#5 不吉な幕開け

 結局、新しい御守りについてはいい案が出ないまま、むしおくりとじょこうさいの日がやって来た。

 俺とつづらは、つきひめ神社じんじゃじょこうさいの準備に追われていた。


 つづらを肩に乗せ、俺は美月みづきさんや千鶴子ちづこさんと一緒に備品をあちこちに運んだり、参拝客さんぱいきゃく応対おうたいをしたりしていた。


 むしおくりに参加するのは、今年も昨年に続き、例年の半分以下の三十人。

 そして、月姫神社の氏子うじこしゅうから二人。


 太鼓を鳴らしながら、竹を割ってたばねた大きな松明たいまつ青桐あおぎりまち中を引き回して、虫のれいを松明に移す。

 最後にはその松明を、青桐町の公民館前で燃やし、公民館で直会なおらいの料理を食べる。

 そういう流れらしい。


 午後六時、松明の引き回し前に宿禰すくねさんが虫送りの祝詞のりと奏上そうじょうし、月姫神社へ戻って今度は虫の霊を慰めるじょこうさいさいしゅになる。


 そして俺は、忙しい宿禰さんについて回る形となる。


 正装姿せいそうすがたの宿禰さんがワゴン車のかぎを開けた。


「夏輝くんや。今年はアシスタントがいてくれて助かるよ」


「いえ。俺も楽しみにしているんで。社務所しゃむしょの前のバケツ入り玉串たまぐし、車にみ始めていいですか」


 玉串とは、稲妻いなずまの形に切った白い紙──をつけたさかきの枝のことで、神事の参加者が神前に捧げるのに使う。


「ああ。車の後ろの一番下に積んでおくれ」


 夏至げしが近いので、夕方だが空が明るい。

 空の向こう側から、夏がやって来る気配がする。


 参拝者が増えてきたので、千鶴子ちづこさんと氏子うじこさんが対応に回る。


蓬莱ほうらいさん、瀬戸せとくん。やっほー」


 声がして振り返ると、般若はんにゃあかりとむら椿つばきことが手を振っていた。二人とも私服姿なのが少し新鮮だ。


「蓬莱さん、すごく綺麗きれいー」


「可愛いじゃん。巫女みこ装束しょうぞく、似合ってるよ。いいなぁ。あたしも、そういう女らしい格好がしたい」


「いえいえ、そんな! でも、有難うございます」


 真っ赤になった美月さんが両手を振って謙遜けんそんする。


「後ろも見せてー。わぁ、熨斗のしの髪飾りなんだー。素敵」


 美月さんと村椿琴梨が話している間に、般若あかりが参道の『』の前に立つ。


 ちがやと呼ばれるたけの長い青草あおくさを束ね、大きなしんに巻き付けて上からわらなわで固定して作った巨大なっか。俺と宿禰すくねさん、氏子うじこしゅうの力作だ。


 『夏越なごしはらえ』では、この茅の輪をくぐって、今年前半のけがれを落とし、無病むびょう息災そくさい祈願きがんする。


「『無月なづき夏越なごしはらえする人は 千歳ちとせいのち ぶとふなり』の和歌わかとなえながら、左、右、左の順番に八の字の形に回りながら三周くぐる……」


 腕組みをしながら説明看板と茅の輪を交互にながめる般若さんに、美月さんが説明を付け足した。


「神社によっては、唱える和歌が三種類ある所もあるそうです」


「えー、絶対覚えられないじゃん」


 女子三人の話は尽きない様子だが、時間が迫ってきていたので「俺、そろそろ虫送りに行くから」と一声かけた。


「瀬戸くんも法被はっぴ姿すがた似合ってるよー。頑張ってね」


「ホント、イケメンは何着ても絵になるから羨ましいわ」


「ありがとう」


 女子三人に手を振り返し、宿禰さんのワゴン車に乗った。


 公民館には既に人が集まっていた。

 広場中央には大きな松明たいまつが置かれている。


 松明の前にいた作道つくりみち町内会長と、挨拶を交わす。

 宿禰さんが軽く打合せをしている間に、俺は大松明おおたいまつの前に神様の食事である神饌しんせんを並べ、あんと呼ばれる木の台の上に玉串たまぐし──さかきの枝をセッティングする。


 おごそかに始まる神事しんじ


 宿禰さんが祝詞のりとそうじょうし、修祓しゅばつ──すなわち、おはらいを行う。


 次は、作道さんを先頭に、参加者の中から代表の何人かが玉串たまぐしを神前に捧げる。

 玉串の扱い方を知らない人が多いので、俺が玉串を渡しながら小声でレクチャーをする。


 宿禰さんの斎主挨拶で神事が終わった、その時だった。


「じーちゃん、大変だ」


 ともえが息を切らしながらやって来て、宿禰さんに何かささやいた。

 宿禰さんの表情が険しいものになる。


「強い妖力ようりょくを持った大量のイナゴの御霊ごりょうが発生したじゃと?」


 不吉な予感に遠くを見やると、山すそに広がる田んぼの一面が、赤黒い怨嗟えんさの色に輝いているのが見えた。


「大量のイナゴですと? 数日前に農薬のうやく散布さんぷをしたはずなのに」


 呆然ぼうぜんと立ち尽くす作道つくりみち町内ちょうない会長かいちょうに、宿禰すくねさんが説明する。


怨霊おんりょうは、そもそも生きていないので農薬は効かぬはずです。人々の祈りの力が弱まった結果、昨年のむしおくりの際にイナゴを追い出しきれず、じょこうさいでその魂をしずめきれなかったことが原因と考えられます」


 ざわつきはじめた高齢者たちが、作道町内会長を取り囲む。


「会長。だからわしらは虫送りの縮小しゅくしょうには反対だったんですよ」


「虫送りの重要性を理解しちゃいない若い人の意見なんか聞くから」


 町の代表というだけで、たった一人に集中してゆく批判ひはん

 うつむいて唇をむ作道会長。


「申し訳ありません。しかし、若い人たちも含めて全体の総意そういで決まったことですから」


 とても見ていられなかった。好き放題発言して、あまりにも勝手すぎる。


 その時だった。


「お静かにっ!」


 氏子うじこ総代そうだいさんが張りのある大きな声ですごみ、住民たちをぎろりとにらみつけた。


 辺りがしんと静まった。


「わしら氏子うじこしゅうも、虫送りの縮小は反対だった。ですが、町内の総会で決まった事なら、仕方がない。あんたらも総会に出ていたんだろう? だったら、作道さん一人に責任を押し付けるのは筋違すじちがいじゃないかね」


 がっちりした体型、口数が少なく鋭い目つきの比田さんの迫力に、ただただ気おされる住民たち。

 今までは怖いと思っていた比田さんを、これほど頼もしく感じたことはない。


「比田さんの言う通りじゃ。とにかく今は、イナゴの御霊ごりょうへの対処が先です。落ち着きましょうぞ」


 宿禰さんの声に、高齢者たちが少し落ち着きを取り戻したように見えた。

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