#10 月の都でダンスは続く

 俺は泣いている美月さんの背中に両腕を回して、そっと抱きしめた。


 いつも見ている艶やかな長い髪から漂う清らかな香りが、鼻孔びこうをくすぐる。


 こわごわ触れた肩も背中も、女の子だけあって思っていたよりも細く、驚くほど柔らかかった。


──夢じゃない。

 美月さんが今、俺の腕の中にいる。


 汗ばんだ衣服越しに伝わってくる体温に鼓動こどうが高まり、いとしさがつのってゆく。


 顔を上げた美月さん。

 真珠しんじゅのような涙にいろどらられた黒目勝ちの瞳。


 突き上げてくる衝動。

 この恋心は、もう誰にも止めることはできない。


 君が俺のことをどう思っているのかは分からない。

 けれど、俺は君が好きだ。

 その気持ちを、今こそ伝えたい。


「……俺は君が」


──その時だった。


夏輝なつきくーん!」

美月みづきーっ!」


 拝殿の反対側から聞こえてくる宿禰すくねさんと千鶴子ちづこさんの声に、心臓が口から飛び出そうになった。


「……お、おじいちゃん達が!」

「まずい!」


──俺達は、目にも止まらぬ早さで身を離した。

 

 走ってくる千鶴子さんの手には、俺のリュックがあった。


「夏輝くん、早く常世に戻らないとだめよ!」


「すいません。──俺、現世こっちでもう少しだけやらなければいけないことが出来たんです!」


 覚悟を決めて、閉じてゆく常世への帰り道を振り返る。

 せめて家族と会って、一言でも言葉を交わしたかったけれど──。


 俺は、鳥居の向こう側にいる眷属神けんぞくしんにのまえに向かって叫んだ。


にのまえ、お願いだ! 常世とこよへ戻るまで、しばらく俺の姿になっていてくれないか? 必ず月姫命つきひめのみことの神力を回復させて、日彦命ひのひこのみことともう一度縁を結ぶから!」


「神力使いよ。お前は本当にそれでいいのか? 次はいつ戻れるか分からない。お前が生きているうちに帰れる保証もないんだぞ!」


「たくさん徳を積んで、次は今回よりも早く常世に戻ってみせる。捜索願そうさくねがいが出ているから、とにかく警察へ行ってくれ!」


「……任せておけ」


 鳥居の上部に見える常世の空が閉じてほぼ見えなくなった頃。

 にのまえのはしゃいだ声が聞こえた。


「ヒャッホーイ! これで女と遊び放題だ! オレは世之介よのすけになってやるぞー!」


 そして、常世への帰り道が完全に閉じた。


「……世之介よのすけって誰?」


「世之介は、井原西鶴いはらさいかく浮世草子うきよぞうし好色一代男こうしょくいちだいおとこ』の主人公です。七歳で恋を知り、放蕩ほうとうの末に勘当かんどうされた後も好色な性格は直らず、数多あまたの恋愛遍歴を重ね……! 最後には女性しかいないという『女護島にょごがしま』へ行くと言い残し、六十歳で消息しょうそくつんです」


「マジかよ……」


 とっさににのまえに身代わりを頼んだけれど、もしかして判断を誤ったか?


「あの兄者のことだから、ナツキの姿で何でもやると思うけどね」


 心配そうな美月さんとつづらに、俺は答える。


「あ、ああ……問題ないさ……」


 境内の砂利を踏みながら、宿禰さんと千鶴子さんが近づいてくる。


 あれだけ心配をかけた二人の顔をまともに見ることができない。


「常世に帰るチャンスをぼうった」と言われて怒られるに決まっている。


「すみません! 俺の勝手な判断で現世ここに戻ってきてしまって……」


 雷が落ちてくるかと身構えたが、かけられたのは予想外の言葉だった。


「……おかえり、夏輝くん」


「あ、あの……俺……」


 宿禰さんが俺の肩に手を置いた。


「今更何を遠慮しておる? 現世うつしよの君の家はここじゃろう?」


「そうよ。本当の事を言うと、夏輝くんが戻ってきてくれて嬉しいのよ。喜んでちゃダメなんだけどね」


「……ただいま……帰りました……」


 温かく心にみ込んでくる二人の言葉に、俺は少しだけ泣いた。


⛩⛩⛩


夏輝なつき―っ!」


 突如懐かしい声がして、巴が参道を駆けてくるのが見えた。


「巴っ……」


 嬉しさのあまり思わず両手を差し出したところ、いきなりグーで殴られた。


「痛いっ! 巴、何す……」


「夏輝の馬鹿! 僕に黙っていなくなるなんて……」


 涙をこらえているのだろう、巴の唇が震えている。


「ごめん! 他に連絡手段がなかったから、白魂に頼むしかなくてさ。俺、親友のお前に世話になった礼だけでも伝えたかったんだけど……」


「何が親友だ。勘違いするな! 僕が怒っているのは、君が帰ったらみーちゃんが一人でダブルス出なきゃいけないからだ。決して君がいなくなることが寂しいからじゃないからな!」


 巴が手の甲で涙を拭くのを見て、俺も感極まってしまい声が思わず震えた。


「お……俺、しばらく現世にいるからさ。巴も明日から一緒にバドミントンの練習しようぜ……」


「ああ。君がどうしてもって言うんなら、気が向かないが行ってやろう。その練習とやらに!」


 涙声で鼻をすする俺達二人の隣で、美月さんが小さな声でつぶやく。


「巴くん、私のせいにしないで素直に本当のこと言えばいいのに……」


「みーちゃん何か言ったー?」


「い、いえ! 何でもありません」


 ようやくいつもの調子を取り戻して喋っていると、一匹の白魂がミーと鳴きながら飛んできた。


「さっきは有難う。宿禰さん達に伝えてくれて……」


「ミー! (この無礼者がぁ!)」


「痛っ!」


 いきなり頭突きを食らい、俺は頭を抱えた。


「この子、ナツキにラケットで打たれたことを相当根に持ってるね」


 つづらが首を伸ばしてこちらを見る。


「ごめん! 悪かったよ!」


 さらに、白魂がミーミミーと鳴くと、境内の裏手から大量の白魂が集まってきた。


「わ! 仲間を呼びやがった! 宿禰すくねさん、助けてくださいっ!」


「任せておけ夏輝くん! 今日こそはこやつらをはらい切る!」


 宿禰さんの後ろに隠れる俺、大幣おおぬさを振り回す宿禰すくねさん、宿禰さんの祓いをかわしながら俺をつつく白魂軍団と、もうめちゃくちゃな状況。


 白魂から逃げ回る途中、美月さんと目が合った。


 美月さんの瞳の中にきらめく流れ星と、俺の視線がぶつかりあってスパークする。

 その瞬間に脳裏に蘇ったのは、先程夕暮れの空の下で俺達が抱き合う光景。


 彼女の顔がみるみる真っ赤になり、あからさまに目をそらした。

 俺も恥ずかしくなり美月さんをけてしまう。


──あの抱擁ほうようの意味が何だったのかはよく分からないが。


 もう暫くの間、俺はかぐや姫と月の都でダンスを踊り続ける。


⛩⛩⛩


【行方不明の高二男子を三か月ぶりに無事保護】


「──四月八日から行方不明となっていた鳳凰市ほうおうしの高校二年生の男子生徒が、市内で無事保護されました。


 警察によりますと、男子生徒は七月十日午後七時頃、鳳凰市の普賢地内ふげんちないを歩いているところを近所に住む人が警察に通報し、駆けつけた警察署員が保護しました。外傷はないということです。


 男子生徒は発見時一人で、通学している高校とは別の高校の制服を着ていました。署員がいくつか質問したところ、「神社にいた。後は覚えていない」と話しているとのことです。


 県警では、男子生徒が行方不明となった動機やたどった足取りなどを、今後調べていくとしています。」


イラスト

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330664136442775

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