渚にて

多田いづみ

渚にて

 よく晴れた休日の午後のことだった。

 居間のソファに寝ころがって本を読んでいると、視野のすみにチラと動くものがある。


 半身を起こしてよく見てみると、それは一匹のカニだった。暗褐色の丸っこい生きものが、うすむらさき色のじゅうたんの上をゆっくりと横向きにっている。


 もしもここが海の家だったとしたら別に驚くようなことではないけれど、この家は海から何十キロも離れたごみごみした街なかにある。あるいはそいつはサワガニなのかもしれなかったが、近くを流れている川といえば生活排水を流すための汚れた用水路だけで、そんなところにサワガニが生息しているとも思えない。


 なんでもない、ありふれた休日の午後にあらわれた珍客にいろいろ想像をふくらませるうち、なつかしい記憶とともに、ふとある考えが浮かんできた。


 それは幼少時代の唯一といってもいい輝かしい思い出で、わが家では父のみじかい夏休みにあわせて海に行くのが慣わしだった。というのも、会社の保養所がそこにあったからだ。


 父が勤めていたのはたいして大きくもない印刷工場だったから、今から思うとそんなにりっぱな保養所ではなかったのだろう。部屋は民宿ふうの畳敷きで、かろうじて家族が雑魚寝できるほどの広さだったし、海に近すぎるせいで建物の中は砂だらけだった。なにしろ庭の向こうはすぐ海岸で、塀や柵があるわけでもなく、どこまでが庭でどこからが海岸なのかわからないほどなのだ。海岸の砂はとうぜん庭にも押し寄せていて、玄関は半分砂に埋れ、廊下の板の間も座敷の畳もざらざらしていた。風呂の湯船には砂が溜まり、お湯はどことなく潮くさかった。


 父は保養所まできたあとはもうお役御免とばかりに寝てばかりいたから、だいたいひとりで遊んでいたのだが、遠泳などにつきあわされるのはかんべんだったのでむしろよかった。ほかにもっとやりたいことがあったのだ。


 わたしは泳ぐのもそっちのけで岩場に腰をおろして、カニやらヤドカリやら海辺の生き物を捕まえるのに夢中になった。そして親がいやがるのもかまわず、捕まえたものをバケツにいれて持ち帰った。


 そうして無理やり連れてきた生き物たちは、慣れない環境に置かれてバタバタと死んでいくのだが、ふしぎなことに死体も残さず消えてしまうものがいた。バケツはだいたい庭先や開きっぱなしの玄関の土間などに置かれていたから、鳥か猫にでも獲られたのかとも思ったが、それにしても量が多い。数日もしないうちに半分ほどがいなくなってしまうのだ。どうやらある種のカニは、つるつるしたバケツの壁をのりこえる手段を持っているらしかった。


 つまりそのある考えというのは、こういうことだ。

 かつてわたしがやったのと同じように、近所に住む子供が潮干狩りかなにかのついでに連れてきたカニが脱走し、そいつがひょっこりわたしの前に現れたのではないか、と。


 しかしこいつはいったいどうやってここに入り込んだのだろう。家の手入れをあまりしていないので建具のたてつけが悪く、そこかしこにすき間があるから、そこから入ったとしても別におかしくはないが、もしかしたらどこか見えないところに大きな穴でもあいているのかもしれない。


 わが家は混みあった住宅地のなかにある古いあばらやで、日当たりがひどくわるい。わたしが寝転がっているこの居間にしても、隣家のすき間を縫って一条の光がかろうじてさしこんでいるというありさまだった。が、これでもすこしは日が当たるだけ、ほかの部屋よりまだましなのだ。


 カニはその細い光の帯までゆっくりと這っていくと、ぴたりとそこで止まった。


 亀なんかとおなじように、カニにも陽だまりで甲羅干しをするような習性があるのだろうか。あるいはたまたまそこで止まった、というだけのことなのかもしれない。とにかくカニは部屋でただ一か所、日の当たるその場所にしばらくとどまるつもりらしかった。


 よくよく観察してみると、そいつは片方のハサミが異様に大きく、巨大な盾でも構えているようだった。ハサミの先端は色がうすく、太陽の光を浴びてぎらぎらと白く輝いている。堅牢な鎧に身をかためた重騎士、そんな雰囲気もあった。


 しばらくして、カニは体を起こして背伸びをすると、その大きなハサミを振り回しはじめた――まるで交通整理をする警備員のように。


 この行動を見るのは初めてだったが、図鑑かなにかで読んだおぼえがある。これは一種の求愛行為で、大きなハサミを振り回して自分のつよさやたくましさを雌にアピールするのだ。


 どういうつもりなのか知らないが、なんともご苦労なことだ。ここには雌どころかお仲間の一匹さえいないというのに――。もしも自分が雌のカニだったとしたら、これを見て「かっこいい」とか「すてきだ」とか思うのだろうか。わたしの目には、単調な動きをくりかえすだけの玩具のようにしか見えないのだけれど。


 そしてカニが筋違いの観客にむかって求愛行為をしているうちにもうひとつ、ふしぎな出来事が加わった。


 カニがハサミを振り回すうちにだんだんと、潮の香りが部屋を満たしはじめたのだ。


 最初はご近所さんがちょっと早めに夕食の支度をはじめたのかと思った。が、そうではなかった。

 間違いなく、生臭くヒリヒリするようなあの独特な潮のにおいを鼻腔に感じた。あのベタベタとまとわりつくような湿気を肌に感じた。そしてしまいには、波の音さえ聞こえてくるようだった。


 記憶というのは妙なもので、自分でもずっと忘れていた遠い過去の思い出が、なにかの断片的な情報をきっかけに、まるで先ほど起きた出来事のように鮮やかに再現されることがある。

 わたしはそのようにして、カニにつながる遠い記憶――潮の香りや波の音――を思い起こしたのだろう。


 とはいえその匂いや音はあまりにも現実味があって、もしかしたらカニは本当に、暗くくすんだわたしの家に、あの懐かしい白い渚を招きよせたのかもしれない。


 そうして何分かが経ったのち、じゅうぶんに満足したのかそれとも疲れたのか、カニはハサミを振り回すのをやめると、部屋のすみに向かって這っていって姿を消した。


 見えなくなったからといって、あわててそのあとを追いかけるような年齢 としでもないし、べつに悪さもしないだろうとそのまま放っておいて、わたしはまた読書に戻った。

 カニとともにあらわれた潮の幻も、だんだんとどこかへひいていった。

 いつのまに日が陰ったのか、居間に差し込んでいた光の帯は失われていた。その残像だけが、わたしの網膜にちらついている。部屋はまだじゅうぶん明るく、電気をつけなくても本を読むのに支障はなかった。


 それから先、カニがどうなったのかは知らない。


 かりに家からうまく抜け出せたとしても、近所の野良猫に捕まっておもちゃにされるか、道路に出て車に踏み潰されるか、いずれにしてもカニの未来は明るくないだろう。家のなかで迷っていた方がよっぽどましだ。


 もしもまた部屋のすみから出てきたら、昔のつぐないも兼ねて昼の食べ残しのご飯粒でもやろうかと考えていたのだが、カニがふたたびわたしの前に姿を現すことはなかった。

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渚にて 多田いづみ @tadaidumi

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