第18話 リズベッドの護衛

 突然、ノックもなく王太子の執務室の扉が、壁にぶつかるほど勢いよく開け放たれた。アントンだって、腐っても王族だ。そんなことは普通に考えてあり得ない。こんなの、緊急事態か異常事態だ。

 前回殺されている非力な私達が、二人寄り添って震え上がるのは臆病なんじゃなくて当然のことだと思う。

 そんな私達の頭にキンキンと響いたのは、甲高いヒステリックな声?


「ちょっと! 婚約解消したんだから、お兄様はルーお姉様の側に寄らないでよ!」

 そう叫んでずかずかと室内に入り込んできたリズ様が、私達を引き離した。というか、アントンを突き飛ばした。

 アントンよ、ビビっていたとはいえ、妹に押し出されて床に倒れるって……。


 今はこんなことになってますけど、リズ様は我が儘王女にはならなかった。

 だって、七歳から城に上がった私が、側で叩き直したもの。リズ様を甘やかそうとする大人からも、利用しようとする大人からも守り抜いた。無関心な母の分も、リズ様に寄り添って孤独になんてしなかった。

 自分がして欲しかったことを、ブライアンが私にしてくれたことを、私は全部リズ様に注ぎ込んだ。


 そのおかげかリズ様の評判は上々で、今や立派な淑女だ。確実に兄より優秀で有能なので、彼女を王女にという声が高まっているのが問題だと思えるほど、素敵な女性に育ってくれた。

 明るく人の気持ちが分かる女性になってくれたおかげで、私が一人も持てなかった友達だってたくさんいる。笑顔と幸せに囲まれた生活だ。だからこそ、リズ様の幸せを壊そうとする者は、誰であっても許せない。


 そんな彼女がノックもしないで執務室の扉を開ける? そんな子が淑女? 

 そうだよね、そう思うよね。完璧な淑女であるリズ様にも、たった一つ弱点がある。それが、私だ。

 リズ様の全てを知り尽くしている私は、かつての自分を更生するべく愛情を込めて接した。その気持ちに応えてくれたリズ様は、淑女になっただけではなく、シスコンにもなってしまった……。

 私絡みとなると、誰であろうと嫉妬を隠さない。

 今は私とアントンが仲良くビビっているのが、気に入らなかったのよね……。


 だけど、これは淑女の行動としては問題。好かれているのは嬉しいけど、きちんと駄目なことは叱らなくてはいけない。それが、リズ様を導く私の役目なんだけど……?


「リズベッド殿下、ここは王太子殿下の執務室です。ノックもしないで勝手に入った上に、王太子殿下を突き飛ばすなんて不敬ですよ」

 私が言おうとしたことを、先にフィンが言ってしまった。


 そう言われたリズ様はフィンには甘えたように口を尖らせるけど、アントンには猛攻撃を仕掛けた。

「だって、執務室とはいえ、人払いして二人が話し込んでいると聞いたから邪魔しに……じゃない。ルーお姉様に変な噂でもたったら困るじゃない! お兄様は自分の立場を弁えて自嘲すべきだわ! ルーお姉様を独り占めする権利は、お兄様にはもうないのよ!」

「だからといって、ノックは必要です」

 見上げるほど高い頭上から繰り出されるフィンの圧に負けたリズ様が、渋々「分かったわ。お兄様、ごめんなさい」と謝った。棒読みだけど……。アントンも苦笑するしかないよね?




 リズ様の後ろに立っている紫色の瞳が険しく凛々しい男性は、フィンレイル・ハインスだ。

 そう、ここにブライアンはいない。今回ブライアンは、リズ様の護衛にはならなかった。

 リズ様は侍女とも護衛とも、良好な関係を築いてきた。護衛のなり手がないなんて異常事態が起きることはなく、この先も女性護衛のままでブライアンが選ばれることはないんだと私は思っていた。

 これでハインス家を巻き込むことはないと安心していた私に激震が走ったのは、リズ様が十六歳の時だ。

リズ様の学院入学と同時に、フィンが専属の護衛になった。


 フィンが護衛になった理由は、アントンと色々嗅ぎ回ったけど分からなかった。

 だって、フィンは前回属していた第二師団ではなく、第一師団の近衛騎士になっていた。近衛でフィンの実力なら、王族の護衛につくのは当然の流れだ。


 前回の司令官になるのとは別の夢があるのだろうか? なんて考えたりもするけど、それは私が知るべきことではない。

 私がすべきことは、自分はなるべくフィンに関わらないこと。リズ様が私のように思いを暴走させないように見守ることだ。

 まぁ、そんなのは、私の取り越し苦労だったんだけどね。


 今の二人を見ていれば分かるけど、リズ様とフィンは信頼関係を築いている。


 フィンはリズ様を睨んで「言い方……」と顔を顰めているけど、本当に怒っている訳ではないと一目で分かる。リズ様は仏頂面で無視しているけど、甘えが見て取れる。

 王女としての意識が高いリズ様が甘えるなんて、私と侍女のエライザ以外にはフィンだけだ。フィンに対して特別な感情がある証拠だと、私は思っている。


「ルーお姉様、フィンレイルが騎士のくせにマナーの先生みたいなことを言う。女々しいと思わない?」

「ハインス様は、リズ様のためを思って言って下さったのですよ? 私だって同じ意見だわ」

「だそうですよ。ありがとうございます、ルーリー嬢」


 そう言って微笑んでくれるフィンの笑顔を、私はまともに見ることができない。

 フィンを前にすると、過去の罪悪感と、生温い血の感触と息苦しさが襲ってくるからだ。この恐怖心は、きっと私への警告だ。今回はフィンと関わるな、また彼の未来をぶち壊すなという、警告。

 だから、こうやって二人がじゃれ合っているのを、少し離れた所から見守っているくらいが丁度いい。


 とは言っても私は、気持ちの上ではリズ様の侍女であり、母でもあり、姉でもある。毎日なんとか時間を作っては、お互いに行き来してきた。となれば、どうしたって護衛であるフィンと毎日顔を合わせてしまう。

 最初は親しくなったらどうしよう? なんて馬鹿な心配をしたけど、フィンは全く私に興味がなかった。私達の間の会話は、業務連絡とブライアンの安否確認だけだ。


「あの、ハインス様、お父様は、お元気ですか?」

「どうでしょう、ああいう適当な性格の人ですから、便りがないのが元気な知らせということでしょう。ルーリー嬢には、いつも気にしていただいて、ありがとうございます」

「いえ、元気なら、良かったです……」


 前回では誰よりもお世話になり、誰よりもひどい仕打ちをしてしまったブライアン。今ブライアンが元気で幸せなら、何も言うことはない。

 何より二人が軍人として望んだ仕事ができている事実が、未来は変わったのだと私を安心させてくれる。


「ルーお姉様、明日の慰問なんだけど、久しぶりに一緒に行きたいのだけど駄目ですか?」

 美しい美女に上目遣いお願いされると、かつての自分なのに見とれてしまう。

「王太子殿下の婚約者ではない私は、もう準王族扱いではないの。リズ様の公務に同行する訳には……」

「お姉様は特別相談役だから問題ないわ。お願い! いいわよね? フィンレイル?」


(えっ? それはフィンに確認すること?)


 かつて私にはほとんど向けてくれなかった笑顔で、フィンは「責任をもってお守りしますよ」と言った。


(間違ってる! 私という不確定要素の側にいることが、フィンにとって一番の危険なんだよ? 守ってくれなくていいから、私に関わったら駄目だ!)


 私の心の叫びは二人に届くことなく、押し切られた……。




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

本日、もう一話投稿します。

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