第9話 特別相談役の憂鬱

 私が『王太子の婚約者』改め『特別相談役』として城に登城したのは、卒婚をしたあの日から十日後だ。

 辺境伯軍の怒りを鎮めるのに日数を要したのと、いわゆる世間体という奴だ。要は、婚約破棄された私が、翌日から涼しい顔で元婚約者に会っているのはおかしいだろうってこと。本気かどうか判断がつかないけど、父には一年は会うなと言われた……。

 そんなことしてたら、確実にアントンは発狂してしまう……。いや、その前にせっかく辺境伯軍から守った命が失われてしまう……。

 父は物凄く不満顔だったけど、「特別相談役が来なくて執務が滞っている」という理由で何とか登城できた。


 公務に出ているリズ様の部屋を通り過ぎて、アントンの執務室の扉を叩く。

 私が来るのを今か今かと待っていたアントンは、扉の前で仁王立ちでお出迎えしてくれた。

 その顔を見て思わず出た言葉は、「どうしたの?」だ。

 出会ってから十五年その中で一番、いや、その前を含めても今が一番顔色が悪い……。白いはずの肌が黒ずんで、一気に三十歳位老け込んでる。苦労知らずのアントンの目の下に隈なんて、初めて見た……。


 少したるんだ隈を揺らして、アントンは怒っている。

「来るのが遅いよ、辺境伯に殴られる覚悟で屋敷に行こうかと思っていたところだぞ!」


 本気で実行しようと騒いだのだろうな。

 アントンの護衛が、感謝で目を潤ませて私を見ているもの。そりゃそうだ。間違いなく父に殴られるのは、アントンではない。アントンを庇うことになる、護衛だ。

 しかも、父に殴られる程度で済むはずがない。今アントンが来たら、我が家に控える精鋭部隊が嬉々として動くんだよ……。そんなの、護衛が可哀相すぎる。


 アントンはそんな身代わりも覚悟していた大事な護衛を、「特別相談役と極秘の話があるから、外に出て待っていろ」と部屋の外に出してしまった。

 婚約を解消している訳だし、部屋に二人きりはまずい。それでも、本当に二人以外に聞かれる訳にいかない内容なのだから仕方がない。


(変な噂をたてられようが、結婚したい相手もいないんだから問題ないしね)


 護衛が部屋の外に出ると、アントンはまるで病人のようにフラフラと紺色のソファまで歩き、どさりと柔らかいソファに身を沈めた。そのまま右手で顔を覆い、天井を見上げている。相当お疲れの様子だ。

 私は自分で持ち込んだティーセットで紅茶を淹れてから、アントンの向かい側に座った。

 うん、今日も美味しい!


「のんきに紅茶を飲んでいる場合じゃないって! 廃嫡されないせいで、とんでもないことになってる! 本当に、とんでもないことになっている!」

 わざわざ二回言った。それだけ、大変なことになっているんだろう。アントンの心の底からの嘆きだ。




 私たち二人の計画は、私と婚約破棄したアントンは廃嫡され辺境でのんびり過ごす。私はリズ様の侍女となって降嫁を見届けたら、他国で自立して生活をする。というものだった。

 私は計画通りだけど、アントンは失敗に終わった……。

 私達の卒婚が美談として世間に受け入れられたせいで、アントンは期待を背負った王太子になってしまった……。絶対に王になりたくないアントンにとっては、最低最悪の状況だ。


「もう知っていると思うけど、国民はアントンが心を入れ替えて賢王になることを期待しているよ?」


 私の言葉にアントンが絶望的な表情で応える。

「国民だけじゃないよ。ご令嬢達もだよ! 今まで俺の世話はルーしかできないって見向きもしなかったのに、勝手に俺が心を入れ替えたと勘違いした厚化粧の令嬢達が毎日適当な理由をつけて押し寄せてくる……。やっと、やっと、マーゴの呪いから解放されたのに……」


 私が担っていた王太子の婚約者とは、王太子妃としての仕事だけではなく王太子の仕事もこなす力を身に付ける必要があった。その上、何かと問題を起こすアントンや国王や王妃のフォローに奔走しないといけない。ハッキリ言って、不遇職だ。

 アントンが生まれ変わったと誤った情報が流れたことで、普通の王太子妃としての仕事だけすればよいと勘違いした令嬢と親が続出したんだろう。何と浅はかな……。


 当のアントンは生まれ変わる気なんて、さらさらない。

 今だって頭を抱えて叫んでいる。


「こんなはずじゃなかった! こんなはずじゃなかったんだ! 前回だって今回だって、俺は国王になんてなりたくないんだぁぁぁぁぁぁ!!」

 そう言って崩れ落ちるアントン……。


 必死に前回みたいににならないように抗ってきたのに、私を心配するあまり詰めが甘くなってしまったなんて、アントンらしい……。

 本能のままに生きていた前回だって、やっぱりアントンは愚かで優しかった。

 そんなアントンだから、私はあの恐ろしくいかれた出会いだって受け入れたんだ……


 十五年前、初対面のアントンは、私にこう言った。


『リズだろ? 俺には分かる! 兄さんだよ! 助けて!』




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

本日もう一話投稿します。

よろしくお願いします。

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