第6章 消えてゆく青い炎

#1 ゆらめく青き怪火

 五月も終わりの夜、俺とつづらと美月さんは隣町近くの班長宅へ回覧板を届け、月姫神社へ帰ろうとしていた。


 心地よい夜風よかぜが風呂上がりの火照ほてった肌を優しく撫でてゆく。

 満天まんてんの星空の下、遠く続くあぜ道。

 点々とした家々の明かり。どこかの家の、夕餉ゆうげの焼き魚のにおい。


 水を張った田んぼが夜の月に反射してきらめき、田んぼ一面からゲコゲコと聞こえるのは賑やかなかえるの鳴き声。


「あ……夏輝くん、池に落ちないように気をつけてください!」


 夜のやみの中に、いくつもの池が浮かび上がって見えた。


「危なっ! 何でこんな所に池が……」


「この付近は弓部ゆんべと言うのですが、昔からこいや金魚の養殖ようしょくが盛んなんです。昔から湿地しっちが多く、稲作には不向きだったので、江戸時代に鳳凰ほうおうのお殿様が養魚を推奨すいしょうしたそうですよ」


 ふと、前方で青い炎がゆらめくのが見えた。

 どう見ても蛍や焚き火の類ではない怪火かいか


「──もしかして。あれ、物の怪?」


 俺達は畑の脇にあった小屋のかげに隠れた。


「大きな妖気ですね。一つだけではないようです。でもあの道が通れないとなると、ずいぶん遠回りしないと帰れなくなります」


行逢いきあいがみたぐいだとしたら厄介やっかいだから遠回とおまわりしてでもけた方がいい」


 美月さんとつづらが相談を始めた。


「俺、見てくるよ。やばかったら逃げるから」


「私も行きます」


 右肩につづらを乗せ、神力を右手に溜めつつ、少しずつ青い炎に近づく。俺の後ろから美月さんもそろそろとついてくる。


 思わず引き込まれてしまうようなあやしい美しさを放つその青い光の中央には、首の長い大きな怪鳥けちょうがうずくまっていた。

 大きさは一メートルから二メートルくらいだろうか。


「鳥が燃えてる?」


あおさぎ──長生きしたアオサギの体が青く光るかい現象げんしょうです。ゴイサギの場合は、五位ごいとも言うようですが」


 美月さんが小さな声で言うと、アオサギがゆっくりと首を上げ、目が合った。

 意思を持った瞳に射すくめられる。


 羽ばたきの音がして周囲を見ると、俺達の周囲に青く光るアオサギが何羽も飛来ひらいし、集まってきた。

 辺り一面が青くぼうっと光っている。


──気づくと、囲まれていた。


 アオサギ達の目から感じるのは、憎悪ぞうおの感情。


「人間だ」

「憎いな」

「焼き殺すか」


「美月さん、つづら、逃げ……」


 言い終わる前に、アオサギのうちの一羽が羽根を広げて俺に飛びかかった。


「我々のうらみ、思い知れ」


 長いくちばしから青い炎がき出す。


「うわっ!」


 すぐさま右腕で顔をかばいつつ、神力しんりき防御ぼうぎょする。

 青い炎が、白く輝く神力に打ち消されて消えた。


「なんだこいつ。神力を使うとは」

高位こうい神官しんかんか。それとも僧侶そうりょ?」


 動揺どうようしたアオサギ達がぎゃっぎゃっと鳴いてさわいでいる。


「残念ながらただの高校生だよ。お前達が何もしないなら、こちらも何もしない」


 俺は言った。


「まさか。信じられん」


「それもこんなさちうすそうな少年が、とうとい神力を使えるはずがない!」


「……お前ら全員シメるぞ」


 むっとして抗議すると、ギャーギャー鳴いていたアオサギ達が静かになった。


「ところで、あなた方は何を怒っているのですか」


 美月さんがたずねる。


「お前たち人間に仲間が殺された」


 アオサギに言われて周囲を見回す。


 休耕田きゅうこうでんのあちこちに、いくつもの襤褸ぼろのようなものが転がっているのが見えた。


──それは、罠にかかっててたアオサギの死骸しがいだった。


 「ずいぶん苦しかったでしょうね。おどくに」


 泥まみれになったつばさを片方立てたままいきえているアオサギを見て、美月さんが口を両手でおおった。


「これをやったのは俺達じゃない」


 俺が言うと、アオサギ達が抗議こうぎするかのように大きな羽をはばたかせた。


うそをつくな」


「恐らく、ここに罠をしかけたのは近くの養魚場ようぎょじょうの方でしょう。鳥にこいや金魚を食べられては、死活しかつ問題もんだいですから」


「そうだ。人間と言っても、いろいろいるんだ。俺はお前達を捕まえる気はない。なにしろ利害りがい関係かんけいがないからな。わなにかかったのなら外してあげてもいいが、どうする」


 ギャーギャー鳴きながら、相談をはじめるアオサギ達。


「我々をたばかるつもりだろう。人間なんぞ信頼しんらいできん」


「しかしこのままでは、頭領とうりょうが」


うそはつかないよ」


 俺は戦意がないことを示すために両手を挙げ、わなにかかった大きなアオサギに近づいた。


 そのあしをスマホのライトで照らすと、透明とうめいな糸がからまっている。

 周囲をぐるりと囲むアオサギ達の突き刺すような視線に緊張きんちょうして手が震える。


 少しでも誤解されるような行動をすれば、全ての方向からあの青い炎を浴びせられるに違いない。


 右手で糸を持ちスマホのライトを消すと、今度は左手を上に向けて手のひらに神力しんりきまとわせる。


「アオサギ。少し火をくれないか」


 そう言うと、捕らわれたアオサギが少し火を吐いた。

 その青く美しい炎を、神力で保護ほごした人差し指に載せてそっとはこぶ。

 運んだ火を糸に近づけ、少しずつ焼き切る。

 数か所の糸を切ったところで、ようやく罠が外れた。


「人間に捕まったかと思ったら、今度はまた人間に助けられるとは奇妙きみょうなことだ。しかし、お陰様で命拾いのちびろいをした。礼を言う」


 助けたアオサギが立ち上がったが、背丈が俺とあまり変わらなくて驚いた。


「あんた、ずいぶん大きいんだな」


「ああ。二百年生きている。我の名は涼風すずかぜ。このアオサギの一団の頭領とうりょうだ。寒くなるまではこの辺りにいるから、何か困ったことがあれば言ってくれ」


「頭領。奴らが助けてくれたのは気まぐれです。そんな口約束をしてどうなっても知りませんぞ」


「そうです、涼風さま。そんなに簡単に人間に気を許すのはいかがかと」


 涼風の後ろで、何羽かの年老いたアオサギが抗議こうぎしている。


「大丈夫だ。この者達は他の人間とは違う」


 涼風がそう言うと、アオサギ達が黙った。


「信じてくれてありがとう。俺は瀬戸せとなつ。こっちは月姫神社の眷属神けんぞくしんのつづら」


蓬莱ほうらいづきと申します」


──ここへ来て物の怪と交流ができるとは思わず、俺の気分は高揚しはじめていた。


⛩⛩⛩


 帰り道を、涼風を先頭にアオサギの群れが飛翔ひしょうしながらエスコートしてくれる。

 夜のあぜ道を上空から神秘的しんぴてきあおさぎが照らし、まるで夢の世界にいるような心地がする。


「なんて綺麗きれい。明日、ともえくんに話したらきっと驚きますね」


「多分あいつ、ねると思うよ」


 ふと、右側を見る。


 目をきらきらとさせながら青鷺火を見つめる美月さんの横顔がとても綺麗で、俺は不覚にも見とれてしまっていた。

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