第5話 スヴェン・アッカーベルト

 辺境伯の余裕と国王の怯えは、あからさまに軍事力の差に表れている。

 アッカーベルト家が治める領地は、国境が二つの国と接している。

 この好戦的な二つの国から、国境を守っているのがアッカーベルト辺境伯軍だ。アッカーベルトが落ちれば国も落ちると言われる、国境の要だ。

 軍事力を誇る隣国が攻めあぐねて小競り合い程度で済んでいるのは、近隣諸国からも最強と恐れられるスヴェン・アッカーベルトが睨みを効かせている効果が大きい。


 また、スヴェン・アッカーベルトに憧れて集まる辺境伯軍自体の力も強大だ。

 日々多くの者が門を叩くが、アッカーベルトの訓練は特別厳しいことで有名だ。ちょっとした力自慢程度では、絶対に残れない。

 本気で死に向き合って生きるために戦う覚悟がある者だけが、訓練に打ち勝ちアッカーベルト辺境伯軍を名乗れる。だからこそ、その名は軍人にとって何よりの勲章となる。

 その上、辺境伯軍は訓練ばかりではない。国境を接する二国と定期的に小競り合いが絶えないため、兵士の誰もが国のために戦う英雄だ。

 そんな戦い慣れした最強と言われる軍と、階級と勲章という社会的な地位だけを求める国軍が戦ったところで結果は目に見えている。

 ケンカを売れば国を失いかねないのに、そんな真似は死んでもしないと国王の顔は言っている。




 未来の国王としては能力が足りな過ぎるアントンを支える役目として、優秀でしっかり者の私が婚約者に選ばれたと世間は思っている。

 もちろんそれもあるが、私が選ばれた理由はそれだけではない。

 あまり知られていないが、国王は私の後ろにあるアッカーベルトの力を欲したのだ。

 この政略結婚で国王は、アッカーベルトの軍事力を手にしたと思っていたはずだ。それが一夜にして敵に回しているこの状況に、生きた心地がしないだろう。


 卑屈な目をした国王は、下から辺境伯を見上げている。

 その媚びた態度は、「どっちが国王なんだか……」という呆れしか生まない。


 それでも何とかアッカーベルトの力をもう一度手にしたい国王は、とんでもないことを言い出した。

「ちょっとした二人の痴話げんかだったとして、もう一度元通りにやり直せば……」


 あっ、死んだ!

 大剣が振り下ろされたように見えたけど、実際にはそう感じられただけか……。剣はないからね。

 だが、国王は白目を剥いて完全に震え上がっている。

 アッカーベルト辺境伯から発せられる殺気は凄まじく、国王どころか部屋にいる誰もが息をすることさえできない。


(本当に国王は昔から変わらないよね? 軽率というか、考え無しというか、他力本願というか……。アントンの父親なのが、よく分かる)


「親子で我が娘を貶める気か?」


 地割れが起きそうなほど腹に響く低い声に、国王は「ヒッ」と悲鳴を上げるとソファの背もたれに飛びついた。

 こんな不穏な空気の中、図太くのんきな声を出せるのは、空気の読めないアントンだけだ……。


「すまない、アッカーベルト辺境伯。怒りはもっともだ。今までの罪滅ぼしとして、俺はルーリーの意思を尊重した。リズの侍女となることを許した……」

「私の大事な娘を、これ以上王家と関わらせるか! お前らの尻拭いは、もう十分だろう!」

 頭上のシャンデリアが落ちてくるんじゃないかと心配したのは、私だけじゃないはず……。それくらいの怒鳴り声だ。


(あぁ、宣言しちゃった……。一番まずい流れだ。私は絶対にリズ様の側にいなくてはならないのに! 十五年かけて更生させたリズ様が、望んだ幸せを掴めるチャンスなんだよ? やっとフィンと結ばれるというのに、それを私が助けなくてどうするの?)


「お父様! わたくしの十五年は、王太子殿下ではなくリズベッド様と共にありました。せめて、リズベッド様の輿入れまでは、側で見届けたいのです!」

「それはお前の役目ではない。王妃殿下の役目であろう?」


 名前を呼ばれた王妃がピクリと動くが、それ以外は何の反応もない。

 父だって知っての通り、王妃が娘のために何かをするなんてあり得ない。自分が母親だと知らない人が、母の役割なんて考えるはずがないもの。

 黙ったまま母親の役割も知らない王妃を見ても、リズ様は今更傷ついたりしない。そうならないように、私がずっと支えてきた。


(でも、私がいなくなれば、孤独な我が儘王女に戻ってしまうかもしれない……。十九歳のあの日を超えるまでは、側を離れたくない!)


 私の気持ちが届いたのかリズ様が王族としてのプライドを捨て、父に向かって頭を下げた。

「辺境伯、わたくしからも、お願いします。今のわたくしがあるのは、ルーリーがいてくれたおかげです。もちろん、ルーリーを使用人扱いする気はありません! 『特別相談役』として、わたくしの側にいてもらいたいのです」


 だが、相手は猛者であり策士でもある辺境伯だ。それくらいで絆されたりしない。

「王女殿下の今があるのは、間違いなくルーリーのおかげでしょうね? だからこそ、王女殿下は独り立ちされるべきだと私は思います」

 取り付く島もない。


 もうお前らと同じ空気を吸いたくないという顔をした辺境伯は、帰るために腰を浮かす。

 それに焦ったのが、国王だ。「ま、待て!」と完全に裏返った声を出して、辺境伯を止める。


「この十五年の間、アントンの仕事を肩代わりしてきたのはルーリーだ。誰か別の者を育て引き継いでもらわないと困る! アントンの『特別相談役』としても残ってもらわないと、国が立ちいかない!」

「我が娘が肩代わりしていたのは、王太子殿下の仕事だけだと?」

 父の厳しい視線に、国王も王妃もビクリと肩が震える。二人の仕事も随分と回されたのを、気づかなかったとは言わせない。ていうか、城中のみんなが知ってるよ?


「なぜそこまでのことを、もう王族と関係のないルーリーがしなくてはいけないのですか? 王族の仕事は王族がしっかりと果たすべきです。そうしなければ、臣下に示しがつかないと思いませんか?」


(正論だ、正論だよ、お父様。だけど、ここの人達って、前も今も自分では何もできないんだよ?)


 とは言えず、悩んでいると……。

 やっぱりこの状況でも役に立つのはアントンだ。空気を読んでいるのか読んでいないのかなんて、もうどうでもいい。


「辺境伯、それは今更な話だろう? 王族は情けないほど仕事ができないから、ルーリーは俺の婚約者になったんだ。そうやって今まで甘やかされてきた俺達三人が、急に仕事ができるようになると思うか?」


 アントンのこの毅然とした物言いに、さすがの父も言葉が出ない……。

 だって、今言ったことは、恐ろしいほどの自虐だよ? この話をこんなにも堂々と言えるのは、アントン以外誰もいない。しかも、これでは終わらない。


「辺境伯は十五年も婚約者の重荷を背負わしといて、婚約破棄が遅すぎたという。しかし、ルーリーがこのまま俺と結婚して幸せだと思うか? 違うよな? だから、俺達の決断が遅すぎるということはないんだ。俺はルーリーを解放する。だが、すぐにという訳にはいかない。もう暫く俺を助けてくれるというのが、俺達二人の間での取り決めだ」


(とっても偉そうだけど、またもただの自虐……。でもアントンのおかげで、流れが変わった!)


「お父様、わたくしも、わたくしの十五年を無駄なものにしたくはありません。リズベッド様と王太子殿下が困らないよう、身辺を整えるまで時間をください」


 辺境伯は深く、深くため息をついた。そして、ギロリと国王を睨む。

「最短の時間で引継ぎを済ませるように。そして、引継ぎが終わり次第、もうルーリーは一切王家とは関わらせない!」

 引き延ばすことも引き留めることも許さない、と父は言っている。

 臣下からそう突きつけられた国王は、恐怖のあまりコクコクと首を縦に振っていた。


 これでひとまず時間稼ぎができると安心した私の腕が、父によって掴まれた。

「私は大分妥協した。細かい説明は、家に帰って、しっかりと聞こう」


(これ、笑顔? 完全にひきつっているよね? 口元ピクピクしているよね?)


 引きずられるように馬車に押し込まれた私は、これから父の尋問が待っているかと思うと意識が飛んだ……。




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。

本日二話目の投稿です。

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