#1 届かない距離

 七月の土曜の早朝、俺とづきさんはつきひめ神社じんじゃ境内けいだいで、日々勢いきおいを増してくる雑草ざっそう相手あいて奮闘ふんとうしていた。


 今年は空梅雨からつゆで、一ヶ月ほど雨を見ておらず、今日も快晴だ。


 緑豊かな境内に、赤い橋のかかった小さな川が流れている。左側奥には稲荷社いなりしゃへと続く鳥居とりいが木立の緑に赤々とえて美しい。


 小川の水音を聞きながら、特に会話もなく黙々と、雑草の芽をかまでひっかいてゴミ袋に集めていく。額には汗がにじむ。


じょこうさいなつくんと巴くんが無事で良かったです。あの時は本当に心配でした」


「それはこっちの話だよ。美月さんこそ、御霊ごりょう相手あいてで怖かったんじゃない?」


「はい。実を言うと、少し心細くて。でも私、気がついたんです」


 乾いた風が吹き、樹々きぎがいっせいにれの音を立てた後、世界が無音むおんになる。


「──いつの間にか夏輝くんを頼りにしていたんだなって」


 落ちてくる木漏こもの中で、美月さんが微笑びしょうする。

 風にあおられる髪を細い指で押さえつつ、耳にかけるその仕草しぐさ


 思わず心を持って行かれそうになり、動揺どうようする。


 その笑顔に見とれていると、美月さんが嬉しそうに言った。


「あ、見てください」


 ばかまひるがえし、うきうきと足早で歩く彼女について境内のすみへ行くと、丈の高い草が生えていた。

 五つに分かれた、伸びやかな緑色の大きなつぼみがみずみずしい輝きを放っていた。


「ユリが咲きそうです。このユリはとても丈夫で、手入れをほとんどしなくても毎年綺麗に咲くんですよ。私、ユリの花が大好きで……」


 よほどユリが好きなのか、美月さんはにこにこと饒舌じょうぜつに話す。

 花や虫をでる優しさが彼女らしくて、素敵すてきだと思う。


「美月、ちょっと来てちょうだい。小豆あずきを煮てみたんだけど、味を見てもらえないかしら」


 住居の奥から千鶴子さんの声がした。あんこと聞いて、美月さんの瞳が輝きはじめる。


「──夏輝くん、つづら様。また後で」


 彼女が笑顔で手を振り走り去る。白魂がミーと鳴いて、彼女の後を追い飛んで行った。


⛩⛩⛩


 自室に戻り、ふすまを後ろ手でめた。


 先程のづきさんの無垢むくな笑顔に不覚ふかくにも心臓しんぞう射抜いぬかれてしまい、おさまらない動悸どうき


 俺はいったいどうしてしまったと言うのだろう。

 

 美月さんは俺の大事な友人で、お世話になっている月姫神社のおじょうさんだから、好きになるわけにはいかない。


 白川ゆりあにも申し訳ないような気もするし。


 第一、俺はいずれ常世とこよに戻る身だ。


 現世ここでうっかり恋愛なんかしてしまったら、元の世界に帰る時につらい思いをするだけだ。


 俺は理性を持って自分に言い聞かせたが、胸を締めつける切なさと、雨雲あまぐものように広がってくる憂鬱ゆううつな感情にふたをすることができず、大きくため息をついた。


 自分の気持ちを確認するため、静かにスマホを取り出す。


 液晶えきしょう画面がめんには、中学の修学旅行の時に撮った一枚の写真。


 前列に女子三人、後列に男子三人。全員ではにかみつつの不揃ふぞろいなピースサイン。


 一番いちばん左端ひだりはしに俺、俺の前に立っているのが白川しらかわゆりあ。


 つやのあるボブヘア、形の良い頭、丸い大きな瞳、芸能人顔負けのきれいな歯並び。

 可憐かれんでありつつも、性格は明るくて文武ぶんぶ両道りょうどう

 何事も器用きようにそつなくこなす印象があるが努力家で、クラスでは男女問わず人気がある。


「ミヅキを好きになったら、その子を裏切うらぎることになるんじゃないかと思ったりしてるのかい」


 突然のつづらの言葉に動揺どうようし、スマホを手からすべり落としかけたのをあわてて空中で受け止めた。


「ま……まさかつづら、俺の心を読んでる?」


「いいや。ナツキの顔に全部書いてあるだけだよ。そもそもナツキはその子と付き合う前にふられたんじゃなかったっけ」


 容赦ようしゃなく傷口に塩を塗りたくるつづら。直視ちょくししたくない現実げんじつが次々と俺をおそう。


「まあ、急いで結論けつろんを出すこともないんじゃない?」


 俺が痛い頭を抱えている間に、つづらがとぐろを巻いて眠ってしまった。

 へびは気楽でいいよな、とつくづく思う。


──そんな矢先やさきに、事件は起きた。

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