第2話 卒婚します!
あれだけ練習したのに、緊張で台詞が飛んだアントン。多分、今も思い出していないはず。しかし、彼は本番に強いタイプなのか、それでも計画を実行し続けた……。
「ルーリー・アッカーベルト!」
アントンの上ずった震え気味の声で名前を叫ばれた私は、ビクリと身体を震わせた。壇上に立つアントンの前に進み出て、対峙する。この場にいる人達の視線が、私達に集中しているのが嫌ってほど分かる。
この穏やかではない雰囲気を前に、みんなもこれから何が始まるのかと戦々恐々としている。
みんなが何が始まるのかと待っているのに、アントンは何も言わない。
どういうこと? 名前を呼んだだけ?
見上げれば、感極まっているのか涙目になっている!
「…………………………………………」
(……早く何か言ってよ!)
「俺は、お前との婚約を卒業する!」
張り詰めていた空気が、一瞬で緩んだ。
本当にもう、プシューと空気が抜けていく音が聞こえてきそう。
誰もが頭の中で「なぁんだ、長かった婚約期間を終えて結婚するのね」と思い、生温かい目に変わっている。
私達が婚約したのは七歳の時だから、もう十五年だ。そう思われても仕方がない。
が、みんな気付いて! 相手はあのアントンだよ!
そんなに当然のように、自分の『常識』でアントンの言葉を解釈したらダメだよ!
「十五年の長きに渡り、婚約者として俺と王家を支えてくれてご苦労だった。お前の出過ぎた態度には、ほとほと手を焼いた。それも今日で終わりにする! 何か申し開くことはあるか?」
(アーントーン、申し開くことあり過ぎだよ! 褒めたり文句言ったり、支離滅裂だよ。台詞を忘れてアドリブに切り替えたなら、もう元の台詞にこだわるのは止めようよ。頑張って覚えたからって台詞を入れちゃうと、余計に意味不明だよ……)
膝から崩れ落ちそうな身体を叱咤して、私は予定通りの言葉を発する。
アントンと話は繋がっているような、いないようなだけど、どうしようもない。だって、強引に話を持っていかないと、台本通りの結末に辿り着かないじゃない!
「婚約破棄は了承いたしました。十五年に渡り、至らぬ婚約者で申し訳ございませんでした」
壇上に立つアントンに向かって、深々と頭を下げる私。
『婚約破棄』という衝撃度の高い言葉に、一気に中庭がざわつき始めた。
十五年も婚約していて仲が悪いという噂もなかった私達が、突然婚約破棄を宣言したのだから驚くのも無理はない。
卒業生も、後ろに控える親達も信じられないという表情でざわざわと騒ぎだしている。
その中に一人、周りとは違う空気をまとった男がいる……。
親達の輪の中から、青灰色の軍服がよく似合う一際屈強な大男が前に出てきた……。藍色の瞳が怒りで燃えているのが遠目でも分かる。
スヴェン・アッカーベルト辺境伯。かつては国軍の将軍を務め、さっさと除隊した今は国境の要であるアッカーベルト辺境伯軍を率いている。
国には与していないのに、国の軍事を司る生きる軍神と呼ばれる人物だ。放っておけば、アントンなんて一瞬で血祭りにあげる私の父親だ。
(まずい! かっ飛んでくる前に、さっさと言い終えないと!)
殺気を放って歩いてくる父にビビッて、私の口調も早くなる。つられてアントンも早口になる。明らかにおかしい会話だ。
「殿下、一つだけお願いがございます!」
「お前は満足いく婚約者ではなかったが、十五年の働きに免じて、話を聞こう」
「ありがとうございます」
台本通りに偉そうな態度をとるアントンに向けられる、世間の視線は厳しい。
執務を全て私に丸投げしたアントンが、執務室のソファで惰眠を貪っているのは有名な話だから……。
それを何度も目にしている父とリズベッド殿下とサートンは、射殺せるくらいの何かが目から出ている……。
「この十五年、王家のためにこの身を捧げて参りました。王太子殿下の婚約者として私の力が未熟だったことは分かっておりますが、今後も国のため王家のためにこの身を捧げる気持ちに変わりはありません!」
父が走り出し、あっという間に厳つい顔が近づいてくる気がする。
きっと私が何を言い出すか分かっているのだ。絶対に止められる訳にはいかない!
「今後はリズベッド王女殿下の侍女として、この国のために尽くしたいと思います! お許しいただけないでしょうか?」
「許す!」
(早い! 不満があって婚約破棄したい相手なんだから、もう少し悩む姿でも見せようよ!)
私の不安は届かないのかアントンは、この十五年の総括を始めてしまった。
「色々と思うところはあるが、十五年は長かった。ルーにも随分と我慢を強いたと思う。今をもってルーを解放するから、自由に生きればいいよ。十五年、ありがとう……」
(口調もいつも通りに戻ってる……。婚約破棄なのに、ついに感謝しちゃったよ……)
アントンにはバッファローばりに土煙をあげて突進してくる、アッカーベルト辺境伯が目に入っていないのだろうか?
このままで終わらせる気は全くないって顔をしているのが、見えないのだろうか……?
私達の試練はここからだよ? 父の猛攻撃に何とか耐え凌がないといけないんだから。
当初の予定とは異なる状況で、どうやって父をかわすか悩ましい。父なら力技で婚約破棄を無かったことにしてしまいかねない……。
そんな私の前に、なんと救世主が現れた!
目の前に迫るアッカーベルト辺境伯を遮るように前に滑り込んできたのは、リズベッド王女殿下だ!
赤い腕章を震わせ目に涙を溜めた王女殿下は、壇上に立つアントンに敬意を込めた目を向けている。
(リズ様がアントンに敬意を込めるなんて、私の知るこの十五年で初めてのこと。何せいつも冷え切った目で見るか、徹底的に無視するかだから……)
「お兄様にルーリーはもったいないと、お兄様ではルーリーを幸せにできないと、遂に気がついて下さったのですね! 生まれ落ちてから二十二年間で、最も王太子らしい決断です! これ以上ない英断です! わたくしは、初めてお兄様を誇りに思います!」
「王太子殿下の手放す勇気に、感服いたします!」
リズベッドの言葉にサートンも続き、手放しで褒め称えた。
聞こえはいいけど、普通に単なる不敬よね……。
「この十五年間、ルーリーはお兄様のお守りに明け暮れ、自分のやりたいことなど何一つできませんでした。お兄様のために駆けずり回る毎日は、妹であるわたくしが見ていても涙が出るほど申し訳なかった……」
感極まったリズ様の目からは、涙が溢れている。
私もアントンも予想外の展開に動揺して、ただ茫然とこの演説を聞いているしかできない。
「お兄様がやっと自分の過ちに気がついて下さって、わたくしは嬉しいです! 献身的に支え続けてくれたルーリーを解放して自由を与え、ご自分は国のために身を尽くす気にやっとなって下さった! これでこそ、王太子殿下です! わたくしは、お二人の卒婚を祝福します!!」
王女の言葉で祝い事なのだと分かり、反応に困っていた卒業生達もホッとして笑顔が戻る。
「最高です!」
リズ様が帽子を青い空に向かって投げると、卒業生全員がそれに続いた。
歓声が空に響き、私がアントンから解放されたことを誰もが喜んでいる……。
それだけみんなが、私を不憫に思っていたということ? 気のせいか、「万歳」まで聞こえる……。
みんなの気持ちはありがたいけど、困った……。
私達の目的は、自分達や周りの身にこれから起こる惨劇を回避すること。そのために十五年前から二人で計画して行動してきた。計画は順調に進み、今日の婚約破棄は最終段階となるはずだったのに……。
予定では、アントンは理不尽な理由と態度で私に婚約破棄を言い渡すはずだった。その結果、愚かな王太子として、廃嫡され辺境の地の領主として送られる予定だったのに……。そんな展開には、絶対にならない。
アントンはそれを、分かっているのかな?
多分、分かっていないよね?
(これじゃ廃嫡されないよ? 王都追放されないよ? 王太子として城に残ることになるよ?)
完全に自分の悪口を言われているのに、キラキラの王太子スマイルを振りまくアントン。そんなアントンに死相が見えるのは、私だけだろうか?
◆◆◆◆◆◆
読んでいただき、ありがとうございました。
本日二話目の投稿です。
もう一話投稿します。
よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます