一枚の年賀状をあなたに。
黒い革の手袋で包まれた手が震えている。
冷え性なこいつに贈ったこの手袋を、彼は本当に丁寧に使い、もう5年以上経つというのに愛用してくれている。
そっとその手に触れる。
「え、何。緊張してんのか?」
「するだろう。普通に」
「そうなのか? 毎年来てるのに……」
ちらりと自分の格好を見る。
……まじかよ。うっかりスエットで来てるじゃねーか。ラフすぎるにも程がある。
「親に挨拶ったって、俺のところの親はわりとお前贔屓だから心配すんなって」
親にカミングアウトはすでに済んでいた。隆弘と十何年振りに会った、今度シェアハウスするんだけど、と折々に話していた。
母親なんかは『もしかして黒瀬さんところの隆弘くん? あら懐かしいわねぇ』と、ほわほわした感じだったし、父親も『へー、検事なのか! ……今ちょっとハマっているドラマがリーガルものなんだけど、あれってどのくらいリアリティーあるか聞いてくれないか?』なんてフランクに俺をパシらせているほどだった。
というかだ。
母親なんかはにまにま、にたにたと笑みがこぼれ落ちそうになりながら、『あなた、良かったわねー。黒瀬くんからの年賀状、いっつもいーっつも楽しみにしてたものねぇ。元旦なんてポストにカコンって配達されるのを玄関で待ってるくらいだし』と、ニタァと笑みを浮かべるものだから、本当に隆弘に言わないようにと釘を刺すのに苦労した。
……賄賂としてカフェのチケット15枚綴りを贈るはめになった。
親に2人の関係を伝えたのは、わりと再会してすぐだった。
年度末にかけて仕事が忙しくなるとのことで、同居は4月を努力目標とした。
だから1月からは隙間を縫うように会って食事をしたり、話をしてきた。
隆弘が正式にお付き合いしたいと言ってきたのは、確か2月の半ばだったか。
「え、俺たち付き合ってなかったの!?」
「いや、そういう訳ではないが……。その……自分たちは男同士だし、君も、15年ぶりに会った私が恋愛対象としてあまり見えないなどとの憂慮事項があるかもしれないと、君が私でいいかの猶予期間だと仮定して行動していた……」
あ、こいつ石橋を叩いて砕くタイプの心配性だ。
再会して一秒で結婚前提に話を進めていた青臭さはどこ行ったよ。
「もしかして、今まで手を繋ぐ以上の事してこなかったのはプラトニックな関係をって事じゃなくて?」
「抱くなら墓まで一緒に入るつもりではある」
「重すぎるだろ!」
「……という所も含めてだが」
え、この美形は何を言っているんだ? なんでそんなに不安そうなんだよ。
こちとら会うたびに好きが積もっていって、恋人としての一線が越えられないのは俺に性的な魅力がないからかとか悩んでいたのに。
はー、でもそんな責任を重く捉えるこいつじゃなきゃ、15年なんて掛けねぇよな。
「じゃ墓石お前が選んでくれよ。戒名とか必要かわからねーけど、お前んところの流儀に合わせるから」
「……良いのか」
「俺もお前もこの2か月、たまに会うだけじゃ離れがたいからって同居の話を進めてるんだろう。お前はもし俺がここで『じゃいいです。さよなら』ってなっても納得するのかよ」
「一生他の人は好きにはならない……」
「ってぐらいに一途なんだから、もう俺にしておけって」
「……君は、会うたびに私の好意を塗り替えていくな。もうこんなに人を想うことはないだろうと噛み締めるばかりなのに、それを軽く上回る」
そりゃどーも。俺も同じだわ。
「好きだ。ずっと共に生きて欲しい」
「プロポーズみたいだな。ま、気持ちは半分受け取っておく」
「残りの半分は?」
「結婚する時に改めて言えよ。変えるんだろう? 法律やら世論ってものを」
「……ああ。必ず。……良かった……ほっとした」
長い睫毛を伏せ、息を吐き出しているようだ。
「はいはい。今日もお泊まりセット持ってきているから夜労ってやるよ」
「その前に……」
「ん?」
酷く、真剣な眼差しでこちらを見る。
「両親に挨拶しなければ」
なんて事もあったなぁと懐かしく思う。
「あったわねぇ」
「そういやおふくろ。あの時まったく反対しなかったのはなんでだ?」
「毎年届く不思議に黒い年賀状をね。あんたがいつもいつも大切にしていたから……何となくね、そうなるんじゃないかって。物を失くしやすいあなたが、東京に引っ越す時にも大事にクッキーの缶に入れて持っていったからね」
ぐえぇ、思った以上に観察されていた。
「そもそも年賀状も、小学5年生までは届いた3日後に私が散々言って面倒臭そうに出していたのに、隆弘くんから届いて以降あなた早めに出すようになったじゃない」
「……おっしゃる通りです」
さすが親だなぁ、と思う。
「それで、今日のあいつどう思う?」
「スリーピースがとっても格好いいわよねぇ! しかも今日のお土産は特上級和牛よ!」
「滅茶苦茶格好いいよなー。外套も法務に着てく良いやつなんだぜ? すき焼きよろしく」
「それに比べてあなたサンダルで……もうちょっとマシに出来なかったの?」
「いや、俺も出てから気づいたんだって」
なんてこたつでもぞもぞとしていると、隆弘と親父がお茶を持ってきた。
親父は茶を入れるのが趣味で、良くお袋やご近所さんに振る舞っていた。
「隆弘くん、すまないね。手伝ってもらって」
「いえ、勉強になります」
「ほら
「へーへー、あいたっ」
適当に返事をしたら頭を叩かれた。
こたつを挟んで4人で座ると、手狭に感じられた。
隆弘は緊張したように正座している。
「隆弘くんいつもありがとうね。明一人だったら家に寄り付かないんだもの」
「いえ。……今年は、特にお伝えしたいことがあったので……」
隆弘が襟を正して一呼吸し、ピシリと頭を下げた。
「息子さんを、私に下さい」
おぉ、出た。言い切った。
「どうぞ……?」
「のしをつけて……」
俺の両親は迷わず答える。
両親は『これテレビで見たやつだーーー』って顔をしている。
わかるよ。俺もちょっと同じこと思って感動している。
「いえ、その……性別に関わらず婚姻を結べるように世の中が変わってきまして、やっと……パートナーシップや養子による関係以上に法的な根拠に基づく関係性が築けるようになりまして……」
「見ていたよ。ニュース、本当に誇らしかったよ、隆弘くん」
「本当よ本当。この美形裁判官が息子になるのよぉーってご近所さんに自慢したくなっちゃったもの~」
「ありがとうございます。ですが、明さんが私と婚姻し、黒瀬の性を名乗るということは……
私たちは子どもを持てませんから……。
と目線を落として隆弘は呟く。
「本当に隆弘くんは真面目ねぇ。いえ、真剣に考えてくれているのね。この日本でも夫婦別姓もわりと増えてきて、この子だってその事は理解しているわ。それぞれの家の名前を尊ぶ選択肢がある中で、この子はそれを選んだんだから、私たちとしてはその選択を肯定するわ。ふふ、結婚する人たちが減っている中で、この子はあなたという伴侶に巡り会えたのだもの。それこそ、本当に嬉しいことよ」
「あぁ、家名が消えたのではなく、繋がった。そう私たちは考えているよ。だって明という息子に、もう一人、隆弘くんなんて、素敵な息子ができるんだから」
「そうそう、自慢の息子がね。それになんだっけ、貴方たち学生の支援しているのよね?」
「はい。子は持てませんが、未来に生きる子どもたちの一助になればと返済不要型の奨学金に一部支援をしています」
高給取りの隆弘と相談して、一部支援している。前にその奨学金で大学に行けるようになりましたって子の手紙を貰って、二人で涙ぐんでいたっけ。
「そういう繋がりでもあなたたちのしたことが未来に繋がっていくのだもの。断絶なんて、そんなことないじゃないのかしら?」
「はい、ありがとう……ございます」
「次の年賀状が楽しみね。今度は黒瀬隆弘と黒瀬明になるのね」
「はい。とても、その日が来るのが楽しみです」
こたつの下で隆弘が俺の手を握る。
緊張で冷たくなった手をぎゅむりと温めながら、一枚の年賀状の行方を想って微笑んだ。
黒塗りの年賀状を君に。 弥生 @chikira
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