#8 神格では敵(かな)わなくとも

悪王子あくおうじさま! 貴方あなたの神力は既に回復していますよね!」


 俺は大声で叫んだ。


「最初の約束通り、雨を降らせてください」


「──雨は降らせてやろう。ただ、神力使いよ。お前は神を愚弄ぐろうした。雨を降らせるのは、お前の命を奪い、巫女みこを我が妻とした後だ」


 悪王子の美しい瞳に宿るのは、執念しゅうねんに燃える怒りの炎。


「死してつぐなえ」


 俺は悪王子社あくおうじしゃの中で青く輝く分霊わけみたまに狙いを定めた。


「どういうつもりだ?」


「見ての通りですよ。雨を降らせてくださらなければ、貴方の分霊わけみたま月姫命つきひめのみことの神力でちます」


 悪王子が鼻でわらった。


世迷言よまいごとを。オレが消滅してしまったら、雨は降らないのだぞ? それに、月姫命のような、神格しんかくの低い女神の力がこのオレに及ぶはずもあるまい」


「──おそれながら。そのようなことはございません」


 宿禰さんが立ち上がり、しゃくを捧げ持つと悪王子に向かい、深く一礼をした。


「はるか昔。わが先祖の蓬莱明光ほうらいあきみつは、月姫命つきひめのみことの神力を得て貴方様を討伐とうばついたしました」


 今までは、祭神の悪王子神の顔色をうかがい発言をひかえていた宿禰さんの表情からは躊躇ためらいの色が消えていた。


「──神格ではかなわなくとも、神力が及ばないということはありますまい」


 宿禰さんの言葉に、悪王子がぐっと言葉に詰まった様子を見せる。


 ゆっくりと悪王子の元へと歩いてゆく宿禰さん。


「お願いでございます。どうか、雨を。雨をお降らせください」


 しゃくささげ持ち、深く頭を下げる宿禰さんに、美月さんと巴が続く。


「お願いいたします」


「……末裔まつえいたちのしつこさは、明光譲あきみつゆずりという訳か」


 悪王子がひとちると、憎々しげに唇をんだ。


「悪王子よ。この山と民を守るのが、貴方と蓬莱家の約束。約束はたがえてはなりません。雨を降らせてあげなさい」


 雲間からしてくる金色の光。


 目の前に顕現けんげんするは、悪王子神とともに五霜山いつしもやままもる女神、ヒルメ様だ。


「お久しぶりです──姉上」


 悪王子が頭を下げ、ひざまずいた。


「あ……姉上?」


 驚いている俺達をよそに、ヒルメ様がさとすように語りかける。


「悪王子。もう娘は必要ないはずです。既に障りは取り除かれ、正しき祭祀さいしによって貴方の神力も回復した」


「……確かに力は戻りました。しかし」


 姉神であるヒルメ様を前にして悪王子が口籠くちごもる。


「姉上。私は決めたのです。月姫神社の巫女をめとると」


「いつまで月姫命つきひめのみことにこだわっているのですか。あなたの恋はもう終わったのでしょう」


「月姫命とのことは、私の中でまだ折り合いがついておりません。蓬莱明光ほうらいあきみつに封じられたことも、未だ納得がいかぬ。この娘は、月姫命に仕える巫女であり、明光の子孫しそん。手に入れれば、私の中で全てが終わるのです」


 悪王子が雨を降らせてくれない原因は神力の衰えではない。

 蓬莱明光にやぶれたことと月姫命にそでにされたことを根に持っているからだ。


 蓬莱明光はもうこの世にはいないし、この期に及んで月姫命が心変わりをするとは思えない。


 姉神あねがみであるヒルメ様の言葉さえも耳に届かない悪王子神を、どうしたらあきらめさせることができる?


──どうすればいいんだ。あと一歩なのに。

 俺は必死に打開策だかいさくを絞り出そうとしていた。


 重く暗くれこめた雨雲、低く響く遠雷えんらい


 まるでこの世の終わりを見ているかのような陰鬱いんうつな風景。


 悪王子が美月さんに手を伸ばす。


「──さあ、オレと一緒に来い」


 美月さんが表情を硬くしてうつむいた。


「何故そのような顔をする? なぜ笑わぬ?」


 俺が必死になって美月さんを助ける方法を考えていた時、美月さんのそばの草むらに何かが咲いているのが見えた。


──それは、一輪のピンクのユリの花。


 俺はつづらを肩に乗せると、ふらつく足で一歩一歩地面を踏みしめてユリの元へと進んだ。


──ユリの花が咲きそうです。


 月姫神社の境内で、輝くような笑顔を見せていた美月さんを思い出す。

 今はもう、遠い昔のことのように感じるが。


愛想あいそうのひとつも無いのか」

  

 悪王子が憎々しげに舌打ちをして、美月さんの腕を引っ張る。


 俺は咄嗟とっさにユリの花を手折たおると、社へ向かう悪王子と美月さんの前に立ちはだかった。


「このおよんでまだオレの邪魔をするか!」


 悪王子の瞳から青い火花が散るが、予想通りすぐに神雷しんらいは飛んでこなかった。

 美月さんの手を取った状態で神雷を放てば、彼女を巻き込むことになるからだ。


 悪王子が彼女の手を離すよりも早く、俺はユリの花を美月さんへ向かって差し出した。


 美月さんが俺を見て、目を丸くする。


「──私に?」


「うん。美月さん、確かユリが好きだったから」


 美月さんがそろそろと手を伸ばし、俺の差し出したユリの花を受け取った。


 そして、そっと胸に花を抱きしめる。


「有難うございます。──嬉しい」


──久しぶりに見た。

 可憐かれんな花が咲いたかのような、彼女の心からの笑顔。

 この笑顔を見るために俺は生きているんだ、とさえ思えるような。


 信じられない、と言った様子で眉根まゆねを寄せる悪王子。


「馬鹿な。きらびやかな衣裳よりも、野の花一本で喜ぶとでも言うのか?」


 美月さんがうなずいて、ユリの花を胸にそっと抱いた。


「──ユリは、き母が好きだった花ですから」


──刹那せつな


 大粒のぬるい雨だれが一つ、二つと俺の頬を打って落ちた後、あっという間にどしゃぶりの雨に変わる。


 乾いた地面が一斉の雨を受け、白いきりが立った。


「雨だ」


 やっと、やっと降ってくれた。


 最後の最後に神の感情をうごかすことで、雨乞いは成功した。


 雨を浴びながら、全員が感慨深かんがいぶかい思いで、そこに立ち尽くしていた。


イラスト

https://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330656559543015

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