#8 蝗害(こうがい)の終焉(しゅうえん)

 俺の右手から放たれる輝く神力しんりきに、はらわれ消えてゆくイナゴ達。参道上空に一部残っていたイナゴ達が、警戒けいかいした様子で空中に踏みとどまる。


悲願ひがん成就じょうじゅを邪魔するか、神力使しんりきつかいめ」


「おとなしくしたらどうだ。はらわれるより、神楽かぐらまいの方が苦しむことなく黄泉よみの国にかせてもらえるぞ」


 そう言って振り返ると、横笛を吹く宿禰すくねさんの目尻がゆるみ、づきさんの長い睫毛まつげ縁取ふちどられた瞳が一瞬、安堵あんどの色にうるむのが見えた。


 美月さんが日の丸の扇を高くかかげ、神楽鈴を添えて細かく振ると、残りのイナゴ達の勢いが削がれ、よろよろと後退する。

 しかし態勢を立て直し、再び美月さんに襲いかかる。


「調子を狂わす神楽かぐらの調べに騙されるな」


──優しく慰められるのは心地よいが、人間達の仕打ちは許せない。

 恐らくはそう言った所だろう。


 けれど、情感じょうかんに訴えるかのような笛の旋律せんりつ神楽かぐらまいの力には勝てず、百匹あまりのイナゴが美月さんにぶつかる前にしずまり消滅する。


 やぶれかぶれになった残りの数千のイナゴが後退し、態勢を立て直すと再び拝殿に向かって突っ込んでくる。


 俺はの前へと大きく飛んで、神力を連続して撃つ。

 しかし、数が多い。


 境内にアオサギ達が次々と舞い降り、参道の両側から青い炎を吐いてイナゴ達の勢力を削ぐが、やはり全てを食い止めきれそうにない。


 はらいきれなかった数百匹のイナゴにぶつかられ、怨嗟えんさの感情を一度に受けて頭が割れそうになる。


「うっ」


「お前達人間さえいなければ」


──ごめん。


 再び襲い来る罪悪感。


 その時、ともえがこちらに向かって走ってくるのが見えた。

 同時に上空から巴の両手に舞い降りる、青紫色に輝くたくさんのかそけき光。

 卜部家うらべけ祭神さいじん鳳蝶あげはちょうのユメミサマだ。

 

 参道を走る巴の手に舞い降りる鳳蝶が、その手の中で何十枚ものじゅに変わる。叔父さんの呪符が届いたらしい。


 巴が指で操作すると、宙に浮かび上がった呪符が次々とイナゴ目がけて飛び、ぶち当たった。大量のイナゴの御霊が消滅していく姿を見て、巴がわらった。


「もしかして、同情をあおって憑くつもりだったの? 無駄だよ。僕には御霊ごりょうへの憐憫れんびんの情なんかないからね」


 巴がさらに呪符を飛ばして、残りのイナゴの群れにぶつける。月夜の下、巴の狂気きょうきに満ちたかのような嗜虐的しぎゃくてきな笑みが浮かび上がる。


「あはははははっ!」


 巴が容赦ようしゃなく呪符をイナゴの群れへぶちかましている間に、俺とアオサギ達でイナゴを取り囲み、神力と青鷺火あおさぎびで茅の輪の中へ追い込む。

 茅の輪を目の前にして、よろよろと引き返そうとするあわれなイナゴ達。

 その力はむしおくりとじょこうさいの効果でかなり落ちている。


 巴が呪符を投げつけ、退路たいろった。

 アオサギ達が吐く炎を強める。

 拝殿からは宿禰さんの笛と、美月さんの鈴祓すずばらいの澄んだ音が響く。


 最後に、俺とつづらで神力を一気に放ち、白く輝く光でイナゴの集団を茅の輪の中へ押し流した。

 イナゴの御霊ごりょうの大群が白い光となって消滅しょうめつし、辺りはしんと静まり返った。


「……終わった」

 

 境内けいだいにいた人々と、アオサギ達から安堵あんどの声が漏れた。

 あちこちで起こったまばらな拍手はくしゅがやがて大きなうずに変わり、俺達を包んだ。


 宿禰さんにうながされた作道町内会長が、靴を脱いで拝殿はいでんに上がる。二人が並び立ち、その後ろに美月さんと氏子衆も立って参加者全員に向き直る。


「何ボケっとしてんだよ。僕達も月姫神社の関係者だろ。行くぞ」


 巴につつかれ、俺も巴と一緒に拝殿に上がる。


 宿禰さんと作道会長の言葉に合わせ、俺達も参加者に向かって一列に並び、一礼する。

 境内の中央には大松明が赤々と燃え、参道の両側には、数十羽のアオサギ達が整列して青い輝きを放つ。


「これにて、虫送りと除蝗祭が無事に終了しました」


「皆さん、本当にありがとうございました」


 再び巻き起こる大拍手だいはくしゅ


 挨拶の声を聞きながら、俺の作道会長に対する印象が、以前とは少し変わっていることに気づく。


 人の間に立って苦労している姿しか見ていなかったけれど、あの未曽みぞの状況の中で作道さんの全体を見通しての的確てきかくな指示がなかったら、虫送りと除蝗祭の連携れんけいはうまくいかなかった。


 それに、大松明おおたいまつの点火のタイミングを予定より早め、イナゴを一網打尽いちもうだじんにした判断も完璧かんぺきだった。


「皆さん、お疲れ様でした。この後はじょこうさい直会なおらいつきひめ神社じんじゃで、むしおくりの直会なおらいが公民館でありますから、皆さんそれぞれ移動してください」


 作道会長の呼びかけに、大勢の人がぞろぞろと移動していく。


 拝殿から作道会長と宿禰さんが降りて、境内を歩いて行く。

 境内にじっと立っているのは、アオサギ達の頭領とうりょう──涼風すずかぜ


 それぞれ違う立場で、複雑かつ微妙な均衡きんこうを保つ三者の邂逅かいこう

 俺は、固唾かたずを飲んで見守った。


 大松明おおたいまつの赤々としたほのおに照らされて向かい合う、つきひめ神社じんじゃ宮司ぐうじ、町内会長、ものあおさぎ頭領とうりょう

 三者の立場のバランスには非常に危ういものを感じる。


 俺は、月姫神社に物の怪を入れることを良しとしない宿禰すくねさんが涼風すずかぜを追い払うのではないかと気が気ではなかった。


 宿禰さんが、涼風とアオサギ達に向かって口を開く。


むしおくりとじょこうさいにご協力をいただき、感謝申し上げます」


 そして何と、涼風とアオサギ達の群れに向かって、深々と頭を下げた。


「そちらの神力しんりき使いの少年に命を助けてもらい、その礼にさんじただけだ。こちらこそ、礼を言う。ありがとう」


「そうでございましたか」


「月姫神社の弥栄いやさか《※ますますの繁栄はんえい》を、お祈り申し上げる。ところで、宮司ぐうじ殿どののお隣の方は、人間の頭領とうりょうとお見受けするが」


「私は町内会長の作道つくりみちです。あなた方がいなければ、大切な稲が全滅ぜんめつするところでした。感謝を申し上げます」


「いや、礼を言うまでのことはない。しかし、お互いに大変な立場と見える」


 やみの中で輝く涼風の金色の瞳が、作道さんをとらえる。


「そうですね。綺麗事きれいごとだけではやっていけない仕事です。でも、今日のようなことがあると、『ああ、やっていて良かった』と思います」


 作道さんが何でもないかのように笑う。目が細まって、笑いじわが目尻に刻まれる。


「そうか。人間の世界も、アオサギの世界も似ているのだな」


──涼風が高らかに笑った、その時だった。


 ドォン、と鋭く重い音が遠くから鳴った。アオサギ達が驚いて羽をはばたかせる。


猟銃りょうじゅうの音です」


 美月さんが身をふるわせる。

 

 巴が顔を上げて鳥居の向こう側を見つめた。


「そういえば前に、回覧板かいらんばんで見た。隣の弓部ゆんべ地区ちくでアオサギへの空砲くうほう威嚇いかくを行うと。今晩だったかも知れない」


 あの夜、俺と美月さんが届けた回覧板にそんな重要な情報が書かれていたとは。

 中身をしっかりと読んでおけばよかった、と強く後悔した。そうすれば、アオサギ達に情報を伝えてあげられたのに。


「よりによって今日だなんて。タイミングが悪すぎる」


 体全体から血の気が引いていくのを感じる。身をていして俺達人間を助けてくれたアオサギ達を裏切るような真似をしてしまった。


──続けて、銃声がまた一発。


 さらに、もう一発。音がだんだんと大きくなる。


 動揺した十数羽のアオサギ達が、あわてて飛び去ってゆく。


「待ってくれ。アオサギ。ただの空砲だ。逃げないでくれ」


 俺は叫んだ。しかしその言葉も空しく、残ったのは涼風と側近そっきんだけ。


 側近たちが、翼をはためかせて騒ぎ出す。


「見損なったぞ頭領。だから言っただろう。人間はいつか裏切ると」


「人間に加担かたんし、我らの命を脅かした責任を取ってくれ。頭領」


 残ったアオサギ達が、涼風を糾弾きゅうだんする。


「やめてくれ。涼風は何も悪くない!」


 俺は叫びながら間に入って涼風をかばったが、アオサギ達の怒りは止まなかった。ギャーギャーと鳴いて、涼風をつつこうとする。


「ナツキ。やめるんだ。かばえばかばう程、涼風と君との距離の近さが露呈ろていして逆効果ぎゃくこうかになるだけだよ」


 肩の上のつづらの声に我に返り、俺は力なく腕を下ろした。


「涼風の顔を潰すことになってしまった。ごめん……人間って、身勝手すぎるよね。自分たちの利益優先で」


 だめだ。涙があふれそうだ。しかし、涼風は優しく言う。


「いや、これは我の責任だ。神力使いよ、お前さんは悪くない。傍仕そばづかえ達も、本当は頭では分かっているが、次の頭領として群れを守るために抗議こうぎしなければならない立場たちばなのだ」


「立場って。立場って、なんだよ。それがあるから何の意味があるって言うんだよ」


 立場だとか役割だとか、前に巴が言っていた本音ほんねだとか建前たてまえだとか。そんな事が何の意味を持つのか、俺には皆目かいもくからない。


 町内会長が地面にひざをついて頭を下げた。


「涼風さん、申し訳ありません。この通りです。お許しください」


青桐あおぎりの頭領よ。頭を上げてくれ。仕方のない話だ。慣れ親しんだこの狩場かりばも、そろそろ潮時しおどき。頭領を引退して、どこか次の安息地あんそくちを探そうと思っていた所だった」


 その言葉を聞いて、一つだけ思い当たることがあった。

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