未来を変えるために

第17話 アントンの受難

 過去を思い出してのんびりと紅茶を飲む私の前で、のたうち回っているのはアントン。

「こんなはずじゃなかったぁぁぁぁぁぁぁ」

 三歳のサートンだって、ここまで酷くなかったと思う。


「自慢じゃないけど、俺は役に立たない。ルーに全てを任せるなんて卑怯だと思ったけど、俺が残ったところで足を引っ張るだけだったんだ!」

 床の上に寝っ転がって足をばたつかせて後悔を表現する二十二歳にそう言われたら、私は何て返せばいいのだろう?

「…………とりあえず、ソファに座って話そうか?」


 クズる子供の手を引いて、椅子に座らせてお菓子と紅茶を出す……。お母さんの心境です。

 安心しきっているアントンは、私が持ってきたお菓子をリスのように口一杯に頬張っている。


「ルーが持ってきてくれた菓子なら、媚薬やら毒やら何やら入っている心配がないから安心して食べられるよ。紅茶も持ってきてくれたんだろ?」

「ポットもみんな持ち込みだから、安心して」


 アントンはもう幼児のように微笑んで貪り食っている。

 もしかしたらと思って、準備をしてきて良かった。


「毎日毎日毎日、令嬢が押しかけてきて……。昨晩なんて、私室のベッドに裸の女がいた。護衛と一緒に部屋に入ったから良かったけど、勝手に既成事実をでっち上げられるところだった。あいつら、マーゴより怖いよ……」

「嘘でしょ? どうなってんの、王城の警備……」

「ルーの目がなくなったと思って、城の使用人達は一気に気が緩んでるんだろうな。だから、賄賂が横行して、王太子の私室だって金次第で入れる始末だよ。世も末だ……」


 執務なんて私任せで、公務だって私任せで「俺、笑ってる担当だから!」と言ってストレスと無縁だったアントン。そのアントンが、疲労困憊だ。令嬢恐るべし。


「マーゴが他国の後妻になって、やっと一息付けたと思ったのにね」

「そうだよ! やっとマーゴの呪いから解き放たれたと思ったのに!」


 アントンが呪いと呼ぶほどに、マーゴはしつこかった。私の努力の甲斐もあって、アントンを諦めたマーゴは無事に別の人の下へ嫁いでくれたんだけど……。

 マーゴを娶ることで国の金を使い過ぎて国を弱体化させ、国の評判を落とし、国民から憎まれるというアントンが恐れた未来は消えた。

 だけど、マーゴを回避できたら万事解決という訳にはいかなくなったアントンには、まだ受難が残ってるんだよね。


「辺境に行っても、暗殺されたって話だけど?」

「……あぁ、それね……。ちょっと、忘れたかったのに……」

「……大事なことだよ? 忘れちゃ駄目だよ……」


 自分が死ぬかもしれない事実から現実逃避? 令嬢攻撃が大変だったみたいだけど、こっちは生きるか死ぬかの大事な問題だ。

 どうするか考えないと、本当に殺されてしまう……。いつもみたいにのんびりおっとり面倒臭いって言ってたら駄目だよ!




 前世のアントンは辺境の地の領主にはなったけど、国を貶めた馬鹿王太子として、それはそれは蔑まれたそうだ。でも、そこはアントン。領内の管理は全て代理人に任せて自分は表には出ずに、趣味に没頭してのんびり過ごしていたらしい。

 そんなアントンが、王都に帰りたいとか、王太子に戻りたいとか、そんな野心を持つわけがない。大体、王太子である今だって、王になんてなりたくないと言い切る人だ。


「俺が王になったって、玉座に座ってるだけだろう? その上、難しい言葉を暗記して、言わないといけないんだろう? それってすごい面倒臭い。だいたいさぁ、そんなんだったら、王なんて誰でもよくない?」

 本気でそう言えてしまう人だ。

 王家の血がとかこれっぽっちも思っていなくて、「出来る奴がやればいい」と思っているのがアントン。

 これで「俺は市井に出て働く」とかだったら恰好いいんだけど……。のんびりゆっくり悠々自適で一生を終えたいというのがね……。

 まぁ、それも、アントン……。


 そんなアントンの最期が、暗殺か……。王族なんて、なるもんじゃないよね。




「そもそもさ、マーゴとのことは仕組まれていたんだ。マーゴに入れ智恵をして俺を誑し込むように唆したのは、俺の暗殺指示を出した奴と同じ。マーゴという毒婦を娶らせることで、元から低い俺の評判を地に落とそうとしたんだって。それによって、最低でも廃嫡、できれば死刑にする予定だったそうだよ」

「どうして?」

「あいつは、リズを絶対に女王にしたかったんだ。そのためには、王家の血を持った俺が邪魔だ。完璧を期すために、俺は始末された」

 アントンがマーゴの手管に勝手に落ちたのだと思っていたけど、そこまで仕組まれた話だったなんて……。私は相手を甘く見過ぎていたかもしれない。


「それも冥途の土産で教えてもらったの?」

 私の疑問に、アントンが思いっきり顔を顰めた。

「俺の反応見て楽しむ糞野郎だったからねぇ」

「……」


(それは、酷い……)




 冷たくなった紅茶を一口飲むと、何だかとても身体が冷える。紅茶のせいかと思ったけど、違う。

 これからアントンの身に起こることを思うと、怖いんだ。

 前回のアントンの最後は、もう聞きたくないぐらい酷いものだけど。もしかしたら、今回の方が、アントンにとってはもっと恐ろしいかもしれない。


「計画が失敗して、世間からアントンは改心した王太子って思われてる。それって……」

「そんなに青い顔しなくたって、俺だって分かってるよ。相手は俺じゃなくて、リズベッドを女王にしたい。俺が王に近くなれば、それだけ暗殺される可能性が高まるってことだよね? 令嬢やら暗殺者やら、俺の寝室や食事には危険が一杯だよ!」


 そう言ってアントンは笑ったけど、本当は笑える状況ではないはずだ。

 きっと私を不安にさせないために笑ってくれてる。

 マイペースなアントンが私に気を遣うほどって、どんな状況? 相当追い込まれているってことだよね?


「私達は未来を知っているから、先回りしていると思って油断していたのかも。私達が知らないところで、相手はもう準備を始めている可能性だってあるよね?」

「それは否定できない。でも、俺達が前回とは違う選択をして、未来を変えているのも事実だろ? 今のリズベッドには俺もルーもいるんだから、前回のように簡単に女王にはできない」

「私も前回と違う選択をして、前回と異なる人間になれば、未来は変わると思ってた。でも、その保証はどこにもないよね? 甘かったのかもしれない……。敵と刺し違えるぐらいの気合がないと、未来なんてそう簡単に変えられるはずがなかったのかも……」


 廃嫡され王位に対する野心の欠片もないアントンが、王家の血を持つという理由だけで謀られて殺された。相手は私が思っている以上に、用意周到で冷酷だ。

 今までの私達の行動なんて、大した打撃じゃないかもしれない。


「殺されるのは、アントンとリズ様だよ? 私じゃない。私の代りに、何の罪もないリズ様が殺されるなんて嫌だよ! アントンを助けたいのに、どうしたらいいか分からない!」


 見えない未来を相手に私は真剣に話をしているのに、アントンはとんでもないことを言い出した。でも、その顔は真剣そのものだ……。


「ルーはお人好しだな? 元々俺は自分が助かるために、ルーを脅して自分の婚約者にしたんだよ? ルーは俺を見捨てていいんだ」

「えっ? アントンを、見捨てる?」

「前回の俺は、リズに何もしてあげなかった。そんな俺を一度だけじゃなく、まだ助ける必要がある?」


 確かに前回のアントンはマーゴにかまけて、見下げ果てた奴になっていた。一人ぼっちで苦しむ私に手を差し伸べる余裕なんてなかったし、私なことなんて目にも入ってなかったと思う。

 だけど、私のした過ちに比べれば、アントンの方が遥かにましだ。

 それに、私もアントンも家族に恵まれず、城では孤独で辛い思いをしていた仲間だったのだと今なら分かる。


「前回はお互いに思うところはあると思う。でも、今回のアントンとは、十五年も助け合ってきた絆があるよね? 私がアントンを見捨てるはずがない。アントンだって同じでしょ?」

 そう言った私にアントンはとても驚いた顔をしたけど、すぐに嬉しそうに笑った。


 アントンがホッとした顔で私の手を握り何か言いかけると、執務室の扉が弾け飛ぶように開けられた。




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

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