第21話 クラウス・ユーグレート

 今日も私はアントンの執務室に呼びつけられていた。

 本当に執務を手伝って欲しいという呼び出しなだけに、信じられないくらい溜まった書類を前に頭が痛い。

 計画が失敗してからは仕事どころではなく、執務机に山積みにされていく書類は見て見ぬ振りをしていた。だって、私の仕事じゃないから。

 今日だって私がするべきことは、引継ぎの指示だけのはずよね? 解せない……。

 私の不満な顔に気付いたのかクラウスは申し訳なさそうな表情をしつつも、書類をもう一山積み上げた……。


 クラウスは宰相の息子でアントンの側近だ。王太子を支え合う仲間として、何度、いや、何百度、ため息をつきながらアントンの尻拭いをさせられたか分からない。

 クラウスは非常にきっちりとした真面目な人だから、最初はアントンと付き合うのは無理だと思ったんだよね。でも、自分の常識をアントンに当てはめるのを早々に諦める判断力があったから、兄か父かというレベルでアントンを見守る稀有な存在になってくれた。


「久しぶりだね、ルーリー様」

「様は、もういいよ。私は王太子殿下の婚約者じゃないもの」

「……そうだよね、婚約者じゃなくなったのに……」

 そう呟くクラウスの周りだけ夜になったみたいに暗い……。


(アントンの面倒を一人で見る心労が溜まっている? アントンの尻拭いを一手に引き受けるなんて、笑えないよね……)


 既に彼は「何日寝てないの?」というくらい、土気色の酷い顔色をしている。お疲れ様です。

 何で私が執務をするの? とは思うけど、このクラウスを前にしたら文句も言えない。仕方なく私は書類の確認から始めることにしたんだけど、アントンだけでなくクラウスまで仕事をしようとしない。

 執務より縄抜けが大事なアントンはともかく、真面目なクラウスが仕事をさぼるなんてあり得ない。


 おかしいと思って改めて二人を見ると、どよんと重苦しい雰囲気をまとっていた。

 ため息をついて部屋の空気を湿らせているのはクラウスで、アントンは助けを求める目をしている気がする。

 自慢じゃないけど機転を利かせた話術なんて、この私が持ち合わせているはずがない。


「……えっと、何か……、あったのかな?」


 アントンは隣に座るクラウスをじっと見ている。

 なぜかクラウスはピシリと固まっていて、膝の上に置かれた両拳の血管が浮き出ているのが気になる。それに、土色の顔により影が差していく……。


「俺の婚約者が決まったんだ……」

 そう言ったクラウスの目は、完全に死んでいた……。


 フィンが野性的で力強い男性の代表選手であるのなら、クラウスはその真逆、知的で聡明な男性の代表だ。

 スラリと背が高く細身の身体。ダークブロンドの髪は耳を半分隠すくらいの長さで、サラサラと柔らかそうに揺れている。一見表情の乏しい灰色の瞳は、心を開いた人には色々な顔を見せてくれる。

 そんな美しい顔立ちのクラウスに憧れる令嬢は多く、この年で婚約者がないのがおかしかったくらいだ。


 そんなクラウスが、私よりも白い肌を思いっきりくすませてうなだれている……。

 ため息交じりに出てきたその言葉は、私にとっても衝撃の告白だ。


「……相手が、恐れ多いことに、リズベッド王女殿下なんだ……」

「…………」

 咄嗟にアントンを見ると、渋い顔でうなずいている。


(そうだ……。身分も高く優秀で美しいクラウスに婚約者がいないなんておかしい! 宰相は時期が来るのを待ってたんだ! そんなことにも気がつかなかったなんて、私達は本当に甘かった!)


「俺の父親は、あの通り野心家だろ? 王家の血へのこだわりが強いんだ」

「確かに宰相は、権力とかお金とか名誉とか大好きだよなぁ。全部手にしたのに、まだ足りないなんて強欲が過ぎるだろう」

「ちょっと、アントン……」

 私がアントンを嗜めると、クラウスは「いいんだ、ルーリー。アントンの言う通りだ」と苦笑した。


 クラウスの父親は宰相としても公爵としても、この国で一番と言っていいほどの権力を持っている。持っていないのは、『国王陛下』という称号だけだ……。

 私がアントンに不安の目を向けると、アントンも同じ視線を返してきた。


「俺も公爵家の人間だ。自分の結婚が政略結婚なのは分かっていた。それで構わないと諦めていたのに、希望が見えたと思ったら……。これだよ?」

 そう言ったクラウスはため息を吐くと、力なく笑った。


「まだ発表はされてないわよね? 昨日の様子だとリズ様だって知らないと思う。……確定なの?」

「父が陛下に打診をして、もう返事をもらっている。近く時期を見て発表されるだろうな」

「アントンの婚約者が決まってないのに? 王太子の婚約者より先に、リズ様の婚約者が決まるなんてあり得ないわ!」

 苛立った私は、つい大きな声を出してしまう。


 アントンとクラウスが、気まずそうに顔を見合わせている。

 ちょっと興奮してしまったけど、私が言ったのは当たり前のことだ。

 アントンは結婚していてもおかしくない年齢だし、公式の場に出るのにパートナーがいないのはおかしい。今優先されるべきは、アントンの婚約者のはず!


「国内はもちろん、国外を探したって、アントンの婚約者はそう簡単に見つからない」

「この十五年、ルーに甘えてきたからね。ルーと同等の能力がないと、俺の婚約者にはなれないだろう? そんな令嬢は、そうそういない」

「そんな……」


 諦めきった二人に、私も身体から力が抜けた。

 でも、待って! 今の問題はアントンの婚約者じゃない。リズ様とクラウスが婚約してしまうことだ!


 クラウスとの婚約話は、前回だとリズベッドの幼少期から言われていたことだ。それなのに今回は話にも上がってこなかった。だからリズ様を女王にすることも、王家の血を塗り替えることも、宰相は諦めたのだと思っていた……。

 勝手に安心していた私は、リズ様は好きな人と結婚できると甘く考えてしまったんだ。

 失態だ……。


「……クラウス、断れないの?」

「えっ? それは、ルーリーは俺に婚約して欲しくないってこと?」

 なぜかクラウスがくすんだ肌を赤く染めて、灰色の瞳を輝かせている。


「当然よ。リズ様には、好きな人と結婚して欲しいもの!」


 クワッと目を見開いた私がそう叫ぶと、なぜかアントンは両手で顔を覆ってしまった。クラウスはより一層肌をくすませて、瞳を静かに閉じた。

 完全に生気を失ったように見えるクラウスは、「会議があるから……」と言って部屋を後にした。




 ばたんと扉が閉じると、暫くの間部屋が沈黙で包まれた。そして、私もアントンもため息とともに、ソファに沈み込んだ。


「……嘘でしょ? 今回の宰相はそんな素振りなかったから、安心してた……」

「あー、ルーの悩みはそうだよね? 俺はクラウスの打ちのめされた心が心配だよ」

 アントンは呆れた顔を私に向けるけど、意味も分からないし、それどころじゃない。


「この十五年、前回と違う道を選んで、新しい未来の道を作ったと思ってたけど。やっぱり、違ったんじゃないかな? 実は、私達のしてきたことって問題を迂回していただけなんじゃない? 結局は前回と同じ道に辿り着いてる……」

「そうは考えたくないけどね……。俺も殺されちゃうから困るし……」


 前回の敵が急に動き出してきた。

 非常にまずい状態なのに、なぜかアントンは私に非難の視線を向けている……。




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

本日二話目の投稿です。

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