#9 常世神(とこよがみ)

 黒餓鬼くろがきの一匹をはらった後、残りの数百匹も連動れんどうして雲散霧消うんさんむしょうした。


「やっと終わった……」


 長い、長い戦いだった。


 身を起こすと、少しはなれたところでづきさんも立ち上がるのが見えた。

 祭壇さいだんの前で、つづらがぐったりとしていた。

 ともえを助けるためにやむを得なかったとはいえ、俺の胸はつづらの寿命じゅみょうものに与えてしまったという罪悪感ざいあくかんに押しつぶされそうだった。


「つづら、大丈夫か。ごめんな。いのちわせてしまって」


 つづらがうっすらと目を開ける。


「だいじょうぶだよ。約束したじゃないか。ボクはキミを助けるって」


「だけどさ。無理はしないでくれよ。つづらがいなくなったら、俺」


 のどおくまでこみ上げてきた感情に、声がふるえてしまう。


「ボクも同じだよ。……ボクにしたらナツキがいなくなる方がいやだったから」


 つづらのやさしさがただ痛くて、俺はしばらくの間、肩をふるわせ泣いていた。


 つづらも巴も、無事でよかった。


⛩⛩⛩


 祭壇さいだんの周囲が黒い何かに覆われている。


――無数むすうあり死骸しがい


「『金槌坊かなづちぼう』、だっけ。つづらが教えてくれた黒餓鬼の正式せいしき名称めいしょうは」


「うん。すぐに思い出せなくてゴメンね。確か、江戸時代の古い絵巻物に描かれていたのを一度だけ見たことがあるよ」


「あの時、つづら様が『正体はありだから、女王じょおうありを一匹始末すれば群れごといきえるだろう』と言ってましたよね」


「俺、女王蟻をはらうために最後まで神力しんりきを残しておいたんだけど、最後まで女王がどれか分からなくてさ。巴、よく分かったな。みんな同じ顔してたのに」


「ユメミサマの力でえたんだ。群れの中央に、一匹だけ少し体が大きい女王じょおうありが光って見えた。そいつを始末しまつした」


「確かに、女王蟻がいなくなれば蟻の集団はほろびると聞きますね。私、巴くんが黒いかたまりになってしまった時には、てっきり金槌坊かなづちぼうかれてしまったものだと思っていました。あの絶体絶命ぜったいぜつめいの状況からの大逆転だいぎゃくてん、お見事みごとでした」


 美月さんが言った。


「ユメミサマが、覚醒かくせいする直前に僕を体内に取り込んだんだ。それまでの間は、なつとみーちゃんが僕の記憶の中にまで入ってきて騒ぐから、かれるひまもなかった」


「あのなあ。俺達三人がもう少しれていなかったら、お前はやられていたんだからな」


「まあ一応、二人とつづら様に礼は言っとく。ありがとう」


 頭をきつつ、目をらしながらほお紅潮こうちょうさせる巴を見て、自分の顔がにやけてきてしまうのを感じる。


「だけど、呪いは卜部家うらべけほろぼすまで継続けいぞくするんだろ。この後も油断ゆだんできないぜ」


「この家の周囲に渦巻うずまいていた憎悪ぞうおしゅうちゃくのようなものはもう消えているようですが」


「うん。みーちゃんの言う通り、もう大丈夫だよ。呪詛じゅそを丸ごとはね返したから、おそらく術者じゅつしゃは生きちゃいない」


「えっ、そうなの? 術者マジで死んじゃったの?」


「ナツキ。『人をのろわばあなふたつ』。人を呪い殺す時には自分にもむくいが来るから、墓穴はかあなが二つになるっていう意味だよ」


「つづら……可愛かわいい顔して怖い事言わないで……」


 俺が身震みぶるいしていると、なぜか巴も美月さんもくすくすと笑い出した。


「でも、このありさんたちは可哀想かわいそうですね。呪術に使われて、失敗したら殺されてしまって……」


 美月さんが無数の蟻の死骸しがいを見下ろして、ため息をついた。巴が美月さんの肩にそっと手を置き、蟻を見つめた。


「ああ。ありには何も罪がない。だからせめて、これから叔父おじと一緒に供養くようするさ」


 俺達は蟻の死骸に向かって、しばらくの間手を合わせていた。


「ところで、ユメミサマは大丈夫なのか?」


 祭壇の前に、こわされてばらばらになった白木の箱の残骸ざんがいが散らばっていた。


「ああ、問題ない。夢見ゆめみさまの正体はこれさ」


 巴が指さしたのは、注連縄しめなわの張られた座敷ざしきう、たくさんのあげはちょうだった。


「さっきまでさなぎだったんだけど、一斉いっせい羽化うかした」


 巴が黒いかたまりを突き破って出てくる時に一緒に舞い出た、漆黒しっこくに鮮やかな水色の模様もようが入ったあげはちょう


 祭壇さいだんにある色とりどりの花々にとまり、蜜を吸っている。


「お前の家では、蝶をまつっているのか? ということは、夢見様のお供え物って、あの祭壇の花の事か?」


「そうさ。僕の家では色々な神仏をまつっているけれど、昔から鳳蝶あげはちょうを『夢見ゆめみさま』と呼んで、大事にしている。別名を夢見鳥ゆめみどり夢虫ゆめむしとも言うけどね」


「実は俺、巴が俺達を苺大福で太らせてユメミサマへの生贄いけにえにしようと思っているのかと思ってあせってたんだよ」


「夏輝くんが怖がらせてくるんですよ。あの時はどうしようかと」


「そんなわけないだろう。馬鹿馬鹿ばかばかしい」


「だって、巴が妙に優しかったのが不気味ぶきみだったんだもん」


「は?」


 俺と巴の会話に、美月さんとつづらがおかしさをこらえきれない様子で吹き出した。 


「それにしても、常世とこよがみを祀っているおうちが今もあったのですね」


美月さんが言った。


「常世神?」


「はい。『日本にほん書紀しょき』によれば……昔、大生部おおうべのおおという人が、鳳蝶あげはちょうの幼虫を『常世とこよがみ』としてまつることを人々に勧めました。祀ればゆたかになり、不老ふろう不死ふしになれると」


 美月さんが伸ばしたその手に、蝶が集まる。


「人々は次々に常世神をってきては、財産を寄進きしんしたり歌や舞を奉納ほうのうしたりしました。しかしそれが行き過ぎて、財産ざいさんを失う人も出てきてしまったので、大生部おおうべのおお豪族ごうぞく秦河勝はたのかわかつ討伐とうばつされてしまいました。その後、常世神は次第に忘れられていったそうです」


 一瞬のうちに神としてまつり上げられ、あっという間にその座から引きずり降ろされていった常世神のはかなさに、何故かこころかれた。


「僕の家のユメミサマは、でっち上げられた偽物にせものの神なんかじゃない。僕の先祖がお告げを受けて、庭の霊木れいぼくから採取さいしゅし、何代にもわたって大切におそだてしている」


 そう言えば、巴の家の前には、大きなクスノキが植えられていた。あれは、蝶が卵を産む木だったのだろう。あの木の葉が幼虫の頃の食事だったというわけだ。


「このユメミサマは、父が幼少の頃からもう何十年とさなぎの姿をしていて、蝶になるまで百年かかると言われている霊虫れいちゅうなんだ。夢見様は、――美しくしなやかに変化していく力の象徴しょうちょうなのさ」


「お前のおじいさんや叔父さんは、長い年月の間に孵化ふか羽化うかを繰り返すユメミサマの力が満ちて、次期当主のお前が変化するのを待っていた、というわけか」


 巴が頷いた。


「『山風さんぷう』。虫が湧いて腐敗ふはいした状態を一掃いっそうする、転換てんかん。まさに占いの通りになりましたね」


 美月さんの言葉に、ああそうだった、と全てがに落ちた。


 とにかくこれで、卜部家うらべけの人々も呪詛じゅそに打ち勝つことができたわけだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る