#10 雨乞いの終わりに

⛩⛩⛩


 夕食時の蓬莱家ほうらいけは、久しぶりに和やかなムードに満ちていた。


 普段は神道の決まりに基づき、普段は食事中喋らないことになっているが、今日は例外だ。


 食卓に並ぶのは、アサリの炊き込みご飯とキュウリとイカの酢の物、オクラやレンコン、椎茸しいたけ海老えびといった色とりどりの天ぷらに蓴菜じゅんさいの吸い物。

 涼やかなガラスの小皿には、デザートの葡萄ぶどうが盛られている。


 透き通ったガラスの盃になみなみと注がれた冷酒を、宿禰すくねさんがぐいと傾けた。


「俺、よく分からなくなってきたんですけど、そもそも悪王子さまって何の神様なんですか?」


「強大な力を持つ素戔嗚すさのおのみこと荒魂あらみたまじゃよ」


──素戔嗚尊すさのおのみこと


 日本の国を生み出した伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことから生まれたという男神。


 八百万神やおよろずのかみの中でもあまりにメジャーすぎるその御名みなを、知らないと言う人はあまり居ないだろう。


「じゃあ悪王子の姉神あねがみのヒルメ様って……」


あまてらす大神おおみかみ分霊わけみたまじゃな」


 俺はスマホを操作して、ヒルメ様の社の前にあった石碑せきひの写真を皆に見せた。


――石碑には、「■■孁社」の文字が刻まれている。


「『大日孁おおひるめ社』で間違いないかと思います。あまてらす大神おおみかみの別名のひとつが大日孁おおひるめですので」


 俺の隣で美月さんが言った。あまりにおそおおすぎて言葉も出ない。


「だけど矛盾むじゅんしてるよね。『古事記』の中で素戔嗚すさのおのみことまたの大蛇おろちを退治しているのに、五霜山いつしもやまでは大蛇になって人間に討伐されてしまうなんてさ」


 俺の向かいで、巴が言った。


素戔嗚すさのおのみこと荒魂あらみたまが、またの大蛇おろち退治たいじした際にその性質を獲得かくとくしたのじゃろうな」


 宿禰さんの盃が空になったことに気づいて、俺は徳利とっくりの冷酒を注いだ。

 ありがとう、と述べて再び盃を傾ける宿禰さん。


「──そう言えばおじいちゃん。『悪王子神を討伐とうばつしたのは藤原秀郷ふじわらのひでさと』という説もあるみたいですよ」


「なに?」


 美月さんの言葉に宿禰さんがぐいと酒を飲み干し、眉をひそめた。


「私は、源頼光みなもとのらいこうだと聞いたことがあったわね」


 千鶴子さんの言葉に、宿禰さんが空になった盃を、どんとテーブルに置いた。


「一体誰がそんなことを!」


「僕は行基ぎょうきって聞いたけどー?」


 巴がガラスの皿の上の葡萄ぶどうをつまみ、口に放り込む。


「いや、行基だけ今出てきた悪王子討伐あくおうじとうばつメンバーの中で明らかに浮いてるぞ……時代が違う」


「違う! 違う違う違―う! 悪王子さまご本人が認めたのは、蓬莱明光ほうらいあきみつただ一人じゃ!」


 宿禰さんが顔を真っ赤にして立ち上がり、ろれつの回らない声で諸説しょせつ一蹴いっしゅうする。どうも、酔いが回ってきたらしい。


 つづらが呆れ顔になった。


「スクネ。いくら怒ったって、今からいちいち訂正して回るなんて無理だからあきらめなよ。この地域の人間たちはいい加減なんだから」


 賑やかな時間はとにかく楽しくて、あっという間に過ぎ去っていった。


 皆の言葉に相槌あいづちを打ったり、笑ったりしている美月さんを横目で見ながら、俺は彼女がここにいてくれる喜びを噛みしめた。


──今はただ彼女のそばにいられれば、それだけで僥倖ぎょうこうだと、心から思った。


⛩⛩⛩


 次の日。降りしきる雨の中、俺と美月さんは傘をさして下校してきた。

 並んで大鳥居をくぐり、静かに雨に濡れる石畳いしだたみを歩く。

 俺の肩の上では、つづらがあくびをしている。


「ただいまー」


 参道右側にある住居の玄関の戸を勢いよく引いて、家に入る。


 ローファーを脱いだ美月さんが第六感で何か察したらしく、不穏ふおんな表情になる。


「……何か嫌な予感がします」


「ナツキ、ミヅキ。まずいよ。この気配は」


 つづらが身を固くして震え上がった。


⛩⛩⛩


 茶の間のふすまを開けると、そこには昼ドラを見ながら酒を片手にくつろいでいる悪王子の姿があった。


「あ、悪王子あくおうじさま?」


青二才あおにさい巫女みこ子蛇こへび、やっと帰ってきたか。待ちかねたぞ」


「いや、俺の名前は青二才じゃなくて瀬戸夏輝せとなつきですけど」


「──そうだったか?」


「いや名乗りましたよねあの時! 戦いの後に互いを認め合った感動的な瞬間がありましたよね!」


「……すでに忘れたな」


 悪気のなさそうな悪王子の態度。

 あの時の熱い気持ちを返してほしいと俺は心から思った。


「それよりも、奥さんたちに会いに行かれたんじゃないんですか?」


「ああ、行ってきたぞ。皆、元気で変わらずうるわしかった。しかし、オレは巫女が気に入った」


 ちょうど茶の間に入ってきた宿すくさんが、凍りついたような表情になる。


「オレの妻になれ。そなたに一生涯の幸せを約束しよう。花が好きなら、オレが手ずから育ててやってもよい」


「い、いえ……つつしんでご遠慮えんりょさせていただきます!」


 度重なるプロポーズに美月さんが真っ青な顔で後ろに下がり、代わりに俺と宿すくさんが前に出て悪王子を境内けいだいの社へ押し戻す。


「お願いですからお帰りくださいっ!」

 

「――ニュースの時間です。気象台から××地方が梅雨つゆ入りしたとみられると発表がありました。例年と比べると二十日程度遅くはありますが、専門家によりますと農作物への影響は今のところないということです――」


──テレビから流れてきたのは、遅い梅雨入りのニュースだった。


■■■

【夏輝言うところの悪王子討伐メンバーの皆様】


藤原秀郷ふじわらのひでさと…平安時代の貴族であり武将。別名、俵藤太たわらのとうた近江国おうみのくに三上山みかみやまのムカデ退治の逸話いつわがある。


源頼光みなもとのらいこう…平安時代の武将。丹波国たんばのくに大江山おおえやま酒呑童子しゅてんどうじ退治や、土蜘蛛つちぐも退治の伝説がある。


行基ぎょうき…飛鳥時代から奈良時代にかけて活躍した日本の仏教僧。多くの寺院を開いた伝承があるほか、橋や貯水池を整備し社会事業に貢献こうけん、奈良の大仏の造立ぞうりゅうにかかわり、民衆のために力を尽くした。


⛩⛩⛩

イラスト


雨降り夏輝

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330657205251885

雨降り美月

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330657205393340


■第7章、完結です。最後までお読みいただきありがとうございました!


■本作を少しでも気に入って頂けましたら、気軽に「作品のフォロー」&「星入力による評価」をお願いします!(★★★面白い、★★頑張れ、★まだまだ頑張れ)


(評価欄「★★★」は、アプリの場合は最新話の次のページに、PCの場合は右側の「レビューを書く」欄にあります。レビューを書かずに評価のみ行うことも可能です)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る