第55話
瑞樹ちゃんが後部座席の半分開いた窓から驚いた表情をこちらに向けている。怯えさせちゃったかな?やったことは通り魔と同じなんだもんな……。
「大丈夫だいじょーぶ、ちょっと気絶させただけだから」
後部座席のドアまで担いで運び終わったあと、息も切らさずにそう言った。引いているのかなと思いきや、少女はキラキラと輝いた羨望の眼差しを惜しみなく私に注いでいた。少なくとも怖がらせてはいないようだな。
「すごーい……腕っぷしが強くて力持ちだなんて!」
小柄で華奢な私が175cmはありそうな女を軽々と担いできたのだから、それは驚くだろう。ふふふ、すごい優越感。この件が終わったら護身術でも教えてあげようかな。私はおだてにとことん弱いのだ。
(この子はいつも屈託なく驚いてくれるよな~)
一瞬だけ流れた和やかな空気もつかの間、後部座席に横にさせる際に女の長袖が捲れて瑞樹ちゃんの顔から穏やかさが一瞬で消え去った。ところところ黒ずんだ腕が露わになったからだ。数秒間気まずい沈黙が流れたあと、少女は誰に向けた訳でもなくぼそっと呟いた。
「母も……痣だらけだったんですよね」
瑞樹ちゃんは無表情でじっと女の痣を見つめていた。これから犯す大罪に躊躇しないよう、怒りを冷まさないよう、女の痣を目に焼き付けているのかもしれない。
「うん、これより酷かった」
遠くない場所に公園があるのだろう。子供たちのはしゃぐ声や、バットが球を打つ音が時たま聞こえてくる。セミの雄たちはただ子孫を残すがため、残された線香花火のような時間を使って必死に鳴き続けている。爽やかな夏の音が閑静な敷地内の静けさを余計に際立たせる。その雰囲気は、不気味だけれどもどこか懐かしくて物哀しく、幼い頃に感じた根拠のない不安さによく似ていた。
「急かさないで……」
「え?」
瑞樹ちゃんは後部座席の方をむいたままぼそっと呟いた。
「亡者が煩いんです、早くその場所に行けって。その……腹が減ったからって」
「腹が減った?」
「はい」
少女が私たちのほうへ顔を向け、私は思わず声をあげた。
「橙色の瞳……!」
通常、どんなに力の弱い亡者を憑かせるだけでも最初の1年間は瞳の色を橙色に安定させるのは難しい。この娘はたった一日でこの強大な亡者を手懐けたのだろうか。
「文香さん、わたし上手くやれてますかね?」
瑞樹ちゃんのオレンジがかった瞳は妙に落ち着いているように、そして何かに諦めているようにも見える。悟っているというか、少なくとも華の女子高生がする顔つきじゃあないな。対して文香さんは目を見開き、神妙な面持ちでその様子を見ていた。
「乗りこなせているようね。でも気を付けて、あなたの亡者はとても意志や欲が強い……油断したら一気に意識を奪われるわよ」
瑞樹ちゃんは哀しそうに、ふっと笑った。
「大丈夫です。今は乗っ取る気はないようだから」
(“今は”……か)
隙あらば乗っ取るつもりなのだろうか。一体どんな亡者なんだろう。人間だった頃はどんな人物だったのだろうか。いつ頃の時代に生まれて、この世にどんな未練を残したのかな。
(そもそも亡者が憑くってどんな感じなんだ?)
式神を使役する力しかない私には、ツカレビトの気持ちは一生分からない。瑞樹ちゃんは母親がいるマンション6階あたりに、危うげに光る橙色の瞳を向けた。
「母さん。今、救ってあげるからね」
◇◇◇
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