#9 めぐりめぐるは恋の毒

 にのまえはなおも残酷に告げる。


「神力使いで色男いろおとこ、なおかつ悪相あくそう──要は三重苦さんじゅうくだな。お前はこの先も苦労するだろう」


「──俺は一体、どうしたらいいんですか?」


「原因が分からんことには、不幸体質の改善などそうそう容易にはできる話ではない。何なら、俺がお前と代わってやろうか? そうすれば悲惨ひさんな目にわなくて済むぞ」


 悔しくなりくちびるんでいると、美月さんが言った。


にのまえ様。日彦さまは災害だらけの常世の現状をどう思っていらっしゃるのですか?」


「人々がいのりを忘れたこの常世とこよで、日彦さまはかつての力を失い、神殿の奥に閉じこもったままだ。いずれは消えてしまわれるだろう。そうなれば常世は終わりだ」


「それなら、早く日彦命への信仰を回復させないと」


「──無理だ。人々から忘れられつつある神の信仰の回復など、そうそう簡単にできる話ではない。日彦さまを甦らせることができるのは、月姫さまだけだろう。しかし、お二柱ふたりの間には海よりも深いみぞがある様子」


 かつてはむつまじい恋人同士だった二柱ふたはしらの神が、別々の世界に離れ、二度と会う事のないまま永遠の別れを迎えようとしている。


──あまりにも悲しくて切なすぎて、言葉が出ない。

 彼らは本当にそれでいいのか?


 つづらが言う。


「月姫さまが日彦さまのいる常世に顕現けんげんするには、月姫さまの神力の大幅な回復が必要だ。気の遠くなるような話だと思うよ。ミヅキの代だけじゃ無理だろうね」


「……」


「諦めろ、神力使い。簡単な話ではない」


にのまえはどうするんだ? 常世を出て、つづらと一緒に現世へ戻るわけにはいかないのか?」


「無理だ。日彦さまが消えてしまえばオレも消滅する。第一、オレが日彦さまを見捨てていけるわけがない」


──どうすればいいんだ、俺は?

 神力使いとして何もしなくてもいいのか?


「──大丈夫です。これまで夏輝くんが頑張ってくれた分、私が現世で頑張りますから」


 俺の気持ちを察したのか、いつものように優しげに微笑む美月さん。


 華奢きゃしゃ体躯たいくに、はかなげなたたずまい。

 これまでの怪異によるトラブルだって、みんなで力を合わせてようやく何とかなっているぐらいなのに、美月さん一人でどうにかなるはずがない。

──彼女に何かあったら俺は。


 不意に、カナカナカナカナ……とひぐらしの声が響いてきた。

 鳥居の向こうに、懐かしい月姫神社つきひめじんじゃの景色が広がってゆく。


 美月さんが言った。


「──現世への帰り道が開いたようです」


──ついに、別れの時が来てしまった。


「兄者、またいつか状況報告じょうきょうほうこくに来るよ」


「──つづらよ、そうは言っても常世と現世は中々繋つながらんからな。次は百年後くらいだと思うが、達者たっしゃでな。……それから、月姫神社の巫女みこよ。伝えておくべき言葉がある」


  にのまえが、俺そっくりの姿から再び金の蛇に戻った。


「現世に帰る前に、その柔肌やわはだをもう一度抱きしめさせてくれ!」


 このに及んで、あきれて言葉も出ない。

 日彦命ひのひこのみことはこのセクハラ眷属神けんぞくしんを早く解雇かいこすべきだと思うのだが。


「……いえ、私にはつとめがありますので!」


 もはや訴えてもいいレベルだと思うのだが、にのまえの申し出をサラッと断り、一礼をする美月さん。


 俺は、白蛇つづらをぎゅっと抱きしめた。

 ひんやりとした白いうろこが腕にれた。


「つづら、今までありがとう。俺、つづらのことをずっと忘れないよ」


──うっかり気を抜くと、のどの奥がまって涙声になりそうだ。


「ナツキ。キミには困難を乗り越えられる力がそなわっているから、自信を持ってね」


「俺、頑張るよ」


 涙をこぼすつづらをそっと抱き上げて、美月さんへとたくす。

 つづらが美月さんの肩に乗った。


 しばしの間、見つめ合う俺達。


「──夏輝くん。今まで、ありがとうございました」


「俺の方こそ本当にお世話になりました。宿禰さんと千鶴子さんに、よろしく伝えてくれると嬉しい。──それから、巴にも」


「夏輝くんが来てくれてから毎日が楽しかったです。私、まだ夢の中にいるみたいで」


 少し寂しそうに微笑ほほえむ彼女。


「俺も」


 どうかめない夢であって欲しかった。

 他にも山ほど伝えたい言葉があるのに、こんな時に限って出てこない。


「きっとまた会いに行きますから」

「俺も絶対に逢いに行くよ」


 交わすのは、守れるかもわからない約束。

 悲しいけれど、それが今の俺達にできる精一杯だった。


「……必ずですよ。それまで元気でいてくださいね。──それでは」


 美月さんが俺に背中を向け、鳥居をくぐる。


 俺達を、別の宇宙へとへだてる赤い鳥居。

 鳥居の向こう側にうつるのは、現世うつしよという名の桃源郷とうげんきょう

 艶やかな長い髪がなびいて、見慣れたセーラー服の華奢きゃしゃな背中が遠のいていく。


──俺のかぐや姫が、月の都へ帰ってしまう。


 一度だけ振り返ると、つづらと一緒に笑顔で手を振る美月さん。


 手を振り返す俺。


 ダメだ。涙が溢れてしまいそうだ。


 鳥居の周りにかかったかすみが、美月さんとつづらの姿をおおいつくしていく。

 

──けまくもかしこ月姫神社つきひめじんじゃ大神おおかみよ。

 願わくば、どうか最後にもう一度だけ、彼女とつづらの姿を。


 思わず心の中で願った時、一陣いちじんの風が吹き抜けた。

 たなびくかすみ途切とぎれ、晴れ間が見える。

 

 鳥居の向こう側では、顔をくしゃくしゃにした美月さんが嗚咽おえつしているのが見えた。


「……夏輝くん。……なつきくん……」


 美月さん、泣いてる? 


 まさか、今までの笑顔は、無理して作っていたものだったのか?


 その時、俺の中で、何かがはじけた。


 俺は地面を蹴ると、鳥居をくぐって美月さんのいる現世うつしよへと風を切って駆け戻る。


──めぐりめぐるは恋の毒。


 恋は人を狂わせ、思いも寄らぬ行動をさせてしまう『毒』。


 元の世界に戻る道をむざむざ引き返した俺は、本当の馬鹿なのだろう。


 そう思うけれど、もう自分の心を抑えることができない。


 既に全身を恋の猛毒もうどくが回ってしまっていて、もう手遅ておくれなんだ。


 美月さんが、指で涙を拭うと顔を上げた。

 そして、俺の姿を見つけて目を丸くする。


「夏輝くん! なんで戻ってきたんですか? 早く……早く常世とこよに帰らないと……また戻れなくなってしまいます!」


「やっぱり俺、君を置いてこのまま帰れないよ。──もうしばらく、現世ここにいるから!」


 そう伝えた瞬間、美月さんが泣きながら俺の胸に飛び込んできた。


イラスト

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330663863702214

可愛いミニ漫画を描いていただきました!

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330663864402242

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