黒塗りの年賀状を君に。
弥生
黒塗りの年賀状を君に。
いつの頃からだろう。
毎年1月1日に、黒塗りの年賀状が届く。
表面の名前などは問題ないのに、何故か裏面は真っ黒なのだ。
最初はいたずらか何かだと思っていたけれど、送った相手は間違いなく知っている人間で、 悪戯にしては手の込んだ作りだった。
もちろん最初に届いた時には、もしかしてこいつの名前を騙る別の誰かの悪戯かと思った。
だって意図がわからない。嫌がらせぐらいしか意味を見いだせない。
疑い半分で共通の知人に表面を見せて確認してみたところ、名前も住所も文字の癖も間違いなく奴が送ったものに違いないというので、逆にあいつが送っているという確信になってしまった。
ちなみに、その知人も毎年元旦に年賀状が届くが、いつもプリントされた干支の絵と謹賀新年の挨拶という既製品だった。
あんな黒塗りの年賀状は自分だけだという。
小学5年生の時に初めて送られてきて、中学に上がっても年賀状の送り合いは続いた。
学力の圧倒的な差から違う学校に進学した高校時代も、風の噂で東大に入ったと聞いた大学生時代も。
もうどこに就職したかすらわからない社会人になっても、この黒塗りの年賀状は毎年送られてきた。
彼は頭がよくて、近所で評判になるような美少年だった。
小学生の頃から大人びていて、周りの子どもとは一線を引いていた。
大変モテていたけれど、クール過ぎるゆえに、女子たちも遠巻きにしてた彼。
そんな彼とは小学校の5年生の時に同じクラスになった事ぐらいしか接点はない。
15年もの長い月日が経っても送られ続けた年賀状だったが、15年目に受け取ったその一枚だけはいつもと違った。
『削れ』
この15年で初めての言葉。
削れ? なにを?
住所欄の隣に『削れ』との指示が書いてあったのだ。
黒く塗りつぶされた、その面を?
黒塗りの年賀状をひっくり返してコインで削る。
すると驚いたことに下から絵が出てきた。
だが、この一枚だけでは何の絵なのかわからない。
慌てて大切に保管していた他の年賀状も持ってきて、何枚も何枚も削る。
3×5枚に並べていくと、そこには一枚の絵が完成していた。
「にゃんまげとか……はは、何年前の話だよ……」
繋げて大きな一枚になった葉書には、やけに時代錯誤な格好をしたちょんまげをつけている猫のキャラクターが描かれていた。
そういえば、小学5年生の秋。たった一度だけ彼と話したっけ。
この猫のキャラクター、にゃんまげのアニメについて。
塾があるからとアニメを見たことがない彼に、思いっきりにゃんまげの魅力を力説したのだ。今思い返しても、もっと別の話があっただろうに。その当時の自分にとっては、それが大事だったのだろう。
クールで近寄りがたい彼に、たった1度だけ会話できた思い出。本当に些細で……自分しか覚えていないと思っていた。
削った年賀状には、全体で一枚になるにゃんまげのイラストの他に、一枚に一文字ずつ文字が書かれていた。
「あのときからずっとすきでした。」 の15文字が遠回り過ぎて、今度はこちらから「言うのが遅せぇよ」って手紙を送ろう。
16枚目のやり取りは、速達で。
再会の約束を一緒に、送り届けよう。
◇ ◇ ◇
赤いポストの前に立つ。
歳を重ねるごとに増減する年賀状の束をカコンとポストに飲み込ませる。
手元に残ったのは、特殊な加工をした一枚。
あまりにも思い入れの強すぎるその一枚を投函する前に、深い溜め息が溢れた。
自分の夢の為に、学校と塾と勉強机の前の往復しかしていなかった小学校時代。
無邪気に笑う同級生の気持ちがどうしても理解できなくて、気がつけば一人になっていた。
法の番人、裁判官になる。
その志の元に、ゲームや漫画なんてものを小馬鹿にしていた。
そんな頭でっかちな自分が衝撃を受けたのは、小学5年生の時の事だった。
今でもあの日を忘れない。
舞い散る紅葉の下、無邪気に笑う少年の声。
「まじで!? にゃんまげ知らないの? 信じられない!」
彼の言葉で紡がれるその物語はとてもキラキラとしていて、にゃんまげなる猫のキャラクター以上に、その楽しそうな瞳に釘付けになっていった。
夕方にやっているアニメのキャラクターだそうだが、塾があるために見たことがない。
そう告げると彼は瞳をまん丸にして驚いた様だった。
「にゃんまげ、本当にニンジョーに厚くて最高なんだぜ!」
たった数分程度の会話が何度も脳裏をリフレインした。
それは、今までに経験したことがない鮮やかな感情だった。
緊張しながら知人の伝手で聞いた住所。
プリントされた年賀状ではなく、真っ白なそこに何を書けば良いかわからなくなる。
どうしよう、どうしよう。
どれほどこの気持ちは一時の迷いだって思っても、秋から冬にかけても消えることはなかった。
良いのだろうか。……良いのだろうか。自分が彼を思い続けていても。
人の一生を共にしたいと願うのなら、人の一生を背負えるぐらいの責任が伴う。
叶えたい夢まで少なくとも15年はかかる。
それまで待って欲しい。何て言えるだろうか。
同姓同士というのは、本当に困難が伴う。この日本であればなおのこと。
遠い未来に変わるかもしれないけれど、そんな希望で振り回す事なんてできない。
誰から反対されても、それを覆すだけの生活の基盤を得よう。
15年後、自分が夢を叶えたら。そのときに告白しよう。
そう心に決めて、大きな紙に図案を作る。
曲線と直線を組み合わせて、あの日教えられたにゃんまげの絵を描く。
出来上がった図案を15等分に切る。
これに一文字、一文字書いていこう。
これが、僕の15年をかけた彼への思いだった。
進学校に進学し、東大の法学部にも入ることができた。
毎年毎年送る年賀状に口に出せない思いを込めて、毎年毎年返される年賀状に安堵の息を吐き出す。
12枚目、13枚目、もし彼から送られてくる年賀状に、連名の名がついたら……。子どもが生まれました、なんて年賀状が届いたら、この計画はあきらめて、彼の幸せを願おう。
年賀状という形にしたのも、毎年送れば律儀な彼なら送り返してくれる。
毎年ちょっとした干支の絵に、三行程度の近況報告。
就職先が東京だ。なんて消印が東京になった年賀状を見て、飛び出しそうになってしまった。
いつも、彼一人の名前であることを願ってしまった。
15年目、最後の一枚を送る。
図案が完成する、最後の一枚を。
もしかしたら、今年こそ結婚しているかもしれない。
もしかしたら、もう自分の事なんて覚えていないかもしれない。
震える手で最後の一枚を投函する。
どうかどうか、この臆病者の告白を、彼が見てくれますように。
どうかどうか……15年積もらせた思いを彼に伝えられますように。
結局、元旦に届いた彼の年賀状は、いつもと変わらないものだった。
それもそうか、彼も元旦に届くように、年末までに投函しているのだろう。
わかりきっていたことだけど、空回りしてしまった思いだけが宙に浮いてしまった。
正月が終わり、ポストを覗くと手紙が入っていた。
速達で送られてきた手紙には、一行の抗議文と……電話番号。
愛しそうにそれをなぞる。
15年の距離を一瞬で埋めてくるんて、本当に彼らしい。
法廷に立つより緊張しながら電話番号を打ち込んだ。
◇ ◇ ◇
「なんで15年も待たせてんだよ」
緊張して電話した日、近く会える日はないかと相談された。次の日曜、駅のカフェで14時に……動かなかった年月が信じられないくらいに進んでいった。
成人式の日に覗き見た時とあまり変わらない様で愛しさが込み上げてくる。
珈琲を一口飲んで、彼にそう怒られた。
「15年前は同性同士の結婚なんて反対されると思ったし、反対されないためには財力と権力がいる。それに君に子どもを諦めさせるんだ。一生をかけて幸せにするために基盤を作ってからじゃないとリスクが……」
「付き合う付き合わないふっ飛ばして結婚前提かよ」
彼の指摘に顔が青ざめる。
あっあっ、なんて事だ。この15年、結婚を前提にした付き合いしか考えていなかった!
「そもそも、なんで俺が養われること前提なんだよ」
「いや、その、一応将来的には高給取りになる予定だが、あの頃は保証が出来なかったから……」
「保証なんて誰もできねぇよ。男女だってそうだろう? 将来のことはわからないんだったら、二人で支えあっていけばいいだろ。俺は勝手に幸せになる。お前が隣にいりゃな。だからお前も勝手に俺の隣で幸せになりやがれ」
頭がくらくらとする。
あの幼い頃に見惚れた笑みのまま大人になった彼が……。
あの彼に二目惚れしてしまう。
「もーお前、本当ーに頭でっかちなガキだったんだな」
「ぐ…………」
何も言い返すことなどできない。
「はいはい、それで判事さん。裁判官になるにはあとどれくらいですか?」
「……キャリアは積んできたから、あと5年くらいか……」
「じゃ、その間俺が支えてやるから、ちゃちゃっと裁判官になって、判例変えろよ。お前みたいな頭でっかちなガキが同性同士とかで悩んで、遠回りな告白しないようにな」
ニカッと笑うその笑みに、脳がくらくらする。
赤面してしまい、彼の顔が見れずに顔を覆う。
「……惚れ直してしまうんだが。……やっぱり好きすぎて死にそうだから同棲は10年待ってくれないか?」
「いや遠回りにもほどがあるだろ!!」
遠回りした恋の葉書は、どうやら春を連れてきたようだ。
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