#4 明日には消えてしまうかも知れぬ幻

 ともえが指を折りながら数を数える。


「最初に大きな雷が一回、その後に連続して小さな雷が三回、最後の『本気でいくぞ』が一回。悪王子さまが力尽きて倒れたのがその直後。だから、五回を耐えさえすれば、こっちの勝ちだよ。……ただ、夏輝とつづら様の力だけじゃ不足があるから、じーちゃんと僕でバックアップする必要がある」


「さっきは身がすくんでしまったけど、なるべくナツキにたくさん神力を流せるようにボクも頑張るよ」


 美月さんの膝の上でつづらが言う。


「うむ。さわりを取り除き、雨乞い神事を行なった上で、それでもまだ神力が戻らないとおっしゃるのであれば、最後の手段としてわざと怒らせるのもありかもしれんよ」


 宿禰すくねさんが真剣な顔で言った。


「──とにかく、できる限りの手を打たねばならん」


⛩⛩⛩


 翌日の早朝、俺と宿すくさん、美月さん、つづら、ともえの五人は、いつ霜山しもやまへ向かった。


 宿すくさんが毎年たった一人で祭祀さいしを行ってきた、神の棲む山。


 どこまで歩いても、日の光を受けて金色に輝くたけやぶばかりだ。

 風で笹がれる音以外、何も聞こえない。あまりにも静かすぎて聴覚がおかしくなった気さえする。


 スマホを取り出して地図アプリを手動で確認する。

 山頂に至るまでの道は、異様なカーブを描いていた。


「何だこの道。まるでへびいずった跡のような……」


 つづらが俺の肩の上で首を伸ばした。


「悪王子神の本性は大蛇だいじゃだからね。アキミツの矢を受けた時、血を流しながら山道をいずって逃げていったその跡がこの道と言われてる」


「つづら。あんまりおどかさないでくれよ……」


 話しているうちに、五霜山の山頂に到着した。

 青く輝く水縹山みはなだやま、穏やかな海、きらきらと輝く鳳凰市街が一望できる。


 山頂には、白い石で造られた小さな鳥居と祠があった。

 いつからある神社なのだろうか。紫外線と風雪にさらされて隣の石碑せきひの文字はかなりくずれている。


──「■■孁社」。


 かろうじて、その文字だけが読み取れるのだが、何の神様なのかはよく分からなかった。


「ここは悪王子様と並ぶ、五霜山の守り神『ヒルメ様』のお社じゃ。お力をお借りしよう」


 宿禰すくねさんに続いて、ヒルメ様の社の前に一列に並んだ。


 宿禰さんが祝詞のりと奏上そうじょうすると、強い一陣の風が吹いた。


 閉じたまぶたの隙間から入り込んでくる、神々しい光。


「──悪王子が、まだ生贄を求めていると言うのですか」


 心安らぐような声に思わず目をひらくと、目の前には唐風からふうの装束に身を包んだ、美しい女性がりんとした面持ちで立っていた。


 さかきの枝を挿した金のてんがんの下には流れるような黒髪を下ろした、光り輝くようなその姿。


 全員が平伏へいふくした。


 事の経緯を手短に話した後、宿禰さんが深く頭を下げる。


「ヒルメ様。何卒なにとぞ、ご助言をお願い申し上げます」


「──悪王子社のさわりを除くには、今日は日が悪い。縁日えんにちである明日みょうにちであれば、利が得られましょう。それと、天満宮てんまんぐうもうでておくように。──無事を祈ります」


「感謝を申し上げます」


 宿禰すくねさんが震える声で礼を述べると、俺達の体が暖かい光に包まれた。


 その光が薄らいでいくに従い、ヒルメ様の姿も消えていった。


 しかしなぜ、学問の神様である菅原道真すがわらのみちざねまつる天満宮に詣でる必要があるのかが、俺にはよく分からなかった。


⛩⛩⛩


 天満宮に詣で、月姫神社つきひめじんじゃへ戻ってくる頃には日が暮れ始めていた。


 明日の出発に備えて俺もつづらも早々に布団に入ったが、眠れなかった。


 状況は八方塞はっぽうふさがりで、嫌な想像しか浮かばない。


 家人が寝静まった後の暗い廊下を歩いて台所へ向かう。

 水を飲んでから寝直そう。


 階段から誰かが降りてきたので、思わず足を止めた。


──月光に青く照らされた廊下に、浴衣姿の美月さんが立っていた。


⛩⛩⛩


 冷水を入れたコップを一つ美月さんに渡し、もう一つは自分で飲み干して、ふうと息をついた。美月さんの顔色は冴えないままだ。


「……今まで何度も怖い目には遭ってきましたが、今回のようなことは初めてで」


「安心して。何としても結婚は阻止そしする。それから、雨も降らせてもらうから」


「夏輝くん」


 美月さんが鈴の音が響くような声で俺の名を呼び、俺の浴衣の胸元に手を伸ばし、触れてきた。


「な、なにを……」


「じっとしていてください。御守りのひもが絡まっています」


 彼女が触れたのは、俺の首から下がっている御守りの紐だった。

 そういえば、寝る前に首から外すのを忘れていた。


 それにしても、距離が近い。髪から漂う清らかな香りに、くらくらと眩暈めまいがしそうになる。


 もしかすると、彼女と二人でこういう時間を過ごせるのも、これで最後かも知れない。

 けれど触れられる距離にある今なら、その華奢きゃしゃな体をぎゅっと抱きしめることができる。


──どうする。


 呼吸が苦しくなるぐらいの緊張の中で、その逡巡しゅんじゅんがまるで永遠の時のように感じられた。


 それは、明日には消えてしまうかも知れぬまぼろし

 でも、触れればきっと、現実のものになる。


 俺は、おそるおそる両腕を彼女へと伸ばしかけていた。

 少しずつ、ふたりの距離が縮まってゆく。


──その時だった。


 俺の首にかかった御守り紐が、急に強く引っ張られた。思わず叫ぶ俺。


「美月さん、首絞まってる! 首!」


「ど、どうしましょう! なぜかさっきよりも絡まりがひどくなって」


 美月さんが紐をほどこうとすればするほどに、絞められていく俺の首。


⛩⛩⛩


──深夜の月姫神社。


 首を絞める御守り紐から解放された俺は、けほけほとむせていた。


「すみません。最初からハサミで切っていれば良かったですね。余計なことをしてすみませんでした」


 しおれた様子の美月さんが、ハサミを裁縫箱さいほうばこ仕舞しまうと蓋を閉じた。


「いや、何かしてくれようとする気持ちが嬉しかったです。ありがとうございます」


 正座してかしこまる俺。

 身の危険を感じて俺の首を絞めたわけではないと知り、ひとまず胸をなでおろした。


「それにしても、俺達はこんな夜中にいったい何をやっているんだろうね」


「確かにそうですね」


 そう思うとなんだか急におかしくなってきて、笑いがこみ上げてきてしまった。

 美月さんもくすくすと笑いながら顔を上げた。


 視線の先がぶつかり合う。再び大きくなる胸の鼓動。


 嫣然えんぜんと微笑んで、こちらへ手を差し伸べる彼女。

 俺もつられてうっとりと手を伸ばした。


 しかしその手は繋がれることはなく、手のひらに乗せられたのはさっきの御守り。


「もう絡まっていませんよ」


「あ……ありがとう」


「夏輝くんと話して、少し落ち着きました。明日に備えてもう眠ります。おやすみなさい」


 ちょうちょ結びにした帯の背中を見せ、階段を上っていく美月さん。

 無垢むく微笑びしょうを見せられて、その場に立ち尽くす俺。


 結局、俺が眠りについたのは明け方近くになってからだった。

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