#5 蝶の刺繡の守り袋

 薄紫色の輝く糸――結界けっかいがぐるぐると巻かれた広間の扉が今、おぞましい黒餓鬼くろがき大群たいぐんに破られようとしていた。


 つづらが階段かいだん箪笥たんす最上段さいじょうだんから、じっと広間の入り口を見下ろしている。


結界けっかいの糸を流れる力は一定で、強弱きょうじゃくの波がない。何かをきっかけに発動はつどうするように仕掛しかけられたのかな。となると術者じゅつしゃ不在ふざいの状態だから、あの結界はもってあと五分と言ったところだろうね」


「たった五分か」


「ボクの神力しんりきで一気に突破とっぱするかい?」


「待って、つづら。逃げるなら、ともえを呼んでこないと。あいつもやられる」


 づきさんは、迷っている様子だ。


「ですが、巴くんは『広間から出るな』と言いました。巴くんが戻るまで、ここで待っていた方が良いのでは?」


「いや。このままだと、奴らが広間に入ってきてしまう。とにかく巴に事情を聞かなきゃ」


 階段箪笥を途中で飛び降りて、祭壇さいだんのあるという奥の間へと急いだ。


「巴。悪いけど入るぞ」


 古民家こみんからしい重厚じゅうこうな木の戸を開けると、線香せんこうの匂いがした。


――そこはひかりさぬ、まどのない部屋。


 注連縄しめなわが一面にめぐらされている。


 鴨居かもいの上には卜部家うらべけの先祖の遺影いえいがずらりと並べられており、恐らくはもうこの世にいないであろう、着物きもの姿すがたの幼い子どもの写真も何枚かあった。

 かつては大家族であったであろう卜部家の姿を彷彿ほうふつとさせる。


 蝋燭ろうそくの明かりがゆらめくあやしげな祭壇さいだんには、掛け軸や様々な御札おふだ所狭ところせましと並べられていた。


 祭壇の前にはたくさんの花が生けられ、まるではかのようにも見える。


──その祭壇の前に、巴が正座していた。


 蝋燭ろうそくの明かりの中で白木しらきの木箱の中をのぞいていた巴が、俺達を見て嫌な顔をした。


「ここは立入禁止たちいりきんしだよ。広間から出るなと言ったろ」


「巴。呑気のんきに箱なんかながめている場合じゃないぞ、非常事態だ。黒い餓鬼のような物の怪達がこの部屋と広間を取り囲んでるのを知っているか」


「そうか。もうそこまで来たのか」


「あれは一体なんなんだ? 卜部家うらべけまつっている神様なのか? さっき、電話で話していた『ユメミサマ』なのか?」


「違う。ユメミサマはうちでまつっている富貴ふうき繁栄はんえいの神様だよ。今はこの箱の中で眠っておられる。でも、もうじき目覚めそうなんだ。だから僕はほんの少しの間、ここに居なくちゃいけないんだ」


 巴がひざの上に抱えた白木の箱をそっとでた。

 白木の箱は両手で抱えられるぐらいの大きさで、特段変わった気配は感じられない。


 あの箱の中に、一体何がるというのだろう。


「ごめんね。びっくりしたでしょ。今、家の中に侵入しんにゅうしてきた奴らは、ただのものじゃない。祖父が地元の有力者から無理矢理むりやり頼まれて政敵せいてきのろった時に、仕返しかえしに受けた呪いなんだ」


「呪い?」


「ああ。子どもの命をうばって家をやす恐ろしい呪詛じゅそさ。奴らのせいで、僕のきょうだいと、いとこの命がうばわれた。それでもまだ、すきを見ては卜部家うちほろぼそうと家の周りをうろうろしている」


「どうして巴くんだけが助かったんですか」


「ああ。これさ」


 巴がふところから取り出したのは、先ほどのちょう刺繍ししゅうの守り袋だった。


「この守り袋は僕の子どもの頃の晴れ着をほどいて作ってる。このちょう刺繍ししゅうは『背守せまもり』と言って、幼い子どもを守ってくれるのさ」


 ともえが蝶の刺繍の守り袋を、そっとでた。


「背守り?」


「ああ。『目』というのは昔から魔除まよけの象徴しょうちょうでね。普通、着物は左右のごろい合わせて作る。その『縫い目』が、魔物まもの悪霊あくりょうが背中から入るのを防いでくれると言われている」


 美月さんや宿禰さんの装束しょうぞく姿すがたを思い出すと、確かに背中に身を二つに割る縫い目があった。


 日頃ひごろ何気なにげなく目にしている背中のあれが、まさか魔除まよけだったとは。


「しかし、子どもの着物はひとで、背中に『縫い目』がない。だから、代わりに縫い目――つまり、『背守り』をつける」


「あ! 確かに、小さい頃に着ていた晴れ着の背中に、千鳥ちどり扇子せんす模様もよう刺繡ししゅうがありました」


 美月さんがぽんと手を叩いた。


「そう、それだよ。うちは呪いのせいで子どもが育たないから、母親があちこちで色々聞いてきて作った背守りが効いたんだ。お陰で僕だけが何とかここまで大きくなれたのさ。ある程度大きくなれば、いくらかは身をまもる知恵も身につくからね」


「どうして、わざわざのろいを家の中に招き入れたんだ」


叔父おじの話では、『山風蠱さんぷうこ』のが出た時が、我が家でおまつりしているユメミサマが目覚め、呪詛じゅそに打ち勝つチャンスらしいんだ」


 山風蠱のが出た時に、巴の様子がおかしかったのはそういうことだったのか。


「山風蠱の卦が出たら、この家の結界けっかいを自動的に解除して、奴らをわざと玄関に招き入れた後、広間との間の結界内に閉じ込めて、ユメミサマに一網打尽いちもうだじんにしてもらうように叔父貴が仕掛けをしていった。しかし、計算外だったのはユメミサマがまだお目覚めではないことと、叔父貴が仕事で県外へ行っていることだ」


「計算外も計算外だよ。お前の叔父さんはいつ帰ってくるんだ?」


「あいにく真夜中だ。みーちゃん、ものは何匹くらいいた?」


「最初は十匹くらいでしたが、今は数十匹に増えています」


 ああ、何という不幸。あまりにも状況が悪すぎる。


「そうか。それなら僕達が手に負える数じゃない。叔父貴が来るかユメミサマが目覚めるまで、何とかここでやり過ごすしかない」


 巴が血の気の引いた顔で白木の箱を抱いた。


「巴。そんな悠長ゆうちょうなこと言ってる場合じゃ……」


 その瞬間、広間から戸の倒れる音がした。


 それは、黒餓鬼たちが、結界を破って広間に雪崩なだれ込んできた音だった。

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