#6 空中戦

「巴。どういう状況なんだ?」


弓部ゆんべの集落近くから、信じられないほどの数のイナゴがこっちに向かって飛んできてる。あれだけの数を一度にはらうのは、相当な負担がかかるだろう」


 遠くを見る巴の隣で、俺も今朝聞いたラジオを思い出した。


「そう言えばラジオで、今日の夕方から西南西の強い風が吹くと言ってた気がする」


「あー。じゃあやっぱり、風に乗ってこっちに来るのは確実だね」


「虫送りをしながら神社まで追い込んで、じょこうさいで鎮め、くぐらせてはらってしまえばよい。それならば、祓う者に大きな負担はかからんじゃろう」


 宿禰さんが時計を見た。

 この後は除蝗祭があるから、急いで月姫神社へ戻らなければならない。


 俺はスラックスのポケットからスマホを取り出し、百科事典アプリを立ち上げて少しだけ調べ物をした。


叔父おじがイナゴけの御札おふだを大量に作ってるから、出来上がったら持ってくるよ」


 巴が立ち去りかける。


「いや、巴。帰らないでくれ。お前の力が必要だ。叔父さんの御札ができるまでの間、虫送りを手伝ってきてくれないか」


「……なんで僕が」


 むっとした表情の巴に、俺は着ていた月姫神社の法被を脱いで渡した。


「今こそお前の陰陽術おんみょうじゅつが必要なんだよ。虫送りの行列がイナゴにかれるかも知れないだろ」


「……ああ、もうっ。行きゃいいんでしょ、行きゃ」


 やけくそになった巴が法被を羽織はおる。作道会長がいた。


卜部うらべくんも手伝ってくれるのかね」


 巴が思い切り眉間みけんしわを寄せ、顔をそむけながら言った。


「手伝いますよ。町内の人間は大嫌いだけど、一人で全部抱え込んでる会長さんがあっちこっちで苦情言われて気の毒だから同情しただけですよ」


「会長さん、こいつ素直じゃないんで気にしないでください」


 巴の肩に腕を回すと、巴があっかんべー、と俺に向かって舌を出した。


「ありがとう。……よし、皆さん、出発しましょう。どなたか、もう少し人を呼んできてもらえませんか。それと、本日は虫送りの道順を変更して、公民館へは戻らずに直接月姫神社へ向かい、虫を追うことといたしましょう。よろしいですね」


 作道会長が皆に呼びかけた。俺は、ワゴン車に乗り込もうとする宿禰さんに声をかける。


「宿禰さん、先に除蝗祭に行ってください。俺、つづらと一緒に足止めをしてきます」


「夏輝くん、くれぐれも無理をせんように。危ない時は引き返すんじゃぞ」


「おい、夏輝。どうするつもりだよ」


 太鼓の音がドーン、ドーンと絶え間なく響き、大松明おおたいまつの乗った車が少しずつ前へと進み始めた。


「少しアテがあるから、ちょっと行ってくる。巴、本当に頼んだぞ」


「気の進まない仕事は、依頼料もらうからね。三千円」


「なに……依頼料だと?」


 俺が巴から法外な依頼料をふっかけられている間に、宿禰さんがワゴン車に乗り込んで月姫神社へと出発した。


 とにかく急がなければ。


 俺は巴に向かって手を振ると、つづらと一緒に全速力ぜんそくりょくで公民館を後にした。


 向かったのは先日美月さんと回覧板を届けた、弓部ゆんべ集落しゅうらく付近の用水だ。

 既に周囲は暗い。強い向かい風に、髪も服もあおられる。


 あぜ道を走る途中、田んぼの上空を黒い大きなかたまりが移動していくのが見えた。

 そこから遊離ゆうりした四センチくらいの大きさのバッタと酷似こくじした虫が二匹、俺の腕に止まった。


──イナゴ。


 緑色の体に、よく発達した後ろ足を持ち、目から尾にかけて、黒いすじ模様もようが入っている。

 その姿からは一切の生命力を感じない。

 代わりに伝わってくるのは、人間への強い恨みの感情。


──可哀想かわいそうだ、と思う。


 人間が米を食べるために農薬で殺したイナゴ。

 単に稲の茎や穂を食べただけで、彼らには大きな罪はない。

 人間さえ滅んでしまえば、彼らは無辜むこいのちうしなうこともなく、他の動物も、アオサギだって──


「ナツキ。かれちゃダメだっ」


 つづらの声に我に返り、慌ててイナゴを振り払った。つづらが毅然とした様子で言った。


「そのイナゴ達は、御霊ごりょうだ。もう生きちゃいない。そうなると、しずめるか、はらうかしかないよ。いちいち同情していたら、かれて身をほろぼすだけだ」


「分かった。今は割り切る」


 俺は周囲を見回して呼びかけた。


涼風すずかぜ。お願いだ。力を貸して」


 用水路の後ろにある小さな木立に青い光が灯り、青く光るアオサギ達が飛来した。

 二十羽はいるだろうか。

 その中心に、周囲のアオサギよりもかなり大きな体躯の、鋭い金色の目をしたアオサギがいた。頭領とうりょう涼風すずかぜだ。


 百科事典の情報によれば、アオサギは雑食性ざっしょくせいで、魚は勿論、バッタ類も食べる。

 となれば、イナゴからすればアオサギは天敵てんてきということになる。

 これだけの数のアオサギなら、むしおくりの人数不足を十分カバーできるはずだ。


「神力使いよ。どうした」


事の仔細しさいを話す。すぐに理解した様子の涼風。


「なるほど。虫送りの行列と一緒に、つきひめ神社じんじゃへイナゴを追い込む手伝いをすれば良いのだな」


「ああ。それまでに、いくらかイナゴの勢力を弱めたい。お願いできるか」


「分かった」


 涼風が長い首を縦に振ると、周囲のアオサギ達が灰色のつばさを羽ばたかせて抗議こうぎした。

 暗がりの中で、瞳がらんらんと輝いていて、少し怖い。


「反対、反対!」


頭領とうりょう、人間は必ず裏切るぞ」


 ざわつくアオサギ達を、涼風がいさめる。


「そんなことを言うな。恩人おんじんが困ってるんだ。この少年はとうと神力しんりきの使い手だ。皆、我を信じてついてきてくれ。責任せきにんは取る」


 涼風がそう言うと、アオサギの群れが静まる。

 一応協力してくれることにはなったが、群れには不満の色が残っているのがありありと見てとれた。


 涼風達に迷惑をかけているという罪悪感ざいあくかんに胸が締め付けられるが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。


うらめしい。稲を全部だめにしてやる」


「虫送りの人間達は全員、ころせ」


 赤黒く光る田んぼのあちこちから聞こえてくるのは、イナゴ達の恨みの声だ。


「少年。我の背に乗れ」


 涼風が、背中を向けて態勢たいせいを低くした。恐る恐るその柔らかい背中に乗る。

 首周りの羽毛に触れると、少しあたたかかった。


「飛ぶぞ。しっかりとつかまっていろ」


 涼風が力強くつばさをはばたかせ、あっという間に三メートルぐらい上空に舞い上がった。


 耳をつんざくような鳴き声とともに、涼風のくちばしから青い炎――あおさぎが飛び出し、イナゴの御霊ごりょうを焼き払う。

 イナゴの大群がよろよろと逃げ惑い、五メートル先で急に態勢を立て直して突撃してきた。


「うわっ!」


 ものすごい数が決死けっし覚悟かくご突撃とつげきしてくる。思わず右腕で顔をおおったが、目に入りそうだ。


「先日はあり大群たいぐんと対決したばかりなのに。今度は大量のイナゴかよ」


「人間にとって、古くから虫の害は大きな脅威きょういだったからね。でも、ここで勢力せいりょくを削げば、月姫神社に到達するイナゴの数はかなり減るから、スクネやミヅキの負担を減らせる」


 肩の上でつづらが言った。


「分かった。とにかく一匹でも、イナゴの御霊を減らす」


 涼風が、さらに高く舞い上がる。

 俺は左手で涼風の首の羽毛うもうをしっかりとつかみながら、右手に神力を充填じゅうてんさせた。


イラスト

https://kakuyomu.jp/my/news/16817330653837641590

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