第8話 アッカーベルトの姫
サートンと話しながら歩いていると、いつの間にか中庭に面したテラスに着いていた。
テラスには軽食と焼き菓子が準備されていて、見ると同時にお腹が「空腹だ!」と主張し始めた。
私のお腹の音をクスクス笑いながら聞いているサートンが、紳士らしく椅子を引いてくれる。本当にできた弟だ。
これまた、できた侍女が私の大好きな香りの紅茶を淹れてくれる。
紅茶の香りを堪能してから一口飲むと、空腹が余計に感じられてしまう。私はいそいそとサンドウィッチに手を伸ばした。
そんな私を、サートンは満足そうに見ている。姉弟の立場、逆転してないだろうか……?
用意された食事をひとしきり食べて満足していると、侍女が別の紅茶を淹れてくれる。本当に気が利く、ありがたい。
「これはサートンが好きな紅茶ね」
一口飲んだ私がそう言うと、目の前に座るサートンが嬉しそうに微笑んでいる。
「俺がこの紅茶を好きなのは、姉さんが俺に初めて淹れてくれた紅茶がこれだったからだよ」
「私はこんなに美味しく淹れられなかったけどね……」
「俺にとっては、世界一美味しくて、今でも忘れられない味だよ」
サートンはそう言ってくれるけど、紅茶の淹れ方を習いたてで相当渋くて飲めたものじゃなかった。
その不味い思い出がサートンの中で美しく変換されたのは、この紅茶が母のお気に入りだったから。
私達の母は、サートンを産んだ際に亡くなった。
侯爵令嬢だったのに、辺境の地での生活を楽しめるくらい元気な人だった母。身重でも砦の中を駆け回るぐらいだったのに、何があるか分からないのが出産だ。
突然訪れた母の死は、とても悲しかった。いや、違うな。当時は、悲しいのも分からない。母がもういないことを、理解できなかった。
私は四歳で、母が大好きで大好きで仕方がなかった。母は愛情深い人で、私はその愛情をもらえるのが当たり前だと思っていた。
今にして思えば、母が自分を愛してくれるのが当たり前だと思えるなんて、幸せなことだ。過去の記憶を思い出していない私には、まだそれが分からなかった。
妊娠中は抱っこをしてもらえなかったから、赤ちゃんが生まれたらたくさん甘えるつもりだった。母とも、そう約束していた。
なのに、その約束は永遠に守られない。母に抱き締めてもらうことは、永遠に叶わない望みになった……。
『サートンのせいだ! 弟なんて産まれなければよかった!』
幼い私がそう思わなかったとは、言えない……。
だけど産まれたばかり弟が自分の誕生を苦しむ未来にしたくないと、私は強く思った。
「自分が生きていることを苦しむ子にしてはいけない」と、まるで天啓でも受けたように私はその思いに突き動かされた。
なぜそう思ったのかは、アントンと会って分かるんだけど。その時は何も知らなかったから、母の意思なのだと思っていた。
「お母様が弟に与えるはずだった愛情の分まで、私と父で満たしてあげなくては! お母様は、そのために私にたくさんの愛情を注いでくれたんだ!」
そんな使命感で一杯だった。
「俺が母上を殺したと自分を追い詰めずに、母上が命懸けで守ってくれた命を生きようと思えたのは、全て姉さんのおかげだ」
いつも通り熱い感謝のこもった目で見つめられてしまう……。
困ったことに、サートンは本気でそう思っている。
天啓に突き動かされていた私は、確かに何もしなかった訳ではない。
母の死をサートンのせいにしようとする、悪意ある大人からサートンを守った。
サートンが母の死で自分を責めないように、必死に母や私の愛を伝えた。
厳つい顔のせいで勘違いされがちな父も引っ張り込んで、「サートンが傷つかないように、恥ずかしがらずに愛を伝えよう!」とお願いした。
当時私のお守り的存在だったベニスも引っ張り込んで、恥ずかしがる父にも何度も何度もサートンに愛情を伝えさせた。
そのせいで我が家は、愛情表現が過剰な家になったと思う。
だからってそこまで感謝されることではないと思うんだよね。家族が辛い思いをしているのに、放っておくなんてあってはならないことだもの。
「いつもそう言ってくれるけど、そんなのは家族なら当たり前なんだよ。感謝されるようなことじゃないし、サートンだって同じように私を助けてくれてる。お互い様よ」
「うん、そう言い切れてしまう姉さんだから大好きなんだ」
サートンも負けじとそう言って微笑む。
私達の意見は平行線だけど、お互いを思い合っているんだから幸せな平行線よね。
サートンが私よりも優先してくれる人を見つけてくれれば、このまま平行線でも構わないかな? サートンに大切な人ができるのを、本当に祈ってる。
「そういえば、今日はベニスを見ないけど?」
十五歳年上で父の副官であるベニスは、子供の頃から私を助けてくれる兄のような存在。家族より一歩引いて冷静な目で私を見守ってくれている頼りになる人だ。ちょっと意地悪だけど……、でもまぁそこがお兄ちゃんって感じだよね?
いつもは父と一緒にいるのに、今日は珍しくいなかった。
サートンは「あーーーーー」と言いながら、視線が泳いでいる。
これは、何かあったに決まっている。
「あんなに切れまくった顔をしたベニスを見たのは初めてだった。あまりの怖さに、俺も三歩は後ろに引いた。腰抜かしそうになっている奴もいたよ? アッカーベルトの兵士がだよ? それくらい怖かった」
「どういうこと? 敵が国境を越えて攻めてきたの? ゴズレ国? スーレイル国?」
国境で戦争が始まったのかと私が焦っていると、サートンは呆れた顔を向けてきた。
「今のこの状況で、アッカーベルトの敵と言えば誰だか分からない?」
さっきまで私を褒め称えていたのが嘘のような顔だ。
「姉さんはさ家族や周りのことは必死になって考えるのに、自分のことは呆れるほど興味がないよね?」
そう言ったサートンは、思いっきり深くため息をついている。
(え? そんなにがっかりさせるようなこと、何かした?)
「アッカーベルトの大切な姫に、恩知らずな国が義理を欠いたんだよ? 俺達の敵は国しかいない。特に王太子のことは、絶対に許さない」
(待って、サートン。貴方の顔、怖すぎる……)
「……まさか、ベニスは……?」
「当然、手始めに王太子を殺して、この国も滅ぼすつもりだよ」
私は隊の詰め所に向かって、全速力で走った。
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読んでいただき、ありがとうございました。
本日三話目の投稿です。
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