#5 俺達流の雨乞い

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 ついに決戦の日――いつ霜山しもやまの雨乞い神事の日を迎えた。


 神事の準備に入ろうとした時、悪王子社の扉の隙間から、墨汁ぼくじゅうのような色をした霧が飛沫しぶきを上げて吹きだした。


 一瞬、何が起こったのか分からず、目が釘付けになる。


「いかん! 忌津闇神いみつくらのかみじゃ」


 忌津闇神──厄やけがれを放置することで生まれる、落ちぶれた神のなれの果ての姿。

 時間が経つと力を増すので、すぐに対処する必要がある。


 宿禰さんが祭具の中から紙のたくさん下がった棒──大幣おおぬさを構えて大きく振った。


 黒い霧が液状に形を変え、宿禰さんの大幣を回避して俺の目の前へ飛び出る。


 左の手のひらに意識を集中し、球状にまとめたつづらの神力をぶつけると、忌津闇神が黒いタール状のけがれを飛び散らせて消滅した。


 悪王子が胸を押さえながら、ゆっくりと息を吐きだした。


「大丈夫ですか」


 俺を見る切れ長の瞳が妖しい輝きを放っている。

 本当に、見とれるほどに美しい男神だ。


「神域の結界がもろくなり、忌津闇神が入り込んだ。それがオレの不調の原因か。……宮司よ、そなたの管理が甘すぎるのではないか?」


 ぞくり、と刺すような殺気。悪王子が冷ややかに宿すくさんを見る。


「た、大変に申し訳ございませぬ」


 やがて、社の奥で青い光が輝くのが見えた。悪王子の分霊わけみたまが、輝きを取り戻したらしい。

 宿すくさんがうやうやしく社の扉を閉め、一礼をする。


「無事に社の『さわり』も取り除けたことですので、これより五霜山いつしもやま雨乞あまごい神事を執り行います」


──ついに始まった。


 悪王子神あくおうじしんが神前に腰を下ろし、おうぎを取り出して不機嫌そうにその美しい顔をあおぐ。


 神前では、正装姿の宿すくさんが雨乞いの祝詞のりと奏上そうじょうするべく奉書紙ほうしょしを開くが、蛇ににらまれたかえるごとくその手は震えていた。


「──雨を降らせたまへとかしこかしこみも乞願奉こいねがいたてまつらくともうす」


「断る!」


 ごほん、と咳ばらいをして、再度祝詞を復唱する宿禰さん。


「断る断る断る!」


 以下繰り返し。


「俺、神様が祝詞を拒否しているところなんて初めて見た」


「ああ。悪王子様のご機嫌は最悪の状態か。じーちゃんが気の毒すぎる」


 ひそひそ声で呟くと、巴も同情の瞳で頷いていた。


 宿すくさんが一つ咳ばらいをすると、しゃくを両手で持ったまま、社の隣の位置へと戻り、横笛を取った。


 宿禰さんの笛の音に合わせて、流れるような動作で舞う美月さん。

 ものの榊の枝と身体全体で雨をこいねがう気持ちを表現する今日の舞は、いつもに増して素晴らしいものだった。


「ほう。見事な舞であることよ」


 うっとりと舞を鑑賞する悪王子。


 社のさわりは取り除いたし、神事もおおむね順調に進行しているのに、悪王子の神力が回復している気配がない。

 

 あせりで手のひらが湿り、額を冷たい汗が流れていく。


──まだか。まだなのか。


 俺は、悪王子と灰色の曇り空を繰り返し交互に見ることをただ繰り返していた。


「おかげさまで、雨乞いの神事をつつがなく終えることができました」


 宿すくさんがしゃくを持って一礼すると、悪王子が温度のない声で言い放った。


「宮司よ。神事が終わったのに力がまだ戻らんぞ」


「そんなはずは」


「約束通り巫女みこを差し出せ」


 悪王子がゆっくりと立ち上がると、浅沓あさぐつを鳴らし狩衣かりぎぬを揺らして、美月さんの前に歩いてきた。


 居ても立っても居られず、俺は悪王子の前に立ちはだかる。


「どういうつもりだ!」


「もう少しだけ待ってもらえませんか。少し時間が経てば──」


「無駄だ。戻らぬと分かっているものを、待っても仕方がない」


 悪王子の視線にけんが帯び、全身に青い稲妻が走る。なんという殺気。


「美月さん。俺達で何とかするから、少し離れていて。諦めるのは、どうしようもなくなった時だ」


 少し黙った後、真剣な目で頷く美月さん。


「──分かりました。ですが無理だけはしないでください」


「虫けらが、よほど死にたいと見える」


 宿すくさんがしゃくを持ちひざまずくと、祝詞を唱え始める。

 それが戦闘開始の合図。


──俺達流の雨乞いには、二通りの方法がある。


 一つは、悪王子神あくおうじしんをわざと怒らせて感情を揺すぶり、雨雲を呼んで雨を降らせる方法。


 もう一つは、悪王子神の神力を全て放出させた後につづらの神力で悪王子神を封印し、雨を降らせる交渉に持ち込む方法。


 これらの二つの方法のうち、どちらかで雨が降れば上々だが、いずれにしても悪王子の五回の神雷しんらいに耐えうる必要がある。


 そして、所詮しょせんもろい人間の肉体。一度でもまともに食らえばアウト。ミスは許されないという厳しい状況だ。


 悪王子の周囲に青い稲妻がほとばしる。


──来る。


 その雷が俺とつづらへ向かう前に、ともえ秘咒ひじゅを唱えはじめた。


「──東方は阿迦陀あかだ、西方はしゅ多光たこう、南方は刹帝魯さっていろ、北方は蘇陀摩抳そだまに──」


 俺の周囲に、きらきらと輝く薄絹うすぎぬのような雷除かみなりよけの結界が張りめぐらされてゆく。


「おい巴。もっとこう、結界を厚くできないのか? こんな薄絹じゃなくて、防護シャッターぐらいに分厚くだな」


「ど素人が愚弄ぐろうするな。僕の技術は君と違って繊細なんだ! つづら様のとうとい神力を粘土みたいに適当にこねくり回している君と一緒にするな!」


 巴が俺をにらみつけた後、ふっと鼻でわらった。


「そもそも夏輝は神力の扱い方自体がざつだ。スポーツ感覚ではらいをやってる」


「何だって? もう一回言ってみろよ」


「──楽しくお喋りしている暇はないぞ!」


 悪王子が雨雲をあやつり、青い雷を落とす。

 短い高音が連続して空気を切り裂く。


 巴の結界の中で、俺は右腕を天にかざし、神力で防護壁ぼうごへきを張った。


 落雷を受けた巴の結界が、悪王子神の神雷の力をいで破れ、結界を破り落ちてきた神雷の衝撃が右手に伝わる。


 とにかくまずは、一回目を耐えた。


 その間を見計らって、つづらの神力しんりきを悪王子へぶつける。


 つづらの迷いが吹っ切れているためか、右腕に送られてくる神力しんりきにも躊躇ちゅうちょがない。


「こしゃくな」


 悪王子が自らの体の周囲に青い稲妻をまとわせ、俺がぶつけた神力を打ち消した。


 再び、悪王子の全身が青く輝きはじめる。


 先程よりも強い威力の神雷が来る予感。防衛に注力することにする。


ともえ。防護シャッターが無理なら結界を二重に張ってくれ。重ねがけできるだろ」


「無茶言うな。そんなのできるわけないだろ! ──東方は阿迦陀あかだ、西方はしゅ多光たこう──」


 そう言いつつも、一応は試そうとしてくれるともえ


「……あれ。できた」


 拍子抜けしたかのようなともえの声と共に、俺の周囲に二重結界が張られる。


 たちどころにひらめく稲妻、引き裂かれる結界。

 残りの神雷は、つづらの神力で防ぐ。


 これで二回、大きな神雷に耐えることができた。


「腹ただしいにも程がある!」


 悪王子の激しい怒りの矛先ほこさきが、巴に向かう。


 すかさず神力を大量に注ぎ、ノーガード状態の巴の周りに障壁を張った。

 雷が、つづらの神力の壁にはばまれ青い火花とともに散った。


 これで三回目の攻撃に耐えた。


 神力の残量はあと半分程度。ぎりぎりで耐えられる計算だ。

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