第56話
瑞樹ちゃんが何度か訪れたことがあるため、入館許可はすんなりと下りた。この骨董品のようなマンションと年齢が近いであろう管理人は、書類に記入しながら何気なしに呟いた。
「今のうちに鈴木さんにサイン貰わないとねえ」
鈴木陽介。彼自身メディアへの露出は積極的ではないものの、熱心な数多くのファンによるインスタなどSNSへの積極的な投稿により、最近は業界外でも注目され始めている新進気鋭のガラス工芸家だ。
「実は私も彼の作品を持っているんです」
文香さんは書類の指定箇所を記入しながらにこやかにそう言った。それは嘘ではなかった。面識はないものの、グロス・リビエが経営するホテルやレストランの幾つかでは彼の作品が飾られている。
「後から知り合いがもう1人来ます」
「構わないですよ。帰りは受付のベルは鳴らさなくて大丈夫です。その紙にサインだけして頂ければ結構なんで」
それでは雑用があるので。管理人はそう言うなり一礼し、大きな作業用鞄を持って詰め所から出て行ってしまった。
「いろいろ好都合ね。セキュリティはあってないようなものだし」
文香さんの言う通りだった。管理人のチェックがおざなりというだけではない。設備は修繕はされても改修はされていないらしく、オートロックも防犯カメラも設置されていなかった。
これまた古めかしいエレベーターが亀のような速度で6階に到着するまでの間、瑞樹ちゃんが当然とも言うべき疑問を口にした。
「あの、後から来る人って?」
「清掃関係の人よ」
「清掃関係?」
清掃関係。うん、確かに間違っていない。瑞樹ちゃんが首を傾げた時、エレベーターのドアが重々しく開いていった。
「このマンション、何部屋か買い取ってリフォームしようかしら。立地もいいし建物の雰囲気もレトロだし、すぐに売れるはずよ」
文香さんは廊下を歩いている最中のん気にそう呟いた。張り詰めた雰囲気をほぐそうとしているのだろうが、こういうところは不器用だなと思う。
「この部屋です」
瑞樹ちゃんが部屋の前でインターホンを押す。セミの音以外聞こえない7月の静けさの中、ピンポーンという音が目立つ。
「はい」
少し高めの、優しそうな男の声が聞こえてきた。
「飯山瑞樹です、母に会いに来ました」
「瑞樹ちゃんね。鍵は開いてるから入っていいよ」
瑞樹ちゃんが十数秒深呼吸をしてからそっとドアを開くと、廊下の先に続く広いリビングルームのちょうど入口部分に男が立っていた。
(こいつが鈴木洋平か……)
長身だが線が細く、倉木ヒナタ君とはタイプが異なるものの中性的な印象を受ける。男が身に着けている細身のグレーシャツとチノパンというシンプルな服装も、細身の男によく似合っていた。
「お待ちしていましたよ」
知性的だが冷酷そうな瞳でこちらを見つめるその男は、私たちの存在を知っていたかのように驚くそぶりすら見せなかった。
「やはりね」
「やはり?」
文香さんが男を一目見るなり放ったその一言の意味が瑞樹ちゃんには分からなかったらしい。代わりに私が答えた。
「こいつも術師だよ」
(まだ感知できないか。術師や式神の周波を嗅ぎ取るためには独特の訓練が必要だからな)
私自身、ここまで近づいてようやく僅かな周波を感じるのが精いっぱいだ。ただ瑞樹ちゃんの式神が言ったという一言で薄々予想はしていた。彼女の亡者はあの距離から獲物の匂いを嗅いでいたという訳だ。私の式神、ノゾミですら感知できなかったというのに……。
「術師というのは、さっき部屋を覗いていた化け物の飼い主のことですか?」
男の余裕綽々な態度が気に入らない。化け物呼ばわりされたノゾミも右手の中で怒っている。
「その式神の飼い主は私だよ。へえ、気付いていたんだ?」
「式神?こいつのことですか?」
男が右手を前に出して掌を下に向けた。霧のような靄が現れ、色が徐々に濃くなっていき、毛がやたらと長く人間ほどの背丈のある猿のような生き物が具現化した。恐らくサトリの系統だろう。手練れの式神使いでも手に余るタイプの式神だが、この男はセンスだけで乗りこなしているということか。
「あなた方はこの式神とやらに詳しいようですね。妖怪とは違うんですかね?どうもそっち方面に疎くて」
「あんた、本当に何も知らないの?」
「だから中に入れたんですよ、教えて欲しくてね。嫌というなら力ずくでも……ね」
文香さんが感心したように言った。
「たまにいるのよねえ、あなたみたいに才能だけで式神を使役できる人間が」
◇◇◇
亡者を統べる者 ワイズウィル @honda1982
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