#3 人身御供(ひとみごくう)

 悪王子社の扉は開いたままだ。

 奥の御簾みすの向こうには、広々とした神の住居が見えた。


 漂うは、白檀びゃくだんのかぐわしいこう


 悪王子が美月さんへ向かって右手を差し出すと、次々と豪奢ごうしゃな着物が宙に現れて、美月さんの前に高々と降り積もった。


わかなえ薔薇そうびから撫子なでしこなつはぎ……さて、どんな色目いろめが好みかな。髪飾りもあるぞ」


 何も答えず、ただかぶりを振る彼女。


「まさか、興味きょうみがないとでも申すか?」


「──悪王子さまは、なぜ私を妻に迎えたいとおっしゃるのですか?」


「ようやく口をきいてくれたな。蓬莱明光ほうらいあきみつのせいで、オレはあらみたまから和魂にぎみたまとなってしまった。娘を喰う必要はなくなったが、今年の初めからか神力しんりきおとろえを感じるのだ。神力を維持するため、そなたの持つ上質な霊能れいのうを得たい」


「私の霊能を?」


「そうだ。そもそも、そなたの先祖のせいでこのようになったのだから末裔まつえいがその責任を負うべきなのが筋というものであろう?」


 悪王子の言葉に、黙ってうつむく美月さん。


「理由は分かりましたけど、それを美月さん一人に転嫁てんかするのは、いささか論理が強引すぎませんか?」


「夏輝くん」


 俺の声に、美月さんがとがめるような目で俺を見た。


 少しは冷静になってくれるかと期待したが逆効果だったようで、悪王子の眉間には深いしわが刻まれた。


「宮司よ。この青二才あおにさいどもの教育はどうなっている!」


 怒気を含んだ大声が、その場の空気を揺らす。


 怒鳴りつけられた宿すくさんが、震える声で悪王子に申し出る。


「た、大変申し訳ございません。おそれながら……我が蓬莱家ほうらいけ跡継あとつぎは、今や孫と孫娘だけでございます。しかしながら孫は神職しんしょくの仕事を嫌っているため、この月姫神社の実質的な後継者こうけいしゃはこの美月しかおりません。この子を差し上げれば、祭祀さいしができなくなってしまいます」


──美月さんのお兄さんが、神職の仕事を嫌っている? 


「この悪王子に仕える神官しんかんの身でありながら、意見を申すと言うのか?」


 悪王子が、湿り気のこもった目で宿すくさんを睨みつけた。震える宿禰すくねさんのひたいから、白いまゆを伝って冷や汗が落ちる。


「どうか、ひらにご容赦ようしゃを」


跡継あとつぎは外から迎え、これまで通り祭祀を継続けいぞくさせればよいだけのこと」


 温度のない声で宿禰さんに告げた後、悪王子が俺をにらみつけた。

 まされた殺気に、思わず身の毛がよだつ。どこにも逃げ場はない。


五月蠅うるさい虫は始末する。死にたくなければ泣いて命乞いのちごいしろ」


 悪王子の右手に神力が渦巻き、青い雷がほとばしる。


「──嫌です」


「……何だと?」


「夏輝くん。早くあやまってください。私のことは気にしないで」


「早く失礼をおびするんじゃ」


 みんなが必死でわめいているが、俺は動かなかった。


「……俺はあなたの力に屈する気はありません」


 俺は覚悟かくごを決めた。


 ここまで来たなら、最後まで神の意志とやらに逆らってやる。


青二才あおにさい虚勢きょせいを張るか!」


 雷鳴らいめいとともに、一瞬いっしゅんにして放たれる青く強烈きょうれつな光。


 俺はとっさに右手を高く差し上げ、つづらの神力しんりきで頭上に障壁しょうへきった。


 あく王子おうじの稲妻が俺と巴に当たる前に、神力しんりき相殺そうさいされて消滅しょうめつする。


 悪王子が憎々しげに言った。


「この青二才あおにさいが、明光あきみつと同じ『神力しんりき使い』だと言うのか?」


──蓬莱ほうらい明光あきみつが『神力しんりき使い』?


 その言葉に驚いたが、のっぴきならないこの状況。


 右腕を流れる神力しんりきがいつもとは段違だんちがいの速さで消耗しょうもうしていくのが分かる。

 さすがに相手は神様だけあって、その辺のものたちとはかくが違いすぎる。

 いつもは助けてくれるつづらが、すっかり委縮いしゅくしてしまっている。

 このままでは身がもたない。


「どこまでも不愉快ふゆかいだ。次は本気で行くぞ」


 悪王子の全身が青く輝きはじめる。神力しんりきを溜めているようだ。

 静かな怒りに燃えるその目は、執拗しつようさを感じさせる。


──蛇は執念しゅうねん深いと言う。一度危害を加えられれば、必ずあだをなすと。


 あく王子おうじが俺めがけて怒りのかみなりを放つ。


 白い閃光せんこうが網膜に焼きついて何も見えなくなる前に、俺は右手で顔をおおかくし、目をつむった。


「……」


 目を開ける。


 ──雷は、落ちていない。


 俺の前に立っていた悪王子が、ぐらりとくずち、その場に倒れ伏す。


「どうなされたのですか」


 俺の後ろから宿禰すくねさんがおそるおそるといった調子でたずねると、床に倒れた悪王子が力なく言った。


「力がかぬ。いつ霜山しもやまあく王子社おうじしゃに、さわりが出たか。明後日の山の祭礼までに障りを取り除き、オレの神力しんりき復活ふっかつさせろ。そうすれば巫女みこめとる話は白紙にしてもよい」


──助かった。


 思いがけぬ猶予ゆうよを得て、体中の力が抜けた俺はその場にへたり込んでしまった。


⛩⛩⛩


 俺達は、社務所へと戻った。


「息子夫婦に続いて、今度は美月まで……?」


 千鶴子さんがうっ、と嗚咽おえつをもらした。鶯色うぐいすいろの着物の上でまとめた白髪が少しほつれていた。


「宿禰さん。あさに相談した方がいいかしら」


「いや。いま相談したところで、あの子の反発をあおるだけじゃ。もう少し動いてみてからにしよう」


 旭陽さんというのは、どうやら美月さんの兄のことらしい。


 先程の宿禰さんの話と二人の短い会話から、宿すくさん達との関係があまり良好でないことを俺はさっした。


 つづらを抱いたづきさんが、唇をきゅっと結んだまま、俺を見てくる。

 もしかして、怒っているのだろうか。


「……なつくん。自分の命を粗末にしないでください」


「ご、ごめん!」


「夏輝くんに何かあったら私……」


 美月さんの目からぽろぽろと涙がこぼれた。


 手の甲で涙を拭い始める美月さん。初めて見るその涙に思わず動揺してしまう。


「あーあ。夏輝ったらみーちゃん泣かせちゃった」


 目を三日みか月形づきがたにして、にやついた笑いを浮かべるともえに、俺は言った。


「何もしなかった巴に言われる筋合いなんてないけど?」


「だって仕方ないでしょ。相手は神様だよ? それも生贄いけにえとか要求してくるレベルの神様だよ? つづら様の神力しんりきなかったらくろげだよ? 逆らうなんて無理に決まってるでしょ」


「そうじゃ。夏輝くんや巴くんに何かあっては、わしらは生きてはおれん。美月を心配してくれるのは嬉しいが、無理をしないと約束しておくれ」


 宿禰すくねさんの言葉に、千鶴子さんも頷いた。


「分かりました。でも、そもそもどうして悪王子が美月さんと結婚したいのか、俺にはよく理解できません」


「夏輝くん。神や人の霊魂れいこんは、『いちれいこん』──一つのみたまと四つのたましいから成り立つと言われておる」


「四つの魂?」


「うむ。四つの魂を『荒魂あらみたま』『和魂にぎみたま』『幸魂さきみたま』『奇魂くしみたま』と呼ぶが、性格せいかくのようなものと解釈かいしゃくしてもらってもよい。悪王子さまが大蛇であった頃は、たける『あらみたま』の状態であった。ところが、明光あきみつに討たれてからは、穏やかな『和魂にぎみたま』になられ、娘を食べないことを約束した。しかし、神力しんりきおとろえを感じられたので、美月を妻とすることでれいのうを得たいと思われた」


 宿すくさんが説明すると、つづらが思い出したかのように言った。


「そう言えば、前にも似たようなことがあったよ。悪王子さまの『みたま』がつきひめ神社じんじゃまつられたばかりの頃、悪王子さまはつきひめ様の美貌びぼう神力しんりきに心を奪われ、求婚きゅうこんしたんだ」


 つづらの言葉に、一同が驚きに包まれる。


「だけど、月姫様には恋人の日彦ひのひこさまがいたから諦めたみたい。なにしろプライドが高いから、月姫様を諦めるまでの数ヶ月の間、鳳凰ほうおうのくにでは怒りの長雨ながあめが続いて大変だったんだ」


「それなら、悪王子をわざと怒らせて雨を降らせてもらえばいいんじゃないか? 宿禰すくねさん、確か雨乞いには、わざと神様を怒らせるものもあるって言ってましたよね」


「しかし、なつくん。あの神雷をまともに受ければ命はない」


「──いや、今の弱り切った状態なら意外と勝てるかも知れないよ?」


 ともえが言った。ちょうど同じことを考えていた俺は、巴の言葉にうなずいた。


イラストhttps://kakuyomu.jp/users/fullmoonkaguya/news/16817330653747769144

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る