年賀状に書けない君の名前。
年の瀬に
職業関係の年賀状はすでにプリンターから一括で作成した。
今直筆で書いているのは両親や友人、恩師などの縁が深い人達だ。
書き慣れた住所と氏名を丁寧に記していく。
──そして。
「…………。そうか、もう……
あまりにも何度も書いていたその名前を、今年からは書かなくなると思うと寂しさが募る。
毎年毎年この時期になると、自分の名前以上に丁寧に丁寧に書き記した。
とても大切な人の名前。
幸せな筈なのに、少しだけ切なさが増してきた。
「ただいまー。うぅ、寒い寒い。餅と酒と適当に何か買ってきたぞー。あと年越しそばな」
「お帰り、
買い出しに行ってくれていた同居人が帰ってきたようだ。
「はー、寒っ」
「っ!!」
炬燵に冷たいままの足を無遠慮に入れられ、ヒヤリとした足の裏がこちらの足にぴとりとつけられる。
「……寒いのに、サンダルで行ってきたのか……」
「靴下履くの面倒だろ。はー、温まる……やっぱ冬は炬燵だなぁ」
懐かしい。買ったマンションに一番最初に同居人が持ち込んできたのが炬燵だった。
俺はこいつと一生連れ添うと決めたんだ。と頑なな表情で持ち込まれたこの家電に浅ましくも嫉妬したのを、昨日の事のように思い出せる。
……今は一時休戦中としておこう。だが彼と連れ添うのはこの私だ。
温まっている脚で冷たい彼の足をむにむにと挟む。
少しでも早く温まると良いのだが。
「お、年賀状書いてたのか」
「あぁ、思った以上に早く仕事が終わったからな。だが、もう
いかん、少しだけ目頭に涙が……。
「まぁ、そりゃ確かにうちから出す年賀状は連名でお前が出していたもんな。けどそこまでのことか? 今年から
「……やっと夫婦別姓も認められてきたんだ。無理に変える必要もなかったろうに。本当に良かったのか? 私の姓を名乗って」
「いい、いい。親父たちも賛成してたし。やっと同性婚が認められたんだ。俺は黒瀬になれて良かったと思ってるぜ」
「…………しゅき……」
「顔を覆ってるけど声聞こえてるぞ」
思わず顔を覆ったが、声が漏れしてしまったようだ。
「ま、これで一つ念願叶ったな。ったく、お前最近ほんと涙腺弱いんだからさ、泣くなよ」
「
「どちらにしろ泣くんかーい。あ、でもよ。名字変える手続きクソ面倒だったから、あれもうちょっと簡単にして。働きながら役所やら梯子すんの面倒だぜ。せめて一括で変えれるようにしてくれよ」
「霞ヶ関の友人に投げ掛けるぐらいだがな。善処しよう」
「頼んだぜ法の番人さんよー」
私は書き途中の年賀状を
いつもは絵柄入りの年賀状を使うのだが、今年は二人で決めて写真にした。
性別欄が廃された結婚届けと指輪が二つ。
それで、伝わるだろう。
今は左の薬指に収まるそれを見て、また頬がにやけてしまう。
「お、今年のニュース特集、お前出てんじゃん」
あぁ、数ヵ月前のインタビューか。
そこには自分の姿が写し出されていた。
『人が人を想うという事には、多種多様の形があります。情愛も友愛も、それこそ千差万別です。やっとこの国では、共に生きるという事には様々な形があると認知され始めました。従来のように枠にはめ、その枠から外れた者を、間違っている。そう、断言する時代が変わろうとしています。……この裁判の行方を多くの方が固唾を飲んで見守っていることでしょう。すべての愛し合う人たちが、その性別によって婚姻を許されないのは、生きる権利を害する事だ。やっと、そう強く訴える事ができる世の中になってきました。これは、従来の家族の形を壊す事ではありません。新たな家族の形を、共に探していこうというひとつの始まりなのです』
あぁ、この判例によって、確かに大きく変わった。
『私は、この問題をずいぶんと昔から、当事者の意識で見てきました。長い間、多数の裁判官の間でも議論を重ねて来ました。ここに、決議をお伝えいたします。婚姻は、性別を限定するものにあらず、と。共に生きる二人のために、その二人が家族になるためにあると』
「は、恥ずかしいな……消してくれ」
「なんだよ、今滅茶苦茶格好いいところなんだから」
「…………ぐぅぅ」
「ほらまた声漏れてる」
『黒瀬裁判官! 今のお気持ちをお答えください!』
『この判決となったのも、今までずっと訴えて来た皆さんがいたからです。そこから繋がる未来に、この判例を残すことができて感無量です。……私も、やっと愛しい人にプロポーズができそうです』
テレビから黄色い悲鳴が聞こえる。
「職権乱用じゃね?」
「……いや、その。コホン。あれはちゃんと議論した上の事だ。……まぁ、制度促進の案山子扱いは少しはあったが、私たちが籍を入れた後は制度の利用が増えたと言っていたし……」
「ふーん」
ぐ、明がニヤニヤとこちらを見ている。
……可愛い。
「ま、俺も黒瀬になりまーす。なんて職場に挨拶したら、入婿だの玉の輿だの言われて相手はどこの令嬢よ! って聞かれたから、テレビのお前を指したら紹介しろって女子たちに囲まれたけど」
「紹介したのか?」
「するわけねーだろ。こんな有望な超エリートイケメン裁判官を!」
「イケメン……ぐぅぅ」
「お前、ほんっとに俺の事好きだな」
彼は呆れたようにテレビのチャンネルを変える。
「あぁ……好きだ」
「10年以上同棲しているのに?」
「来年からは新婚生活が始まるのだと楽しみにしている」
「ケッ」
横を向いて吐き捨てるときは、彼が照れている証拠だ。
「さて、なんとか来年の始めに新婚旅行ができる日程を調整した」
「いいぜ、有給使って……いや、新婚休暇申請してやるよ。行き先は?」
「任せてくれ。とっておきのプランを用意した」
炬燵布団とテーブルの間に隠していた資料を取り出す。
「なんと! 時代村にゃんまげと楽しもう3日間ツアー! あのにゃんまげと写真やムービーが取れるんだぞ!!」
「…………」
「ツアー限定にゃんまげグッズも盛り沢山!」
「…………」
「あの、その……にゃんまげの格好も試着できる……特別プランで……」
「俺たちもうすぐ四十路なのに?」
「にゃん……まげ……嫌だったか……?」
明が炬燵のテーブルに突っ伏す。
くつくつと笑いが押さえきれないようだった。
「ひひっあの美貌の裁判官黒瀬様がにゃんまげとツーショットとか……マジかぁ……」
「ツーじゃない。明とのスリーショットだ」
「はいはい。撮ろう撮ろう」
「実は、その……大岡越前ナリキリセットも追加していて……いや、その浮気ではないのだ。にゃんまげが一番だがその憧れが……」
「はいはい、悪党役だろうが引っ張られる子役だろうがなんだって付き合ってやるよ」
明がそっと左手を差し出してきた。
……その薬指に填まる指輪を撫でて指を絡ませる。
「おめでとう。昔のお前みたいな餓鬼が救われるといいな」
「まだ制度は始まったばかりだ。反対や混乱も出てくるだろう。だが……今、私はとても幸せだ」
炬燵の温もりで火照る以上に顔を赤らめて、二人で見つめあった。
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