど、手入れが悪くて弱ってしまった。
自分の手元で死なれると都合が悪いと思った母が、娘のせいにするために私に押し付けた。そんなことは侍女達の噂話で知っていた。例えそうなのだとしても、母からプレゼントをもらったのは、初めてだ。幼い私は嬉しいに決まっている!
「せっかく、お母様が初めて私にプレゼントしてくれたのに、死んでしまうなんて……。お母様は私のことが、もっと嫌いになってしまう。どうしよう……、どうしたらいいの? お父様?」
「このカナリアは元々弱っていたんだ。それはお母様だって知っている。リズが一生懸命お世話していたことだって知っているよ? だからお母様はリズを嫌ったりなんてしない」
「嘘です! お母様は私がお世話していたことなんて知らない! だって、私の部屋に来てくれたことは、一度もないもの!」
癇癪を起こして泣きじゃくりながら死んだカナリアを抱きしめる私に、父もお手上げで見ているしかできない。
「このカナリアがいれば、お母様は私の部屋に来てくれると思ったのに!」
「カナリアの話なら、お母様も聞いてくれると思ったのに!」
「お願い、カナリアさん、生き返って!」
死にそうなカナリアを元気にしてあげれば、きっと母は喜んでくれると思った。母の関心を引くために、私にはカナリアが必要だった。だから、私は心の底から強く「生き返って欲しい!」と願った。
祈りを込めたその瞬間、私の腕から太陽が昇るように光った……。
その光を直視した私は、あまりの眩しさにずっと光の中にいるような感覚に陥って光以外何も見えない。
だが、腕の中に横たわっていたカナリアから「ピィピィ」という声が聞こえ、羽ではなく足で立つ感覚が伝わってきた。
「カナリアが、生き返ったの? そうなの? お父様。お母様は喜んでくださる? お部屋に来てもらえる?」
喜んでいる私の腕から重みが失われ、父にカナリアを取られたのが分かる。
せっかくの母との繋がりを奪われた私は、慌てて父を見上げた。でも、相変わらず光の中にいるように眩しくて、視界がぼやけて父の顔がよく見えない。
「お父様! そのカナリアは私のですから、返してください! 私が元気にしたのですから、お母様はきっと褒めてくれますよね!」
「カナリアは生き返っていないよ? リズの勘違いだ。お父様が今埋めてあげるから、天国に行けるようにお祈りをして?」
カナリアの鳴き声は確かに聞こえた。細い足で立った感覚だって、腕にまだ残っている。
お父様は嘘を言っているんだと分かった。でも、何も言えなかった。
その時は幼過ぎて理由は分からなかったけど、言ったらいけないことなのだと感じていたんだと思う。秘密にしないといけないのだと……。
花壇の盛り上がった土に祈りを捧げていると、父が痛いほどに私の腕を掴んで言った。
「リズ、カナリアのことは忘れなさい。今日のことは、絶対に、誰にも言ってはいけないよ?」
そう言った父は、両端の口角を上げて笑った。
それはいつもの穏やかな笑顔とはかけ離れていて、まるで口が裂けていくように私には見えた。怖くて涙を堪えた私は、父に笑顔を返せなかった……。
ブライアンが私の護衛になって、一年が過ぎていた。当初は反発し、反抗の限りを尽くした私だったけど、ブライアンのおかげでやっと自分の過ちに気付いて、初めて心穏やかな日々を送っていた。
「お母様からの愛情が得られないからって、周りに当たるなんて最低よね……」
「最っ低です」
眉間と鼻筋に皺を寄せて言うブライアンのその態度にも、腹は立たない。
だって、私は知っているから。
「リズ様はそれに気づけたのですから、立派なものです」
ブライアンはニカッと笑うと、私の髪をぐしゃぐしゃに撫でてくれることを。その手が、とても温かいことを。
父のように母のように私に接してくれるブライアンが、私は本当に大好きだった。
だから、あの日も、ブライアンに何か恩返しができないかと思っただけなんだ。
「ねぇ、ブライアンの奥さんは亡くなったのでしょう? 生き返らせたいと思う?」
ブライアンの妻は、彼が私の護衛になる直前に流行り病で亡くなっていた。
「そうですねぇ……。妻は自分の人生を全うしてこの世を去ったのだから、生き返らせたいとは思いません。だけど、最後に少しくらい話をする時間は欲しかったですね。俺は仕事で家を空けてばかりだったから、妻とはほとんど話をしていなかったんです。それだけは、心残りだな。リズ様も、いつでも話せるなんて思わず、思った時に思ったことを伝えないと後悔するかもしれませんよ?」
そう言ったブライアンは、いつもより寂しそうに見えた。
だから、私はブライアンの役に立ちたかったんだ。
「……ねぇ、ブライアン、もしかしたら私、ブライアンの奥さんを生き返らせることが、できるかもしれない」
いつになく真剣な表情の私を、ブライアンは怒ることも笑うこともなかった。
私がブライアンの役に立ちたいと思っていることを分かってくれて、優しく私の頭を撫でてくれた。
「ありがとうございます、リズ様。でも、そういうことは言ってはいけません」
私はブライアンに信じてもらえなかったことが悲しかった。私にはできるんだということを、何としてもブライアンに分かって欲しかった。私だってブライアンの力になれるのだと、知って欲しかった。
愚かな子供の自己顕示欲だ。
私は自分の花壇の中から枯れた花を一輪取って、ブライアンに見せた。元は水色の花だったはずだ。
「この花の見頃は終わりましたからね。次はどんな花を植えますか? また図鑑を見……」
ブライアンは言葉を失って、光る私を見た。
カナリアの時と同じように、私は花に『生き返って』と願った。
自分の手の中で咲き直した花を自慢げに見せた私は、「ほらね、生き返った」と胸を張った。ブライアンは喜んでくれると、信じて疑ってなかったから。
自信満々に花を突き出す私の手から、ブライアンは花を奪い取った。そして、その花に火をつけて燃やした。
燃える花を見せないように、ブライアンはギュッと強く私を抱きしめた。
「こんなことをしなくても、私はリズ様を一人にしたりしない。こんなことをしなくても、リズ様は周りから愛されるべき方だ。こんなことをして、人の気持ちを得ようとする必要はないんです。以前の我が儘リズ様だって、今の周りの役に立とうとしているリズ様だって、私は大好きですよ。それを絶対に忘れないで下さい」
せっかく生き返らせた花をブライアンが燃やしたのに、私に怒りはなかった。
ブライアンのしたことが当たり前だと分かっていた。ブライアンが誰に対して怒りに震えているのかも、私は分かっていた。
だから、ブライアンから「いいですか、リズ様。今やったことは、二度とやってはいけない!」と怒ったように言われた時も、素直にうなずけた。
レモンイエローのカナリアのように、花は茎も葉も花びらも全てが赤黒い色に変わっていた。
生き返ったその赤黒い花が、私の視界の端で炭になりながらビクリと動いた……。
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読んでいただき、ありがとうございました。
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